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『回教概論』「国家神道=カリフ制」と位置づけたのではないだろうか(世界の歴史)

 1942年(昭和17年)に刊行された大川周明著のイスラム概論だ。大川周明は茗荷谷の拓殖大学の教授でもあったが、戦前戦中は国家主義者、大東亜共栄圏の思想的代弁者、またその実践者でもあった。そのため戦後、A級戦犯として極東軍事裁判で裁かれることになったが、精神病を発病して都立松沢病院(世田谷)に入院。やがて快癒して、病院内でクルアーンを和訳した。ただしこの和訳は、アラビア語からではなく、欧米の研究者の翻訳本からの和訳だ。結果的に不起訴となって釈放されることになったが、民間人としてA級戦犯とされたのは彼一人だ。

 この本を読む前に山本七平の「現人神の創作者たち」を読んでいたためか、大川周明がなぜイスラームを研究し、大東亜共栄圏に発展させたかの仮説を持つことができた。とにかく、イスラームと他の宗教との大きな違いは、例えば、キリスト教が聖俗が分離し、心の内にあるものを宗教としているが、イスラームは社会システムと心の内なる宗教が一体となっているところにある。
 それは、天皇を現人神として国体を作ることと一致する。つまり、国家神道=カリフ制(ムハンマドの血筋がリーダー)ということになる。さらに、イスラームを普遍的な価値として部族社会のアラビア半島を制服統一していったことは、大東亜共栄圏につながったのだろう。

 さらに本書では、古欄(コーラン)の開経章(開扉章)を以下のように紹介している。

「古欄開経章は、既に述べた如く回教に於ける主の禊(みそぎ)に相当し、その根本信仰を要約せるものであり、総ての回教徒が毎日5回の礼拝に於て、少なくとも三十回は読誦せるる重要な章句である。」

 クルアーンの「開扉章(開端)の7行=教育勅語」ということになる。このように、大川周明の頭の中では、イスラームと国家神道はシステム的に一致していて、ウマイヤ朝、アッバース朝とイスラーム支配地域が拡大していくように、亜細亜諸国を考えたのではないだろうか。直接的なきっかけは、大学卒業後のインド独立運動の支援経験からかも知れないが…
 この仮説は、「復興亜細亜の諸問題」で確認することにしよう。

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