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趣味が高じてみたい

実家に帰省していつも通りスパイスカレーを作っていてふと思った。

「このレシピ、何年作っているのだろう。」

アレンジをすることもなく、ただただdancyuのレシピを忠実に5年作り続けている。スパイスカレーをSNSにアップすると、必ずと言っていいほど「こだわりのアレンジはありますか?真似したいです!」と質問がくるが特にない。一方で友達は自分でレシピを作ったり、既存のレシピだとしても何かしらのアレンジを施してカレー作りを楽しみ、めきめきと腕を上げていった。

「ああ、これが伸びる人と伸びない人の違いなのかもしれない。」

刺激を受けて一度は新大久保でスパイスを買い込んだものの、結局どうアレンジしていいのか?わからずいつも通りのカレーを作った。
一丁前に大量に買い込んだスパイスは戸棚にしまったままだ。

思い返せば、趣味が高じてお店を開きました!こんなの作っちゃいました!などといった話はよく聞くが私の趣味は高じたことがない。
マラソンも趣味だが、マラソン番組のMCをさせていただくまで、大会にバンバン出たい!シューズをこだわりたい!など特になかった。
こだわりがなさすぎて、中学生の頃から使っていたランシューを靴の底が禿げるまで履いていた。

手芸も好きだった。
小学生の頃は年に一度東京ドームで行われるキルトの祭典、「キルトフェスティバル」に毎年足を運んでいた。
学校から帰宅すると宿題をして1分でも多く針と糸に触れていたかった。
しかし、アレンジは一切せず全て教本に書いてあった作り方にそって忠実に再現していた。
いかに見本通りに作れるか?がわたしのゴールだった。


高校を卒業し、手芸好きな友達と切り絵をすることになったとき「さくらちゃんも何か自分でデザインしてみたら?」と提案された。

確かにそれも面白いのかもしれないと思って図案を描こうとするが、一向に思いつかない。
デザインしたいものが何もないのだ。
頭の中にあるものをしっかりと形にしていく友達は、きっと自分より楽しさの幅が広い。何も生み出せないこと、こだわりが何もないことにショックを受けて、それ以降手芸はほとんどやらなくなってしまった。
アイディアマンではなくても手芸の技術は高じれたかもしれないのに。もったいない

私の趣味は日常止まりで至って普通だ。
高じてみたい。
だが、趣味を高じさせる人はきっとこんなこと思わない。大抵、気づいたら周りが驚くようなことをやっていて、本人はそれを努力と思っていないのだろう。

だめだ!高じたいなんて思わないうちに高じているものなんだから。と頭ではわかっている

そこでわたしのスケベ心がぬっと現れ、これならいけるのでは。といろんな妄想を膨らませた時点でもうだめだ

「なんですかこれ」
「え?ああ、趣味が高じて、気づいたらこうなってました。」
「えー!すごいっすね…!」
「?」
なんていう会話をいつかしてみたい。