何がしたいんだ俺は、という言葉

水星の魔女15話でグエルが発した「わからない、何がしたいんだ俺は」
この言葉には色んな意味が含まれていると思う

目覚めたグエル

まずグエルが「目覚めた」ということ
今までは「ドミニコスのエースパイロットになりたい」と思いつつ、実際にはホルダーとなってミオリネも会社も全部手に入れる、と言っていた
個人の目標と父から言われた目標が重なっておらず、どちらかを取ればどちらかを得ることはできない。
不可能ではないだろう、ホルダーであり続ければミオリネとの結婚、そして会社を継ぐことや総裁の座だって夢ではないし、そうなればトップだから文句は言われない、その上でドミニコスのエースの兼任も目指してみればいい

が、そういうことではない、欲張って全部やりたい!とは言っていないから

そもそもエースパイロットの夢も、会社を継いだりミオリネと結婚することは本当にグエルの夢だったのか?
2期になって明かされたジェターク家の設定画、そこにドミニコスのエースだったケナンジが描かれていて、その接点から憧れたことが伺えるが、前述の通り矛盾するような父の押し付けた将来を受け入れていた。つまりその時点で「絶対的に叶えたい自分の夢」であるかは疑わしい

それを断じることは当のグエル本人にしかできないことだが「何がしたいんだ俺は」と、父のことを反芻し続けた数日間の後に言ったということは、その道が「自分のやりたいこと」だったと断言できない、と思うに至ったと受け取った

スレッタの走馬灯を見た個人的見解

「スレッタ・マーキュリーに進めていない!」で思い描いた走馬灯に、父や弟のことが一切なかった事に12話では不満に思う人も見られたが、個人的にはプロローグのナディム、6話の4号のように「パーメットが見せる夢」と同列に扱われるため下手に入れられない、というのもあると思う

事実、死を直前に生にすがるのに、父や弟との接触はビンタされたりポジティブなものは劇中ない。それを新規で入れればいいじゃないか、と思うだろうが、そうなると視聴者的にはナディムの「あり得なかった記憶」と同じに見えて「これもパーメットが?」と誤解させかねない

そして15話も巧みにそれを利用していた
ずっと父親のことを言い続けていたグエルだが、自分の見落としがない限りは一度も過去回想がない。それどころか自社が潰れる、と聞いて「家族のことなんだ」と食いつくグエルが言ったのを「ラウダのことだ!」と狂喜した兄弟のファンは多数いたが、そこすら弟とも言わず、弟の様子を思い描くことはなかった
つまり、条件としては12話の走馬灯と同じだ

しかし、ここでは逆に描かれないことで、下手に回想シーンが入るよりも深い絆を感じられる。あえて具体的に思い出すまでもない存在と

先に上げたように、視聴者的に存在しない過去の記憶はファンにとって新たな情報でありご褒美ではあろうが、同時にそうでもない人も含めて「視聴者の中に存在しない記憶」でお涙頂戴をやられてもしらける

これはフィクションで多用される「過去回想でのキャラ掘り下げ」に対するアンチテーゼのようなものだ
「ようなもの」とするのは、それ自体を否定はしていないから
オルコットの息子の様子は描かれた、それは彼が掘り下げるほど描かれる時間も出番もないせいだろう

個人的に望む「家族のことなんだ」

また、個人的に会社が潰れるで「家族のことなんだ」と言ったグエルの言葉に「社員」まではイメージせずとも、その子女である「ジェターク寮の仲間」が含まれていることを是非に希望する
それが含まれているなら、恐らくそれは父の発想であり影響だろう。自分に殺意さえ見せた娘シーシアを助けたグエルの懐の深さならきっと「家族」にそれらは含まれていると信じたい

スレッタを諦めたのか?

家族のことは走馬灯で思い出すべくもなく胸に浮かんでいる、と思えた15話の描写、それならスレッタのことは諦めたのか?

これについては多分グエル自身も保留。そもそもグエルにとってスレッタは、自分自身を見てくれず認めてくれなかった父親に変わって、自分を見て認めてくれた、しかも自分より強い相手だ。それはかつて憧れたであろう強い父、強いパイロットのケナンジと同じくらいの存在

だから飛びついてしまった、大事だと思って突き進んだ

しかし、父を殺してしまったことで「本来もっとも向き合うべきだったもの」が何か思い知り、それを自ら葬ったことに対して絶望していた
けど、そんな父の残した会社が潰れると聞いて、まだ自分にはやらなきゃいけないことがあるとわかった

この上会社まで無くなるのを黙って見ているわけにはいかない、それだけは思っただろうが、具体的にどうするのか、どうしたいのか、社長になるのかなれるのか、なってどうするのか
それら全部含めて「わからない、何がしたいんだ俺は」

何がしたいか以前に「何ができるか」すら全くわからない、けど瀕死の少女を背負って走り出したように、もう進むしかない
ここまで進み続けたのに1つも得てないじゃないか、と言われ続けた男だが、それも「何がしたいんだ」と明確なビジョンがなかったから
それは進んだのではなく言いなりになっただけ、家出してその言いなりから外れてみえたけど、結局それもレールから外れただけで「何がしたいのか」は見えていなかった

そんな中「スレッタに進めていない」と思ったが、それも本当の意味でやりたいことだったのか?
やりたいかどうか以前に、スレッタのことも、エースパイロットのことも、全て「父親との関係にケリをつけてから」でないと先に進められない

グエルはようやくそのことに気づいた。多分はっきりとした自覚はない、けど「父と自分をつなぐもの」にようやく向きあう覚悟を決めた
それを片付けずスレッタに進むことこそが「逃げ」だとわかっているだろう

主人公なのに、スレッタ…

スレッタが主人公なのにグエルの成長が主人公過ぎて、となるが、この作品は省略化がうまいので、グエルでたっぷりと見せた「挫折からの立ち直り」と似た場面を作り出すことで「グエルが辿った挫折と葛藤をスレッタも通った」と思わせてショートカットする手法を取るのではないかと思う

特に今作は特殊で実験的な面が多い、ヒロインスレッタの性格の主人公らしくなさも含め、決闘という制度や、恐らくエアリアル自身とクワイエットゼロに関わる仕掛けの肝(加えるなら本編の尺のなさ)で、主人公が戦闘での負けというわかりやすい挫折を描くことができないのではないか
それを示すように、無敗で負け知らずと言われているもエアリアルの謎覚醒で救われただけで実質負けと言っていい試合内容の方が多い

そもそもそれを言いだすなら、試合でない戦いをする作品の主人公は結果的に負け知らずじゃないと死んでしまうじゃないか

そういえば「実質的な負け、引き分け」を示すかのように、6話では決闘に賭けた「4号のことを教えてもらう」が中途半端にしか叶えられず、デートが反故になってたな


という感じと思った、という話
15話は新たな問題提起回で、具体的にどうなのかは16話以降で語られることになるだろう

それにしても「グエルとミオリネでモチーフとなったテンペストの王子役を分担している」という指摘に感心してからフォローさせてもらっている方がいるが、まさかそれが二人だけでなく、全方位あらゆるキャラクターに向けていたと徐々に思えてくるとまでは思わなかった

今はミオリネが蚊帳の外、いや籠の鳥状態で苦労知らずな点で色々言われてるのかな?自分の所にはあまり届いてないが

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