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ブータンの旅で感じたこと~カルチャーショックと葛藤~


19歳のとき、大学の教授の勧めでブータンに行った。

崖にへばりついたような道を進み、山の奥深くへと車は走った。

着いたのは、ブータン東部ペマガッツェル県のチモン村。

周囲を山で囲まれた盆地のような地形に、チベット仏教独特の祈祷旗が無数に立ち並んでいた。

村人たちは、暖かく迎え入れてくれた。
とにかく村の女性たちは明るく元気だ。

男性たちは、勇壮な出で立ちだった。

その村は、数年前に電気と道路が通ったばかりだった。

当時、村人たちにとって衝撃は大きかったようで、村の生活も大きく様変わりしたという。

車の走る道路さえ繋がっていなかった隔絶された地域が、ひとたび都市と結ばれると何が起こるのか。

若い世代が都市部へと流出していくのと引き換えに最新の情報通信機器が流入してくる。

過疎化の問題と"近代との衝突"を同時に経験するということになる。

それは日本が100年以上前から辿ってきた道でもあった。

ただ、その初期段階については、現代の日本人はイメージがしにくいとも言えるかもしれない。

私は、それでもなお伝統的な生活や文化が色濃く残り、中世の面影を残すその村を、美しいと感じた。

村の小学校に通う子供たちも朝は規律正しく朝礼に参加し国歌を歌う。瞑想の時間も毎日欠かさずとられている。

村の歌や踊りは健在で、その土地の文化を軽やかに表現する。目の前で披露され、その美しさに胸が熱くなった。

同時に、この文化や生活、人々の純粋さについて、"この先もずっとこのままでいてほしい"と思ってしまった。

文化や伝統芸能の保存は、いつの時代も重要なことである。

ただ、歴史とともに外の世界の情報が入ってくるのは止められない。

そして、人々の価値観や考え方も移ろいゆくものである。

それに対して、ふらっと立ち寄った外国人の観光客がこのままでいてほしいと思うのは、勝手だったかもしれない。

自分の価値観の押し付けと言われても仕方ない。

ツアーの中での議論を通して、そんな葛藤を心の内にしまいながら、旅は進んだ。


カルチャーショック、だけではない。

考え方も価値観も世界観も全てに亀裂と衝撃が走った旅ではあった。

日本人としての自分はこのままでいいのかとも悩んだ。

その葛藤と心の内にしまい込まれた慟哭を昇華するのにだいぶ時間がかかった。

それぞれの国が、それぞれの人が、それぞれの時間を歩んでいる。

その違いに気づけただけでも、十分じゃないか。

大きく転んでしまったけれど、そこから得た学びもまた大きかった。

ブータンは幸福度が世界一と言われているが、正確には世界で最も幸福の追求を目指し努力している国なのだ。

すでに達成した訳ではなく、現在進行形で模索している。

他の国と同じように、人々は悩み葛藤しては、ささやかな喜びをみつけて生きている。

「スマホの普及で幸福度が低下した」という単色的な見方は、ブータンのリアルにはそぐわない。

どこの国も同じように、近代化をすれば、それなりのショックや変化は付き物なのだ。

そんなブータンで、まさに近代化真っ最中の状況に遭遇できたことは幸運だった。

そこで得た学びや葛藤は、現代の地球社会を考えるうえでの大切な糧になっている。

近代化の果てに生きる私たち、近代化の始まりを経験しているブータン、双方が未来を考えるうえで必要な視点をもたらしてくれる。

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