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自分を知るということ

自分を知るということは、
どのようなことなのか。

これをいつも考えるわけである。

「自分は、この程度の人間だから、
このくらいの暮らしぶりが、
身分相応であり、まずまず満足で
ある」

自分自身に対するこのような
態度は、自分を知ることとは、
たいそうかけ離れていると考える
わけである。

では、自分を知るとは、いったい
どういうことなのか。

それは、「自分はなぜこの時代に、
日本国に、日本人として生まれた
のか」

そして、「自分はなぜこの家系に
生を授かり、この両親の下で育まれたのか」

このような命の根源についての問い。これに対する答えを発見すること。

これが「自分を知ること」なので
ある。

それゆえ、「自分を知る」ための
そのプロセスにおいて、天は、
さまざまな試練を用意しているので
ある。

なぜならば、本来の自分を知るためには、どうしても自分を離れなければ
ならないからである。

天が与えし艱難辛苦を通して、
自分を俯瞰し、自分を超えてゆく
必要があるのである。

つまり、自分を離れ、自分を超え、
本当の自分というモノ知ってゆく
のである。

このようなプロセスを重ね、
新たな自分を知るたびに、心は
満たされ、穏やかになってゆくので
ある。

なぜならば過去に直面した理不尽な
出来事の意味を理解することができて
くるからである。

自らを絶望の淵に陥れた
出来事にさえ、感謝できるように
なってくるからである。

このような心の状態を、
いわゆる幸福というわけである。

このような習慣で生きることで、
自らの命の使い方、使命といった
ことに気づいてゆくわけである。

自らの生きる意味、生きる理由は、
まさに、この一点にあると考える
わけである。

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