無形の世界を楽しむ

今年 母親の50年祭を迎えます。

50年も経ったのかとコマギレではあるけれども あの日の事は とても半世紀前の出来事とは思えない程 頭の中に今も残っています。

小学生だった私が冬休みも終わろうとする頃、母の危篤を知らせに隣のおじさんが慌てて我が家にやって来ました。
(父は母に付き添っていた為、夕暮れ兄と私が家にいました。我が家には車がないので、父が隣に電話をして私達を連れてきて欲しいと頼んだのでしょう)
私はだるまストーブでカレーを作っていました。
全てを途中にして、隣のおじさんの車で兄と共に病院に駆けつけました。
いつもの病室に母は居らず、ナースセンターの隣にある集中治療室に連れていかれました。
そこには、ビニールカーテンの中で目を閉じる母がいました。
隣町の病院に長く入院していた母、父はずっと関東に出稼ぎに出ていましたが、母の病気を機に地元で土木作業員として働くようになっていました。
入院費と慣れない家事をひとりで背負っている父に、母に会いたくてもバス代がかかる為『会いにいきたい』とは言えず、頻繁に会う事は出来ませんでした。
それでもたまに会いに行くと、母は必ず起きて向かえてくれていました。
けれどもこの日の母は初めて見る母の姿でした。

目を閉じ横たわる母に何故か近づけませんでした。

親戚が集まってきたと思う。
この辺りは曖昧な記憶です。
夕飯がまだだったので父が1階の売店の裏にある食堂に連れていってくれました。
こんな事態なのに、滅多に店で食べれなかった私は何を食べたのか覚えてないけれども「美味しい」という記憶だけが残っています。

病室の窓から夜空を見上げて『神様』と祈った事

細い足をさすった事

会話をする事も目を合わす事もなく、静かに息を引き取った母に、堰をきって泣く私に『泣くな!』と兄に怒鳴られた事
あれ以来、泣く事がいけない事のように思えて感情を殺す私が始まったように思います。
今 思えば、私につられて兄も泣きそうになったので 思わず叫んだんだと理解していますが…
何せ兄もまだ中学生でしたから。

その後父が40キロもない母を両腕に抱いて抱えたまま車で帰り、道路から家までの坂道を真っ黒な中抱えて家に帰った事

翌朝ものすごく寒くて、外がダイヤモンドダストでキラキラしていて とてもキレイだった事

隣組の婦人会のおばちゃん達がワイワイと台所で1週間全部やってくれて、二階の物干しには母の着ていた寝巻きが全部裏返しの北向きに干されて、『あー、死んだ人の洗濯物はこうして干すんだ』と思った事

深いたらいのような棺桶に多分座るように母が入れられて、三角の紙を頭に付けた人達が沢山、家からお寺までを 親族が長い行列で歩いた事

母の写真を持ちたかったのに、なにか別のものを持たされ不満だった事

途中、近所の人達が出て手を合わせていた事

土葬で埋められるその場に止められて行けなかった事

埋められた母のお墓はこんもりと真新しい土の山が出来ていて そのてっぺんから突き出ている竹の棒をつつくと コンコンと棺桶に届き、母に届く事


そして 全てが終わると一気に淋しくなった事

入院するまでは 腰まであった長い私の髪を毎朝三つ編みにしてくれた母
入院中に自分で三つ編みが出来るようになった

母が亡くなり、父の通う床屋でバッサリ肩まで切った
その髪の毛は今もあります。

もし、神様が願い事をたったひとつ叶えてあげようと言ったら、私は50年変わらず願いはひとつ
『もう一度、もう一度、母ちゃんにあいたい』



娘に赤ちゃんが授かり、予定日を聞くと5月。
5月?
確か、母の誕生日は5月だったような…
兄に聞いてみた
覚えてない…との事
(母親の誕生日を子供が覚えてないというのは如何なものかと思うかもしれませんが、当時の我が家は家族の誕生日だからといってケーキが出るはずもなく、クリスマスだってケーキなんて食べれず、だからか、家族の誕生日を待ちわびる事がないからか私は兄の誕生日も記憶に留めてなかったのです)

私は確かどこかで聞いた…
教会の霊祭でその年、年祭に当たっている方々の名前が貼り出され、それを見て
年祭が50年祭までなのはなぜか と聞いた事があって
すると、お出直しされた方は、50年のうちには、生まれ変わっているからなんです と。

母の50年祭の この年に娘が赤ちゃんを授かっただけでも 結びつけずにはおれないのに、もし母の誕生日が5月なら娘のお腹の赤ちゃんは母に違いない!

母に会える!

もう、私の中で 確信したくてあちこちに母の誕生日を聞いてみたのですが、誰も覚えていません。
すると兄が、『ちょっと面倒だけど母ちゃんの戸籍謄本取ったら分かるよ』と。

もうこうなったら知りたくて仕方がないんです。
しかし、母の本籍地は遠く、簡単に取りに行けませんから、郵送での申請という方法を知り、それならこの際 母親が亡くなってから疎遠だった母方の事も知りたくなって、NHKのファミリーヒストリーみたいに家系図を作ってみたいと思い立ち、母に関しての知る限り全部を申請してみました。
その市役所の市民課は、大変親切に こんな面倒な頼みを日数をかけて調べてくださいました。
費用も少しかかりましたが、届いた戸籍謄本は100枚弱。
古くは、200年前以上前の先祖までたどり着く事が出来ました。

そうそう、一番知りたかった母親の誕生日が判明。
5月でした!
母の誕生日と娘の出産予定日、そして母の50年祭!

『母ちゃんにまた会える…』

願ったとて 決して逢えるはずのない母だと知りつつも、それでも「逢いたい」と何百回願っただろうか…その母ちゃんに逢える!!


こういう事は、証明する事でも説明する事でもなく、そう本人が思うのですから そうなんです!

こういう事が人の心を救う宗教の力、「信じる者は救われる」なのではないでしょうか


ところで、天理教に入信し、初めての教会の霊祭を迎える時に、母親を新合祀に…と声を頂きました。

母は当時東北の田舎のお寺に眠っていて
『南無阿弥陀仏のお寺さんと もうひとつ ここにも入れるのってどうなんだろう』と私のように代々天理教ではない人ならよぎる不安なのではないでしょうか

すると、仏教を始めた人も親神様が創られた人間なんだと
天理教も曹洞宗も別物ではなく、要するに全ては親神様が創られたもので、総本山に合祀して貰う そんな意味合いとして理解し、
何より心に響いたのは、出直された方にも徳を積んであげられるのだ と。
魂に徳を積めば生まれ変わる来世は もっと幸せな人生が送れるのだと。
それならば と、母を合祀したのでした。

けれども そんな私も歳を重ね霊祭やら年祭やら数々の宗派の違うお葬式やらお墓参りやらを経験するうちに、これらの行いは故人の為にしているようで、実は この世に生きている故人を愛する私達の為にあるのだと思うようになりました。

生きている者の慰めなのだと。
様々な宗教が、人が亡くなった後の事を其々に諭していますが、その根本的な目的は、この世に生きている人間が不安なく、希望を持って生きる為にと説かれているのだと思うのです。

そう思うと、私もいずれ霊様になって私のお墓の前で子供達が、『これからも見守ってくださいね』って手を合わせるのだと思うんです

残念ながら そこには私はいませんし、その願いを聞く事も出来ません。

でも、子供達にとっては、お墓の前でお願いする事で、守って貰えると安心し、届いていると信じて日常の生活が送れるのです。
そう思うと、出直した後も愛する家族の心の支えになっていられる自分がいる。
出直したら家族に何も出来ないという空しさが、この気付きによって大分薄らぎました。


ところで、


家系図を作るというのは 結構 頭を使う作業でした。
昔の戸籍謄本は手書きで、変体仮名で書かれていて読めない名前が結構ありました。。
その前に、昔の漢数字から調べる初歩的な作業からの始まりでもありました。

「朔」が一日? へー
壱、壹   はぃはぃ
弐、貳   まぁまぁはぃはぃ
参     はぃはぃ
肆     は?
伍    まぁそうね
陸    いゃいゃ りくでしょ
漆、質、染   はー?
捌    ん?
玖    知らん
拾    そうね
廿    はー…

とまぁ、調べる度に こんな言葉が漏れる学のなさ

しかし、一枚一枚解読出来る楽しさに、時間を忘れてのめり込みました。
何度も何度も図を書き変え、何せ昔は、姪が妻になったり、叔母が妻になったり、ホントに昔は小さな世界で家を守った事が分かります。

代々続く名家ならきっと、仏壇の引き出しにでも巻物でずらーっと家系図が書き足され伝えられているのでしょうが、こうして調べていると、ご先祖様を知りたくても時代の中に焼失やら保管期限が過ぎての処分やらと、知りたくても知りようがなくなる事を知り、ならば私が今知り得る限りを後世に残そうなぞと ひとりで大役をかったかのような気分で取りかかりました。
今は 家系図アプリなるものもありまして手書きとアプリの両方がある程度出来上がりました。
問題は主人側です。
何故かというと、戸籍謄本は直系でなければ申請出来ないからです。
なので、主人側を調べるには親をたどり、その親の本籍地の市役所に委任状を取りに行き、それをあんまり乗り気ではない主人に書いて貰い、再度その本籍地のある市役所に委任状を持って私が申請に行く。
これがはかどらなくて まだ明治止まりです。

子供達に努力の結晶の家系図を見せましたが 『へー』くらいの反応です。
まぁ、まだ若いから仕方がないのですが、でも いづれ 「よくぞ調べておいてくれた」と何代か後の子孫が言ってくれる事を期待して これ以上は無理というところまで調べようと思っています。

これも私の終活のひとつです。


これも何かで読んで頭に残っているのですが

生まれ変わりは、数世代の中で生まれ変わるのだと。

だとすると、
私が申請した戸籍謄本では7代前までの親族を知ることが出来ました。

この中に 前世の私がいるのかもしれませんよね

私本人が気づかずに前世の私を家系図に載せているのかもしれませんよね

そんな事を思うのも面白くて これも信じる信じないは それぞれで

これが宗教で、

そんな世界を信じる事は とても豊かな心が持てると思うのです。 

生きていく上では目の前にある日常を追いかけるだけではなく、形では何の得にもならない妄想も夢や希望に繋がり、結果 生きる事が なんとなくではなく意味を持ち楽しめる。

そう思うのです。


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