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濱口監督は本当に悪い人だよなあ…と実感できる映画『悪は存在しない』

いやまあ、濱口竜介監督作品を観るのだから居心地の悪さを感じるに決まっていて。嫌だなあ…と覚悟して足を運んだのですが(褒めてます)そんな気持ちで太刀打ちできる訳もなく。いやはや凄い映画でした。最期のあの場所、あの空間をぼくはずっと忘れないと思う。放り出された。

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『悪は存在しない』は解説も解釈も読みたくないなと思う映画でした。ぼくはもう受け取ったんだから。宙ぶらりんなままあの場所のことを考えていくんだと思います。たまたま読んだこの随筆でふとあの場所を思い浮かべたり。

映画好きの上司が『悪は存在しない』を観ていたのでラストの感想を聞くとぼくとは全然違う捉え方(善性であり神聖)をしていて。上司もそういうタイプの人間なので、なるほどこれは「鑑賞者の人柄」が出る映画でもあるんだ…と思いました。鏡のように。

ぼく自身はどうかというと、『悪は存在しない』のラストシーンを観ながら「おれは今いったい何を見ているんだ…」とずっと思っていました。頭の中はそれでいっぱいでした。見終わった後も「おれはいったい何を見たんだ…」とずっと考えています。

お風呂に入る度に「そうか。タイトルを『原因はない。結果はある』に置き換えるのも可能かもな…」と思ったり、ラストで娘が手負いにはなるのだけど、実は父親の巧も手負いだったと捉えるといろいろ腹落ちするなあ…と考えたりしています。こうやって何度も反芻して考え続ける映画なんだと思います。答えを求めるのではなく。

そんな風に『悪は存在しない』を体験した上で、濱口竜介監督によるこのコメントを読むと「本当に悪い人だよなあ…」としみじみ思います。褒めてます。

そして、映画は、突如衝撃的なクライマックスを迎える。それは、観る者を当惑させるかもしれない。

「どう解釈していただいても構わない、というのが大前提です。ただ、単に荒唐無稽なものというよりは、私自身は奇妙な納得感を感じつつ書いたり、撮ったりしていました。結局あの場面で誰もが受け取るものは、個人の中に潜んでいる暴力性の噴出みたいなものです。それが少なくとも映画の中にはっきり存在している。観客は当然、それを悪と見なしたい気持ちを強く持つと思います。
ところが、この映画には『悪は存在しない』というタイトルがついている。観客はそれを単に悪と見なすことを禁じられながら観る。タイトルと内容の緊張関係の最も高まるその瞬間、その体験こそが面白いものでは、と思ってつくっています

https://brutus.jp/akuhasonzaishinai/


『悪は存在しない』

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