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EPISODE 0 / IN HEADを立ち上げる事になった経緯と理由

おはようございます、こんにちは、こんばんは。
斉藤です。


私斉藤はIN HEADという古着屋をBASEにて持ち、運営しています。
まあ、運営と言っても大層な事をしているわけではなく、現状趣味の延長くらいの規模感です。

通常このような”私○○のオーナー、○○○○がショップを立ち上げた理由”のような文章に価値が出るのは、そのショップ自体が有名になってからのお話。
「このショップのオーナーはどんな事を考えながら今に至ったのだろうか?」と興味が出て、もしくはブランディングの観点から自叙伝的な物が出版・公開されたりして人の目に触れる物でしょう。

この記事に(まだ)価値がないのは重々承知ですが、私がIN HEADを立ち上げるまでには自分が思っているよりもストーリー性がある気がしているので、自己紹介として作っておこうと思います。

自己紹介

斉藤と申します。
1993年生まれで今年30歳になりましたが、未だに「もうちょっと若いと思っていました」が付き纏います。
年相応に見られる為に髪も髭も伸ばしているんですけどね、いつになったら歳に追いつける顔立ちになれるのか、、、

大学卒業までを北海道札幌で過ごし、新卒で入った会社も北海道での採用でした。
3年で退職し、退職後に紆余曲折思うところあり、スーツケース1つで上京(千葉)。
現在もそこから発信しております。

趣味といたしましては、古着、映画(特に90s洋画)、音楽、料理、本、飲み歩きなどなど。
これは自分の事を貶して言うのですが、”毎月POPYE読んで、その内容がなりたい自分像であり、尚且つなったつもりになっている勘違い野郎”みたいな趣味です。

IN HEADというオンライン古着屋を先日立ち上げ、自身で買い付けした商品を売っています。
何のブランドを中心にですとか、どのカルチャー・年代の視点からですとかではなく本当に自分のその時ときめいた物を仕入れるように心掛けています。
日々の気分や天気、行く場所、会う人などに寄って考え方や感じ方が変わる頭の中/IN HEAD を形にする事を誰かと一緒になって考える、そんな空間作りを目指してやっております。
今は古着だけを扱っていますが、別の商材も今後考えておりますので以後ご贔屓にお願い致します。

IN HEADを立ち上げる事になった理由

私がIN HEADを立ち上げる事になった理由を簡単に

古着との出会いと店舗経営をしたいと思い始めたキッカケ 大学時代

私が古着と出会ったのは大学浪人時代。
授業サボって予備校で出会った友達の大野君と古着を見に行きました。
私は服は好きでしたが古着という物に触れた事がなく、それに対し大野君は古着も含め服とその周辺のカルチャー全体が好きで良く話をしていた気がします。
まあ、一番話が合ったのは服の話でも受験の話でもなくスターウォーズの話だったと思いますが。

最初に古着を回ろうと約束した日に札幌中心部にある古着屋の有名所をサラッと全て当たってみようという事になり、REAL MONKEYさん、HIGHPOSITIONさん、unpluggedさん、LEAFさん、back in the daysさん等々、、、
今でも札幌の古着屋を代表するような場所に連れて行ってもらいました。
「1度行ったことがあれば一人でも入れると思うよ」と、古着屋に入るという敷居を低くしてくれた大野君、なかなか気の利く奴です。
そんな中私が気に入ったのがKOKO-TEAさん。

KOKO-TEAは2015年10月に閉店しています。
私の大学生活の中心にあったショップというのはKOKOともう1つ後述するcafe barくらいなもんだと勝手に思っています、美談にしようとかそういう訳ではなく本当に。

オーナーのKOKOさんとは実際に話したことおそらくないと思いますが、当時通っていた際のstaffの皆さん、SHOTAさん、TOSHIさん、RYUさんに古着を教えて頂きました。
本当新品しか着ていなかった大学時代の僕を下着以外古着にした張本人達です、本当にお世話になりました。(その後もずっとお世話になってますが)

当時を振り返ると色んな思い出が出てきて長くなりそうなので本題に戻しますが、私はこのKOKO-TEAという古着屋を人との待ち合わせや飲みの予定の前の”時間潰し”に使っていました。
本当に失礼な奴ですよ、大学生でそんなにお金を落とせる人間でもありませんでしたし。
1度SHOTAさんに「お前時間潰すのにうち使ってんじゃねえよ」と怒られた事がありますがめげずに通っていました。

ですが、そんな私を受け入れてくれて古着や服以外の話をしてくれるstaffの皆さんやお客さん、KOKO-TEAという店舗の居心地の良い雰囲気が大好きでした。

KOKO-TEAが閉店するその日。
大学が終わり店頭に向かったと思います。
いつも全員いる事がないstaffさんが皆居て、よく見るお客さんも挨拶に来て最後に何を買おうかと吟味していたり、顔馴染みのお客さん同士が話をしていたり。
古着屋としてそんなに大きな店舗ではなかったので込み合った店内でしたが、それぞれ皆がKOKO-TEAに想いを持ってその場にいるのは間違いありませんでした。
閉店しシャッターが閉まったKOKO-TEAを見て、何か1つ大事な場所がなくなってしまったと思ったのを今でも覚えています。

KOKO-TEAが閉店する日にSHOTAさんと選んだフィッシャーマンニット。
当時まだフィッシャーマンを持っておらずアイボリーと迷っていた時に、「アイボリーいつでも買えるからカラー物買っとけ」と背中を押してもらいました。
その後も古着を見続けていますが、このカラーは1度も見た事ない。
KOKO-TEAが入っていたビルが取り壊しになる時に撮った写真



KOKO-TEAの思い出と並行して、私の大学生活にはもう1つ大事なお店があります。
それがcafe bar ISSO。


KOKOの後にISSOに行って1杯飲んでから飲み会に向かう、飲み会後にISSOで飲み直す、そんな大学生生活だったんじゃないですかね、大学生としては0点ですね、、、

ISSOも私のたまり場でした。
結構1人でふらっと寄る事が出来るようなお店で、ビルの4階にあるので知っている人じゃないと入りにくいお店だったかもしれません。
そういえばISSOを知ったのもISSO開店の際にKOKO-TEAのPOP UPをやったからでしたね。
なのでISSOはオープンのパーティーの時から行ってるって事か、、感慨深いです。

ISSOは店の雰囲気が抜群です。
今はなくなってしまっているはずですが、オープンから数年は天井に紫陽花のドライフラワーを飾っており私の中でISSOといえば紫陽花の天井のイメージでした。
そしてdeer horn smith'sの鹿角のシャンデリア。
vintageのソファーやディスプレイ。
オーナーのSHINYAさんは木工も出来る方でテーブルを作成していたりもしていました。
ISSOでアブサンの美味しさを教えてくれたのはSHINYAさんでしたね。

そんなISSOはイベントスペースとして使われることもあり、POP UPやライブ等色んな使い方が出来る場所です。
その為、色んな事をやっている人に会うことが出来て、お客さん同士で話すことも楽しかったです。
お客さん同士で意気投合して次のイベントが決まったりしたこともありました。

そんな空間を作っていく楽しさを教えてくれたISSO。
ISSOで遊び出して1年くらいした頃にはもう酔っ払えば「僕も何か自分でやりたいです」とSHINYAさんとカウンター越しに話していた気がします。

そんな2つの店舗があったから、古着×cafe barという自分の好きなKOKO-TEAとISSOをごった煮にしたような雰囲気の良い”空間”を作りたいと大学卒業後には漠然と思うようになっていました。


いや、お前店舗経営やってないじゃん! 新卒時代

そうです。
私こんなに自分語りしてますが、まだ実店舗持ってないんですよね。

あのー、私かなりのビビリ人間でして、、、お金を借りて何かをするなんて大きな事がその頃何も考えられなかったんですよね、、、

新卒での就職先もある程度安定する、「ここで働いてりゃ大丈夫でしょ!」の場所を選びました。
新卒で働き始めて、空いた時間に店舗の事を考えながらお金を貯めていこうと思っていたのですが、そう甘くありませんでした。

かなり残業の多い職種でして、帰っては寝て次の日出勤するの繰り返し。
そして極め付けになんせ仕事の内容が面白くなかったんです。

好きな物を仕事にしたいというのが元々ありましたので、就職活動も業界を絞ってしていました。
本来は理系で専門分野として専攻していないと関われない業種だったのですが、営業であれば入れると気付き、営業職として採用。
お客様のより良い空間を提案出来るような仕事だと思っていたのですが、実際には月のノルマを達成する為に早まった契約をしたり、お客様が納得されない部分を値段で解決したりと建設的な自分もお客様も納得いく営業が出来ない状態でした、私の働き方も悪かったと思います。

そして3年が経とうとした時に私はプツっと糸が切れたように退職しました。

その時思ったんです。
「あー、ビビって3年を棒に振ったな。」と。


ニート期間

転職活動もしていましたが上手く行っておらず、次が決まってから辞めなきゃ精神のビビリの私がニートになる事になりました。

何も考えずとりあえず札幌の実家に戻ったわけですが、実はこれが良い働きをします。
収入が急に無くなったビビリの私なら普通何かとりあえずバイトでもするかとなるのですが、母親から思わぬ一言。

「一回休みなさい。」と。

割とレールが引かれた真面目な人生を歩むのが良いと考える家庭に生まれたと思っていたのこの言葉は意外でした。
そんなこんなで私はフラフラ出来る自由の身になりました。

まず私がやった事は、「自宅でパソコン1つで稼げる何か好きな事を見つける」という事。
これも友人の入れ知恵でして、たまたまその時良くして頂いていた方がフリーランスで生計を立てている方でした。
元々好きな事を仕事にして生きて行きたいと思っていた私だったので、身軽になった私はまずは勉強する所から始める事にしました。

ネットで仕事を取れる事を知ってやった物としてはライター業務、動画編集、ネットページデザイン/簡単なコーディング。
お小遣い程度でしたが、毎月収入があり、好きな事でお金を貰えている事に嬉しさを感じていました。

そんな事をやりながら過ごしているとやっぱりそれで生計を立てたくなってきます。
大学時代からずっと頭の片隅にあった”自分の好きな空間を誰かに提供したい”という店舗経営。
時間もたくさんあったので、自身で店舗持つんだったらこうしたいな、あの店舗のこういう所を真似したいな、をノートに貯めておく日々を送っていました。

前職の貯金が底を突きそうになった時に1つ転機がありました。

「社宅から持ち家に引っ越すからちょっとの間社宅として借りてるマンション空くけど、関東来てみたら?」

ビビリの北海道から出る事を全く考えていなかった昔の私とは違い、今自分がここにいる事に価値もなければ、失う物も守るべきプライド(ニートなので)も何もありません。

ネットで稼いでいたお小遣いをかき集め、次の週関東に行ける一番安いチケットを購入。
その日の夕飯家族が集まった際に、

「おれ来週から関東行ってくるわ、1ヶ月くらい家賃なく住めるから向こうで仕事と家見つかったら帰ってこないから、自分でやりたい事探しに行ってくる」と。

「無職が家見つけられるわけないだろ!」や「やりたい事で生活出来るわけないだろ」、「早く就職しろ」など散々小言を言われましたが、不思議にも案外「気晴らしだと思ってやるだけやってきな」と背中を押してくれる両親でした。
本当にダメ息子ですまんね。


IN HEAD立ち上げ 現在

まあ、色々ブッ飛ばしますが今現在私は関東に住んでおり、この度IN HEADを立ち上げる事になりました。

なんかよくわかりませんがダメ元で不動産屋に行き、無職と言えば門前払いだと思っていましたが、そうでもなくあっさり契約。
「ヤバイ収入足りねえぞ」と家の契約をしたその足で派遣会社に登録。
最初の数ヶ月はなんとか生きていくのがやっとでした。

そして今。
古着×cafe barという営業形態で店舗を持つべく、まず古着をネットショップIN HEADから、アルバイトで飲食を2店舗掛け持ちで少しずつですが動き始めています。

大学時代からずっと考え(妄想)ていた空間のアイディアだけはたくさんあります。
そして今実店舗を持たないという形態からスタートしたIN HEADに如何にして”実店舗のような面白さ”を付けていくのかのアイディアも出揃ってきました。

ネットが普及している今、【半実店舗】のような形で皆さんに商品の提案を出来るのではないかと、実際にはないのに【空間 / 雰囲気】としての面白さを提案出来るのではないかと、ワクワクは膨らむばかりです。

ちゃんと実現しような、私。


終わりに

これだけ自分語りしていて実現しなかったら本当に恥ずかしい話ですね。
IN HEADもまだ友人にしか知られていないようなショップです。
しっかり露出していけるように考えて動いて行かなければなりません。

先にも書きましたが、こんな文章に価値が出るのはまだまだ先の話。
「そう言えばあのIN HEADっての、最初ネットショップから始まってるんだってさ」と呑んでいる時にふっと話に上がり、こんな恥ずかしいnoteに辿り付いてもらえるようなそんな時が、いつか来るのかもしれません。

そして私がKOKO-TEAやISSOで思ったように、「自分もこんな空間を作りたい」と誰かに思ってもらえるようなそんな場所にIN HEADがなる日を願って。

これからのお楽しみにして頂ければと思います。

終わり。





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