amazarashi - 「僕が死のうと思ったのは」を聴きながら。不安定な自分=等身大の自分。

「僕」が死のうと思った、その理由。

ー海猫が桟橋で鳴いたから

ー誕生日に杏の花が咲いたから

ー心が空っぽになったから

ー靴紐が解けたから(結び直すのは苦手なんだよ 人とのつながりもまた然り)

ー少年が僕を見つめていたから

ー冷たい人と言われたから

ーあなたが綺麗に笑うから

この曲を聴くと、安心する。
私も、きっと人からしたら「ささいなこと」で、死にたくなる人で、共感するからかな。

安心材料としてなのか、聴き始めると何度も繰り返し聞いてしまう。
そして、秋田ひろむさんと同じ時代を生きれることに感謝して、良かったなと感じる。

以前、中島美嘉ver.の動画も載せたけれど、最近はamazarashiの気分。



気持ちが上がっては下がって、でも落ち切ってはなくて。
なんとか、頑張って生きようとしている自分に気づいて、そしてこの曲を聴いて救われる。

頑張れないから、頑張れないのに、気づくといつも頑張ってしまう、から。

頑張って頑張って、疲れ切ってしまうから。

そういう矛盾と

救われたいとどこか願っている私がいることに気づいてしまって。

ーー満たされたいと泣いているのは きっと満たされたいと願うから

ーー愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから

ーー死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きることに真面目すぎるから

(歌詞を書くだけで泣けてくる…!)

そして、いつも最後、泣いてしまうんだよな。

〝僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような 人が生まれた 世界を少し好きになったよ
あなたのような 人が生きてる 世界に少し期待するよ”

私にとって、この曲でいう「あなた」はいるのだろうか。

どこにも、いない(というか、うまく愛着形成できなかった両親からしか得られないものがある気がして)とわかってしまって、そんな涙なのかもしれない。

すごく落ちているわけではない。
むしろ、ある意味、平常運転な気がする。

不安定な自分=等身大の自分。

頑張ってしまっている時は、過食や過集中、睡眠過多になりがち。
不安定な私と、仲良く生きてゆくしかない。

ずっと雲が広がってる空に、時々刺す光、時々訪れる穏やかな空を、知ってしまっているから。

まだ、今はまだ。
もう少しだけ、少し期待してみる、か。

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