見出し画像

宗教の不思議

noteの様な場所で、宗教のようなテーマで書くことは相応しくないのかもしれないが、いくつになっても理解出来ないので取り上げてみたい。

まず、個人的には宗教に付随する神社仏閣や教会など歴史あるものは好きで、特に仏像には興味もあり、京都や奈良での仏像巡りは結構した。鎌倉の座禅会にも数回参加したこともある。長崎に旅行した時には大浦天主堂にも行きミサの見学もした。

新約聖書や禅、仏教に関する本も結構読んできた。

ただ、神が存在するとか、死後の世界があるとか、そういう確かな実感が得られないものに対しては、信じることが出来ない。

信仰心があった方が幸福感が高くなる、という実際的な理由によって、信仰出来たら良いと頭で考えてはいるのだが、大変失礼な感覚だが、人間が感じ、考え出したおとぎ話としか思えないのだ。

信仰心がある人にとっては、神が存在することが真実だと感じられるのだろうが、自分には無理なのだ。荒唐無稽なストーリーとしか思えない。

この感覚、認知の差はどこから来るのだろうか?

人間や自然の存在自体が奇跡的だと思うし、人間をはるかに超越したものの存在を想定しないと説明がつかないのかもしれない。

ただ、圧倒的な時間こそがそれらを創り出したのだろう。
まだ現時点の人類では解明出来ない事象も、神の存在を持ち出さなくても説明出来るようになっていくのだろうと思う。

ただ、神秘的と思える感覚は大切にしたい。
こんな考えをnoteというプラットフォームに書いている私という存在自体が、メチャクチャ不思議なことではある。

その驚きは大切にして、世界を眺め続けていきたい。
神の御業ではないと有り得ない?のですかね?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?