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「自衛隊員射殺速報を大真面目に考える」日本航空123便墜落事故(6)

フェイク・ニュースの困ったところは、同じようなニュースが何度も繰り返し、同じようなパニックを引き起こすということだ。偽の情報は本物の情報よりも早く広まり、人々の行動を誤った方向に導く。情報は偽物でも、行動は本物で、それによる影響も本物である。

「デマの影響力」シナン・アラル著 ダイヤモンド社 2022年

 日航機墜落事故の都市伝説じみたエピソードの一つに、「123便がレーダーから消えた速報の後に、救助に向かおうとした自衛隊員が射殺された速報が入った」というものがある。これは、沢山の人間の記憶に残っているらしく、現在でも見たことを主張する人をブログやSNSで見ることができる。陰謀論絡みや自衛隊との関係性を掘り下げようとすると必ずこの射殺速報は出てくる。

 では、その速報はどのようなものだったのであろうか。大まかな概要は以下の通りである。

1985年8月12日20時ごろ、
 NHK速報のテロップが入る。
 「待機命令を無視して救助に行こうとした隊員を射殺」 
 その後NHKのアナウンサーが伝える。「ただいま長野県警から入った情報です。現地に救助に向かった自衛隊員数名が、何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。続報が入り次第お伝えします」
 さらにその後に時間は不明だが誤報のアナウンスが入る。
 「先ほど、自衛隊員が何者かに襲撃され死者が数名出たとお伝えしましたが、誤報だった模様です」
 以上の概要である。なお、この内容にはいくつかの亜種がある。他のソースでは以下のようにある。
 NHK速報のテロップが入る。
 「20:00 上野村三岐待機自衛隊一群到着。待機命令に反して怪我人救助を急いだ自衛隊員1人射殺」
また他のソースでは、
 1985年8月12日夕刻、NHKテレビにニュース速報のテロップが流れる。
 「自衛隊員2名が射殺されました。救助の待機命令に違反した為という事です」
 暫くして、画面に男性アナウンサーが現れて「先程のテロップは誤報でした」と訂正が入る。

 エピソードの内容はほぼこれだけなのだが、インパクトと共にこの事故を掘り下げると必ず出現する。
 純粋な感想として、この内容といい幾つかの亜種の存在といい、これらの話は都市伝説にしか聞こえない。この話がなぜこれほどまでに長く語り継がれているのかも不思議だ。
 少なくともこれらエピソードで共通しているのは、
 ①自衛隊員が撃たれ死亡した(理由は定かではない。襲撃説と命令無視説がある。また、死亡した人数も定かではない)
 ②夕方から20時ごろまでの間であった。
 ③誤報であることが報じられた。
 ④長野県警からの情報であった。
という内容だ。
 そもそもこの日本で命令違反により射殺されるなどという事態は起こりうるのだろうか。もし、命令違反であったとしても、救助活動になぜ銃を携行していたのだろうか。さらに、襲撃されたとするならば誰によるものなのだろうか。
 陰謀論界隈では自衛隊の特殊部隊による隠密行動とか、米軍特殊部隊とかそういう穏やかでない方々が出てくるが、そこまでの陰謀が存在するのだとしたらもはや解き明かすことはできないだろうし、私の興味はない。ただし、デマゴギーが成長した可能性があり、それならば非常に興味がある。前回の無人標的機誤射説といい、自衛隊による陰謀論について検証してみたい。

 まず、当たり前だが自衛官は銃は訓練、任務のときだけ武器庫から出して携行する。日本では個人の拳銃の所持は銃砲刀剣類所持等取締法で禁止されているが、警察官や自衛官など特別な公務員および、 国際的な競技会で拳銃等を利用する選手(国内で50人まで)に関しては所持が許可されている。
 自衛官は「銃砲刀剣類所持等取締法 第3条1号」の法令に基づき職務のため所持する場合及び「自衛隊法 第87条」で自衛隊は、その任務の遂行に必要な武器を保有することができるという法令に基づき、拳銃を所持することができる。
 また、自衛官は拳銃を所持できる階級や職種が決まっており、陸上自衛隊では幹部自衛官、戦車の車長、無反動砲等の砲手、警務隊、中央即応連隊など、 海上自衛隊では幹部自衛官、護衛艦付き立入検査隊、陸警隊、警務隊、特別警備隊など、航空自衛隊では幹部自衛官、基地警備隊、基地防空隊、警務隊などとなっている。
 やはり人命救助でそもそも銃を携行するとはとても思えないが、頑張って妄想してみると、待機中の隊員がいつまでも出発しないことに豪を煮やし勝手に出発しようとしたところを上官に静止された。しかしそれでも静止に従わなかったことから撃たれた、ということになるのだが、やはりどう考えてもあり得ない。
 さらに、「自衛隊の武器等の防護のための武器の使用」について、第九十五条では、「自衛官は、自衛隊の武器、弾薬、火薬、船舶、航空機、車両、有線電気通信設備、無線設備又は液体燃料(以下「武器等」という)を職務上警護するに当たり、人又は武器等を防護するため必要であると認める相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる。ただし、刑法第三十六条又は第三十七条に該当する場合のほか、人に危害を与えてはならない」とあり、「自衛隊の施設の警護のための武器の使用」第九十五条の三では、「自衛官は、本邦内にある自衛隊の施設であつて、自衛隊の武器等を保管し、収容し若しくは整備するための施設設備、営舎又は港湾若しくは飛行場に係る施設設備が所在するものを職務上警護するに当たり、当該職務を遂行するため又は自己若しくは他人を防護するため必要であると認める相当の理由がある場合には、当該施設内において、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる。ただし、刑法第三十六条又は第三十七条に該当する場合のほか、人に危害を与えてはならない」とある。
 やはり、何度も言うが、航空機事故の救助任務で銃を携行していること自体がかなりおかしい。基地内で暴動でも起きない限り銃の使用などまず無いだろう。
 「射殺されるほどの何か」は極秘任務や隠蔽を想像させるには十分すぎる話題ではある。さらに正式に公表されているこの日の自衛隊の動きを見てみよう。

8月12日 時間は不明
 航空自衛隊はスコーク7700をキャッチし、エスコートスクランブルを上申するが、民間機に対する前例はなかったため実施されず。
18:57
 JAL123便がレーダーから消える。
19:01
 防衛庁は救難調整本部から123便がレーダーから消えた旨の情報を受け、緊急事態として対領空侵犯措置のため茨城県百里基地からF-4ファントム2機が緊急発進する。
19時過ぎ
 消防庁が長野・群馬・埼玉の現地消防本部に出動・捜索の命令を出す。東京消防庁に対して出動要請の待機命令を出す。
19:15
 米軍機C-130が現場の火災を発見。
19:21
 F-4EJ 2機が上空から炎を確認している。
19:30
 航空自衛隊から運輸省に対し出動要請を申し入れる。
19:54
 運輸省が要請を出さないため、航空自衛隊はヘリコプターV-107型機を見切り発進させる。
20:00
 群馬県相馬原の第12師団偵察隊と長野県松本の第12師団、第13師団普通科連隊の情報小隊の一部が出動態勢を維持していた。群馬県多野藤岡消防本部消防職員25名が現地出動。
20:30
 消防庁は「日航機事故災害対策連絡室」を設置。長野県佐久広域消防本部消防職員22名及び北相木村、南相木村、川上村の消防団員79名がそれぞれ御座山一帯を翌朝まで捜索している。佐久町消防団員10名が十国峠、臼田町消防団員6名が田口峠に出動している。
20:33
 運輸省から航空自衛隊に対して災害派遣要請。
20:40
 航空自衛隊入間基地から先遣隊30名が出発。
20:42
 V-107が炎を確認。
21:00
 政府は総理府に「日航機事故対策本部」を設置。埼玉県秩父広域消本部消防職員13名が群馬県境付近の志賀坂峠及び八丁峠に出動。
22:00
 群馬県は事故対策本部を設置。
13日 1:01
 548名の先遣隊が出発。

 実際の関係各所の動きは以上のようになる。確かに、20時ごろは長野県側では、陸上自衛隊第12師団と13師団情報小隊が出動命令を待っている。
 実際にレーダーから消えてからすぐに動きを見せているのはもちろん航空自衛隊のみだ。横田基地も動いているが、20時ごろといえばまだ米軍機により山岳地帯で燃える炎が目視されている程度だ。何が言いたいかというと、その時間ではまだ全体への命令系統すら動いていないのだ。
 なお、長野県側に待機していた「第12師団」とは、栃木、群馬、新潟、長野4県の防衛警備を担任する部隊である。その中の長野県松本駐屯地にいた「第13普通科連隊」は明治41年より松本市に駐屯し、帝国陸軍歩兵第50連隊の伝統を受け継ぐ健脚を誇る部隊とされ、山岳レンジャー訓練という特殊な訓練が行われている山岳のプロたちだ。
 そして13師団「情報小隊」とは航空機で撮影した写真、映像、各種レーダーやアンテナで傍受した電磁波、音響や赤外線など、部隊が作戦行動を起こす際に必要な情報の収集、処理を行う部隊である。主にオートバイを使用した偵察活動を行い、作戦遂行に必要な情報の収集・処理を行う部隊だ。
 もし出動命令を待たずにすぐに動いたのならばこの情報小隊ということになりそうだ。そういえば、この情報小隊らしき部隊が活動していたとする都市伝説的エピソード話があった。
 それはM氏という地元住民を名乗る方が、オフロードバイクで事故当日に事件現場に到達した時に既に自衛隊員がいたという証言だ。この証言は、2009年に「(新)日本の黒い霧」というブログを運営している方がM氏からヒアリングしたとされる。その内容はこうだ。
 当時お盆帰省中だったM氏は事故の速報を知り、墜落現場であったとされる北相木村付近と、川上村に居住している知り合いに電話をかけ尋ねたところ、どちらも墜落は確認できていないと聞いた。残るは南相木村の山間部しかないと思い、高校時代の友人2名とオフロードバイクに乗り出発し、21時ごろまでには南相木村からの林道に入っていたらしい。その後、上空で2機の戦闘機が旋回している音を目標に可能な限り林道を進み、その後は徒歩で山に入った。M氏が言うには、警察の白バイも途中まで着いてきていたらしい。
 徒歩で山中に入ったあとは、傾斜やオーバーハングを超えていくつも尾根を跨ぎ、直線距離でわずか7〜8キロの行程を6~7時間ほどかけ進んだそうだ。周囲の状況からおおよそ午前4時ぐらいに着いたとされている。
 到着すると自衛隊員が7~80人以上は既に到着していた。さらに、事故犠牲者の呻き声4〜50人分が谷にこだまし、響き渡っているのがはっきりと聴こえたそうだ。しかも、苦しそうに声を上げている人を間近で何人も見ており、M氏は負傷者のいる場所を自衛隊員に伝え始めた。
 しかし、自衛隊員は「へたに動かすと危険なので、後から来る部隊が手当することになっている」と言うだけで、何もせず手にした4~50cm 位の丸いバッグに、地面から拾った物を黙々と入れ続けていた。拾っていたものは暗くて正確にはわからなかったが、ボイスレコーダーとか、何か貴重な物なんだろうと思っていた。隊員の装備は、片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグル、また、靴はつま先の短い短靴を履いていたそうだ。
 M氏は反対側の尾根に出ると、ヘリが何かを入れていたバックを10数個をまとめ、ネットに入れて吊り上げていたのを目撃する。その数はおよそ70個ほどとされる。到着してから1時間後くらいに、自衛隊の次の部隊が続々と到着してきたため、もうこれで大丈夫と思い、下山を始めたとされる。下山を開始する朝の5時過ぎ頃には、谷の呻き声がピタリと止んでいたらしい。
 内容は以上だが何だかツッコミどころ満載だ。まずは、この事実がなぜ2009年まで日の目を見なかったのだろうか。この証言が本当なら、自衛隊はずいぶん早くに墜落現場を特定していた事になる。そして、自衛隊員は一体何を回収していたのだろうか。部品をバックに入れていたとのことだが、墜落後の残骸から必要なものを選び出すことのできる知識を持った特殊な部隊だったのだろうか。どこに何が落ちているのかさっぱりわからないだろうに。
 さて、調べてみると陸上自衛隊には銃剣はあるがアーミーナイフは標準装備として存在しない。さらに、当時の装備として暗視スコープは存在するが、暗視装置が使用されるのは基本的には森ではなく洞窟や市街地のようだ。なぜ山林で暗視スコープを、しかも4時ごろというもう空も白み始めた頃に使っていたのだろうか。ある程度の光源があれば暗視スコープは真っ白に映って何も見えなかった気がするが。もっと言えば、この時の自衛隊の暗視装備は、スコープと言うよりはゴーグルだ。

当時の陸上自衛隊の装備「JGVS-V3」

 また、インタビューの文章から受けた印象からだけだが、このM氏、随分淡白であっさりした人なのだろうか。事故直後は事故機の残骸だけでなく、収まっていない火災、墜落の衝撃でバラバラになった肉片が至る所に散乱していた。つまりは地獄絵図だっただろうにM氏はウロウロと歩き回りヘリの行方を見守ったりしている。記録に残っている自衛隊員や消防隊員の回想では、夏場ということもあり、燃えた遺体やバラバラになった遺体から酷い死臭が漂っていただけでなく、墜落現場は急斜面で、遺体の回収は困難を極めていた。
 さらには、到着した時にはまだ息がある人たちが何人もいると回想しているのにも関わらず、後続隊が来たらあっさりと帰っており、懸命に救助活動に当たるようではなかったようだ。この話は整合性が取れているようでややリアリティに欠けると感じるのは私だけだろうか。

 もう一つ、なぜこれらの速報にまつわる話は全て長野県警からだったのだろうか。襲撃するなら群馬県側も狙わないと隠蔽できないはずだ。
 18時59分に123便が東京管制部のレーダーから消え、東京救難調整本部は19時3分に防衛庁、警察庁、消防庁、海上保安庁に通報している。その後1時間もしないうちに射殺の速報はもたらされたということになり、となると事件はもっと早い段階で起こっていたことになる。さらに事件にしろ事故にしろ、それが防衛庁からの発表ではなく、なぜ長野県警からの発表だったのだろうか。
 そもそも、政府関係先や各省庁、行政機関や警察や消防などの公的機関などへの取材は、誰でも自由にできるわけではない。記者たちはそれぞれの「記者クラブ」というものに所属し、身元が確認された記者のみが取材、報道できる仕組みとなっている。「記者クラブ」は、記者会見を主催し、担当者の記者会見の出席や説明を求めることもある。取材対象のある建物内には、担当記者が常駐する記者室や記者会見室が設けられていることもある。
 要するに何が言いたのかと言えば、速報が実在したとするならば、記者クラブを通じて警察関係者が情報を公開したことになるのだが、基地内もしくは駐屯地で起こったことなのにも関わらず長野県警が発表しているのもかなりおかしい。さらに、なぜだかこの速報はNHKでしか流れていない。NHKが単独で取ったスクープなのか、なんならNHKの記者が松本駐屯地にいて目撃でもしたのだろうか。それなら今度は長野県警からの情報というのがおかしい。つまりはおかしなところばかりなのだ。

 NHKにしか流れていないという点から考えると、この日、19時26分のNHKによる速報ののち、他局は21時ごろから緊急報道特別番組を開始している。
 日本テレビ系列局では、20時から21時まで生放送された「ザ・トップテン」でも、事故の速報に触れ、生放送中に適宜ニュースに切り替えてその動向を追っていたが、「自衛隊射殺」の速報は流れていない。

 テレビ朝日系列局で19時30分から21時まで放送された「あの60年代ポップス 東京・ロス熱狂ライブ 悲しき街角からオンリー・ユーまでオリジナル全40曲」でも速報テロップが流れ、何度か情報は更新されたが、自衛隊射殺の情報は流れていない。

 なお、このNHKの自衛隊射殺テロップの流れた問題の映像は、実は今日までその存在は確認されていない。このテロップが載ったニュース画像は検索すればすぐにヒットするが、どうもその画像は合成だとされている。なお、「自衛隊射殺」ニュースを読んだのはNHKの「笹本春茂アナウンサー」だとされている。

これは木村アナ

 この有名な木村太郎アナウンサーの画像は合成の可能性がかなり高い。その理由の一つに、後ろのモニタに映った画面がある。このモニタ画面は実際に放送されている映像が流れているのにも関わらず、モニタ画面にテロップが映っていない。

これは宮崎アナ

 さらに宮崎アナウンサーのバージョンも存在する。この画像もひどいもので、テロップオンテロップ状態だ。ネットでの検索はこの2人の合成画像がすぐにヒットするが、木村バージョンと宮崎バージョンの2つの画像を並べるとテロップが寸分違わず一致する。かなりいい加減な作りだ。
 そして下画像が例の原稿を読んだとされる笹本春茂アナウンサーである。この方が速報ののち自衛隊射殺ニュースを報じたらしいのだが、その映像はどこにも存在していない。

ニュースを読んだとされる笹本アナウンサー

 これらの画像を眺めていて思ったのだが、画像のテロップは黒いぼかしに白文字で、昔の速報テロップに比べてずいぶん今どきで綺麗に見える。調べてみると1980年代当時のテロップは白い文字のみで、黒いボカシのような白抜きテロップは見つけることができなかった。

当時の速報テロップ
当時の速報テロップ

 この黒いボカシに白文字の白抜き文字、むしろ最近のテロップによく見かけるタイプだ。

むしろこのテロップにそっくり

 さらに、速報テロップが画面上ではなく下に入っているのも不自然に見える。調べてみると、緊急ニュース速報は画面上部で目立つ位置に表示されるのが通常で、画面下部に流すテロップはティッカー表示と呼ばれ、追加情報を表示するものらしい。この上下の位置の慣習は90年代かららしく、80年代は速報ニュースも画面下に出すこともあったらしい。
 目を凝らすとテロップ表示の字体や黒いボカシは最近の仕様で当時の画像に貼り付けたようなミスマッチ感がある。何より、NHKの速報以外に他局での速報が存在しないところがもっとも怪しい。これらのエピソードも2000年以降に派生した都市伝説の亜種であることが推察される。

 尾ひれはさらに存在する。他にも、事故の後に自衛隊内で自殺者が増えたとするデータもそのニュースに真実味を与える出来事とまことしやかに語られている。
 これもソースは定かではないが「1981年より自衛隊員の自殺数の調査が行われており、1982年から自殺数が急激に上がり1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している」というデータが存在するという話だ。
 このエピソードはおそらく隠密活動で生存者を見殺しにしたとか、火炎放射器で焼いたとか、そういうことを苦にして自殺したと暗に仄めかしをしている。
 だが、実は1981年に自殺調査を開始した記録はそもそも存在しない。
防衛省では1986年から自殺数のデータを公表しており、これを引き合いに出したいのなら、事故のあった1985年とその翌年の1986年を比較しないと全く意味はない。さらにもっと調べると2004年以前の年間の自殺者は過去最高が78人で、1986年の自殺者数はそもそもデマである上に、1986年の数も比較して恐ろしく増えているわけではない。一体どこからデータを持ってきたのだろうか。この都市伝説のエピソードたちはそれっぽい真実のように聞こえるのだが、掘り下げるとボロばかり出る。
 他にも、aとbの記号がついた不思議な画像も存在する。この画像の出どころも不明だが、樹海で首を吊っている緑の服を着た2人の男性と、格納庫のようなところに置かれたオレンジの穴が空いた部品のような写真である。

 いかにも印象としては、遺体を焼き苦悩し自殺した自衛隊員の首吊りと「オレンジエア」がぶつかった尾翼が秘密裏に回収された写真だろう。この写真のソースがわからないところがまた真実味を醸し出すのだろうが、まずこの自衛隊員の自殺の写真、どうやって縄をかけたのであろうか。足元に脚立もないし、周辺にはあまり太くもない幹しか並んでおらず、自殺者の位置に横に伸びる丈夫な枝などないように見える。かなり高い所まで登ってから縄をかけてそこから飛び降りながら首を吊ったのだろうか。この画像、拡大してみるとボカシの上に白い縄が連続していない。どうも縄が途中で切れており、この二人は中に浮いているのだ。明らかな合成だ。

 次に、オレンジの穴が空いた垂直尾翼らしき不思議な写真だがこの写真、向きを変えてみると「鶴丸」と呼ばれるJALのシンボルである赤い鶴が完全体として残っているのがわかる。

 実は、垂直尾翼は衝撃でバラバラになり、点々と飛散している。駿河湾で見つかったのはごく一部であり、全ての尾翼は完全に見つかってはいない。
 なお、鶴の右羽の一部は機体に残ったまま墜落しており、例の写真とサイズ感も全く合わず、これも合成写真であることがわかる。

どう考えても上の写真とパズルが合わない

 この手の画像は即座にショッキングな印象を抱かせやすく、「なんてことだ」と思わせるには十分ではある。これら合成画像を作った人間はただの愉快犯だろう。倫理的には最低だが都市伝説に参加し、新たなエピソードを創作するのはさぞかし楽しいことだろう。

 さて、これらのことが実際に起こっていたとするならばどんなストーリーなのか、馬鹿げてはいるが少しだけ大真面目に妄想してみる。
 「123便が離陸し、水平飛行に移ろうかというとき、駿河湾沖で新型無人標的機(もしくは新型ミサイル)の発射試験をしていた護衛艦まつゆき(もしくはアメリカ軍)は、何らかの原因により123便にそれを衝突させてしまう。慌てて上官に報告し、海自幕僚長は空自幕僚長に相談、すぐにファントム2機を発進させJAL123便の挙動を追った。
 衝突から墜落するまでの30分間に、事故原因を知るかもしれない生存者を0にするため、墜落地点の混乱による時間稼ぎを考える。(もしくは墜落の火災により死んだと見せかけるため、特殊部隊により火炎放射器を使用する方法を計画する)
 さらに、墜落地点の特定を遅らせるため、工作部隊を現地に送り込み、現場を混乱させる。これらの作戦を知らされた特殊部隊の一部は作戦に反対し、リークすることを仄めかしたが上官により射殺された。
 (その間、闇夜に紛れ、ヘリにて現地に移動、火炎放射器で生存者のとどめを刺した)無人標的機の残骸は特殊部隊により回収され、それをM氏は目撃する。真実は闇に葬られたということだ。」
 これで都市伝説エピソードは踏襲されるストーリーとなったが、なんだかこれを書いていて恥ずかしくなってきた上に、32分間も垂直尾翼のない状態で活路を開くべく懸命の努力をしていた方々に申し訳ない気持ちになった。あまりにも荒唐無稽で、隠蔽に関わった人間が多すぎる。関わった人間が多すぎるのにも関わらず、何も信頼できる証拠がほんの少しも出ていない。やはり都市伝説の域を出ないとしか言えない。まつゆきのクルーは自分たちで落とした飛行機の残骸を拾って公開した訳だ。恐ろしい精神力だ。

 これをまとめていて感じたのは、関東大震災でデマゴギーにより虐殺された朝鮮人の話だ。
 1923年、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9の巨大地震が首都圏を襲った。家屋倒壊や火災により、甚大な被害が発生し、10万人の死者が出たとされ、そのうちの数%には殺害された朝鮮人が含まれるとされている。
 この発端は震災の混乱に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が暴動を起こした」とデマが流布され、そのデマが拡大したことで地域のコミュニティでは自警団を組織し、棍棒や日本刀、槍や農具を持って実際に朝鮮人を殺害した。
 このデマに真実性を持たせたのは政府で、関東大震災から2日後、全国の自治体に「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。厳密なる取り締まりを加へられたし」という電報を出していたのだ。
 これらのデマゴギーは効果的面であった。この電報は司法省の記録にも残っており、朝鮮半島出身者233人の殺害について起訴した記録、郷土史や個人の日記などでその事実を見ることができる。
デマは冗談が冗談ではなくなってしまうのがもっとも恐ろしい。これらは、現代でいう「フェイク・ニュース」というものと同じだ。

フェイク・ニュースにの拡散には一定のパターンがあることがわかっている。フェイク・ニュースは完全な嘘とはかぎらない。本物の情報を基にして、それを少し歪め、ねじ曲げたものが多い。虚実を混ぜ合わせて、中でも最も物議を醸しそうな、最も人の感情を動かしそうな要素を強調する。

「デマの影響力」シナン・アラル著 ダイヤモンド社 2022年

 まさしく自衛隊にまつわる都市伝説そのものだ。フェイク・ニュースのたちの悪いところは、嘘の情報で実際に人間の行動を起こさせるところだ。それらは何の罪のない人の名誉を著しく損なったり、無駄なエネルギーを使わせ、真実をさらにぼかす。

「反復バイアス(真実性の錯覚)」と呼ばれる脳の悪癖だ。これは単純に言えば、ある情報を繰り返し聞かされるとそれが真実であるように思えてきて、また、1人が言っているだけだとわかっているのに広く信じられているように感じられる現象を指す。

「『集団の思い込み』を打ち砕く技術」トッド・ローズ著 NHK出版 2023年

 人に害のない陰謀論はロマンがあり非常に面白いとは思う。しかし、日航123便墜落事故の自衛隊にまつわる話はそのほとんどがデマだろうと私は結論付けたい。そして、犠牲者の方々、遺族の方々が真実によりその心が浄化されることを切に願う。

参考文献・参考資料
「日航機事故と消防団員の活動」消防庁地域防災課長 木下英敏
「日航機事故から30年 川上村墜落稜線現地調査 捜索・救援可能性」青山禎一他
「日航機墜落事故 共有できなかった墜落地点情報 「長野県」の日航発表、謎のまま」藤森研
「小型標的機の開発ー独自技術による低コスト化ー」井田英次ほか 川崎重工技報・179号 
「日航機事故を再検証3」青山貞一
「疑惑 JAL123便墜落事故 このままでは520柱は暝れない」角田四郎著 早稲田出版
「ジャンボ墜落」吉原公一郎著 人間の科学社

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