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ある男が言っていたのを聞きました。勉強に才能は必要ないと。また固い学習企業記事でも現代下町派Instagramでも天才なんていない、どれだけ努力するかだと語られていました。

僕はすぐにそれが嘘だと気づきました。思うのではなく、気づきました。それは学習参考書の売れ行き、ネットパンフからの学習サービス課金への勧誘、または更に間接的な教授自体の知名度向上や印象の向上のためのあくまでも商標キャッチフレーズにすぎない、あるいは盲目な生徒という競馬の尻を叩く行為に過ぎないと。

僕は絶対に無能だ。必ず失敗する。成功した事例がないので努力した瞬間に失敗が確定する。驚く程に本番に弱い。救われない。人間自体が駄目。無能。生ゴミ。

自分の中には努力する自分とそれを全てぶち壊す自分の2人がいると感じます。後者の自分は生きている時間の1割も無いですが、大切な時になんとも都合が悪く現れ、全てをめちゃくちゃにして帰っていきます。何年もかけて開拓した街が地震で全て崩壊するかの如く無惨で物騒な存在です。

そんなもうひとつの僕と格闘している僕の目の前には優雅に商標キャッチフレーズを語り、尻を叩く行為を美しくすり替え、都合の悪い場合は望んでもいないのに学校などの機関を通して金を徴収する企業すらいます。そんな彼らが放つあのような美しい(笑)言葉は不快極まりないものでした。

毎日そのような努力論とか才能不要論を聞いてとうとう怒りのラインを越えた僕はその消極的事実を証明することにしました。

様々なことで上手くいかなくなり、努力することが完全にトラウマになっていたのに、それを証明しようと思った途端とてつもなく勉強をすることができるようになりました。

毎日五時に起き、固まった時間がある時は必ず図書館に行って凄まじい速さで参考書を解き、移動中はスマホで単語を演習し、風呂ではリスニングを聞き、寝る前は教授の講座を聞く。平日の勉強時間は平均3時間、休日は8時間になりました。今まで休日3時間でも辛かったものが永遠に勉強漬けでも苦しくなくなりました。

どれだけ自分が無能なのか、できない人間なのか、才能がないのか証明したい。

努力は報われると優雅に語る成功者たちにこの残酷さを見せつけたい。

できない自分ができると信じるよりも、できない自分が”できないと信じる”ことの方が僕にとっては断然にスムーズに受け入れることが出来たし、そのために努力をしようという気持ちが湧き上がりました。

結果、僕はこの勉強漬けの生活をかなり長い間続けました。その間模試の結果は急激に上がっていき、先生からも感激され、良い大学を勧められました。

みなさんはこれを聞いて僕が無能ではないじゃないかと思うかもしれません。しかしそうではありません。あくまでもこれは僕の絶望の土台作りなのです。今までも模試が良かったのに本番に急激に偏差値が下がり過去の自分に騙され、こうなるなら模試で点数が低かった方が良かったと思うことが何度もありました。

しかしここで自分は失敗するからと諦める昔のような僕ではありません。この期間の勉強時間、教材、勉強量、娯楽の徹底的な制限は全て記録してあります。僕は証明してやるのです。ここまで周りに安心され、必ず大丈夫だと信頼された全てをぶち壊し、努力は無駄なこと、僕が無能なことを証明するのです。もう1人の僕にされたように、僕の全てを信用できない状態にさせるのです。

僕は周りの期待を全て背負うようにして有名大学を受験しました。周りはアドバイスを出しつつ僕の意見を尊重するという姿勢をとってくれましたが、僕の意見などありません。無いというより、この証明をなるだけインパクトのあるものにするには、周りも僕に大きな期待をかけていることが理想図です。僕にとって周りの期待が最も強い場所を受験することが僕の意見です。

そして迎えた受験当日、僕は愕然としていました。なぜかいつもの全てをぶち壊しにくるもう1人の僕が来ませんでした。大半の問題には自信を持って答えることが出来ました。でもまだ分かりません。これもまた一気に絶望に陥れる前に僕を安心させているだけかもしれません。

3週間後、僕は生まれて初めての感覚を味わいました。

僕はその大学に合格していました。猛烈な嬉しさと猛烈な悲しさが体を包みました。僕は無能ではなかった。努力は実を結んだ。ただし目標であった証明は果たせなかった。僕は







彼はそうルーズリーフに殴り書きしていると途中でなんの前触れもなくルーズリーフを破き、そして近くにあった完全網羅する大学受験向け公民哲学と書かれた本で頭を力強く何度も叩きつけ、頭痛による目眩を起こした彼は本を投げ捨ててすぐにベットで寝た。

投げ捨てられた本は何度も開いている箇所で開かれて床に叩きつけられた。社会科目を効率化させるために無心で暗記していた彼が唯一好きな哲学思想であるバートランド・ラッセルの世界五分前仮説について書かれたページであった。

数時間後に目覚めた彼は1時間ほど目を開いたまま動けなかったが、とうとう動きだし破ったルーズリーフを丁寧にテープで繋ぎ合わせた。そして緑のペンで全てを上から線を引き、赤シートで隠して暗記を試みた。それから短時間で寝たり起きたりを繰り返し、起きるごとにその暗記を試みた。

時々扉をノックするような音が聞こえた気がするが彼にはそれがもう何なのかを理解する領域ではなかった。予め棚を扉の前に置いていたので開けられることは無かった。その音が聞こえたからといってその事実は1秒後には経験となり、過去の記憶になっていった。そんなどうでもいいことだった。

彼は落ちていた本を拾い、もう一度、今度はもっと力強く頭に叩きつけた。その反動で彼の頭は壁にぶつかり、当たり所の悪い箇所に更に強い勢いで叩きつけられた。しかしその手はまだ世界五分前仮説のページに掛けられ、意識を失った後もその手が離されることは無かった。

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