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【下】芸人を目指してたら、プロ野球選手になっちゃった男の物語。人生は壮大なネタ創りだ!

約1年半!!
月日が流れるのは早いもので、《中》を書いてから、そんなにも経ってしまいました。

《下》はまだですか?という声をいただきながら、引きつった笑顔で書きますと言い続け…
(文章書くの気合いいるんですよね、おしゃべりなら簡単なのに)

ノリスケさんに催促される伊佐坂先生の気持ちがわかりました。
僕のノリスケさん求む。

さて《中》では千葉ロッテマリーンズに指名されるまでの話を書きましたが、最終回の今回は千葉ロッテマリーンズ時代のお話です。

書くにあたって、改めて《上》《中》を読みましたけど、長いっ!
気合い入りすぎやて、あの頃の生山。
こんなん毎回書いてたら、書く方も読む方も体力が持ちまへん。

ってことで、ゆるめにいきましょ〜。

千葉ロッテマリーンズでは、2009〜2012年の4年間、育成選手としてプレーしました。
支配下登録されず、1軍に行くことはできませんでしたが、間違いなくイクヤマンの人生に大きな影響を与えた4年間でした。

8割くらいは辛い思い出で失ったものも大きかったですが、あの世界には、たとえ育成選手であったとしても絶対に行くべきです。
なんとしてでも。

遊ぶのは後からでも遊べる。
今しかないぞ。
夢を掴もう、全国の若人よ。

NPBで得られた3つのもの


当時のロッテの育成選手は、他球団に比べても環境は厳しかったと思います(飴ちゃん、ガムは食べ放題)

年俸は240万円。
選手を指名しすぎて選手寮がいっぱいになってしまったため、ロッテ本社の男性社員寮で生活。
(千葉ロッテといいつつ、2軍の拠点は埼玉の浦和なんです。最寄駅でいうと武蔵浦和)

えっ、築何年です?っていうくらい古い建物。
50〜60室くらいあったのかなー。
その中に育成選手が10名ほど暮らすわけです。

風呂とトイレは共同やから、知らないおっちゃんにお風呂場で謎の説教されたりする日々。
おっちゃん、クセがスゴすぎやて。

雨の日も嵐の日も、毎朝7時前くらいに起きて10分ほど自転車を漕いで選手寮に朝食を食べに行き、そこからグラウンドに移動して練習&試合。
夜間練習もあって、夕食後に19時半〜21時半まで練習してました。
門限が22時でシーズン中は外泊も禁止。
文字通り野球漬けの4年間。

労働時間と賃金だけ考えると完全なるブラック労働。
まっ、個人事業主やから関係ないんですけどね。
他の選手は遊びたくてしょうがない環境みたいでしたけど、名門校で野球をやったことがなく練習環境に飢えまくっていた生山からしたら、とてもとても最高の環境。

飢えまくってた頃の話は自己紹介の《上》編に書いてるよ。


たとえ給料が安くても、お金じゃ買えないかけがえのないものを得られました。
今回は生山が得られた3つのものを書いていこうと思います。


1、同期入団育成選手の活躍

2008年ドラフトは、本指名5人、育成指名8人という大量指名の年。

特に育成選手8人指名は、千葉ロッテマリーンズで後にも先にも最多です(ラッキーすぎる)

画質悪いな

裏話を担当スカウトの方から聞いたんですが、当時の監督だったボビー・バレンタインさんから「他の能力は劣っていてもいいから、とにかく一芸に秀でた選手を集めてこい」という指令があったみたいです(野球はホンマに下手やから、ラッキーすぎる)

そして、その育成選手8人のうち2人が、のちに日本代表に選ばれるのです。

岡田幸文、西野勇士。

生山の背番号が130、西野が131、岡田さんが132。

まさに隣でスター選手になるまでの過程を見ることができました。

2人に共通していたのは、芯の強さ。
自分がやるべきことを明確にして、ブレずにやっていた印象があります。

そして運の良さ。
主力の相次ぐ怪我や監督交代など、少ないチャンスをきっちり掴み、あっという間にチームに欠かせない存在になりました。

いつ来るかわからないチャンスをきっちり掴む準備力。

芯の強さと運の良さ。

その姿を間近で見られた経験はかけがえのないものです。

あっ、西野との思い出として、イクヤマンのツイートで1番バズったツイートを載せときます(クビになった時のお話)


2、日本一に触れられた経験

人生の中で、何かの分野で日本一を達成した人に出会う経験ってなかなかできないはず。
NPBに入るだけでも大変なのに、その中で勝ち残ってタイトルを獲るって、超人です。

最近はYouTubeで色んな人の考えを知ることはできるけど、生でその人の考えを聞けるなんて、お金をどれだけ積んでも経験できないこと。

育成選手という立場もあり、なかなか1軍の一流選手とは交流するチャンスも訪れなかったのですが、厚かましくガツガツと交流しに行きました。

特に印象に残っているのは、ロッテの先輩である今岡真訪さんと、自主トレを一緒にさせていただいた鈴木尚広さんかなー。
何かの分野で日本一の成績を残す人の思考や行動って圧倒的。

先輩方からいただいた言葉は今も宝物。

3、元プロ野球選手という肩書き

これが1番大きいかも。
プロ野球選手の寿命は短い。
生山も奇跡的にNPBに入れたものの、4年で選手生活を終えることになりました(27歳で退団)

当たり前ですが、その後の人生は果てしなく長い。
そんな中で『元プロ野球選手』という肩書きは有能すぎます。
初対面の人におもしろがってもらえるし、興味を持ってもらえる。
それは野球界を離れれば離れるほど、スポーツ界を離れれば離れるほど威力を発揮します。
これは引退後すぐにウェディングプランナーとして働き始めて感じたこと。

個人の時代と言われて久しいですが、『元プロ野球選手』に何かを掛け算することで、社会に大きなインパクトを起こせる可能性が高まる。
過去の栄光にすがるだけの人生は送りたくないけど、自分の可能性を最大化させるために欠かせない大きな武器。

将来的には「えっ?元プロ野球選手だったの!?」って言われるくらい、野球やスポーツ以外の分野で、社会に価値を創れる人間になりたいな。

野球に育ててもらった人間として、他の分野でも活かせる能力を野球から学んだと証明することが、本当の意味での "野球への恩返し" になると思うから。


あかん。また長くなりそう(もう十分長い)
ほんと書き始めるとキリがないので、今回はこれくらいにしましょうかね。

これでイクヤマンの27歳までのストーリーが紹介できました。

現在(2023年)で38歳。
クビになって10年ちょっとです。

おかげさまで引退後も様々なチャレンジをさせてもらって
「えっ、引退してからまだ10年しか経ってへんの?」
って思えるくらいに充実した日々を送らせてもらっています。
3〜4年前くらいは仕事を抱えすぎて、1ヶ月まったく家を出られないくらいに病んじゃったりもして。
引退後の話は気が向いたら書こっかな。

最後に

現在の活動ですが、ダウン症の娘をもつ妹と一緒に、障害児福祉の分野に進むために準備しております。
2023年10月に放課後等デイサービスという、障害のある子たちが放課後や長期休暇の時に過ごす事業所を滋賀県の大津市に作る予定です。

会社名は『株式会社Sprint Career Design』
事業所名は『シーズステップ』

施設のコンセプト等は、Instagramで発信しております。
うまく飛べない方は『シーズステップ』で検索してください。

次回のnoteは、放課後等デイサービスを立ち上げることになったストーリーでも書こうかな。

ということで、ダラダラ長い自己紹介を読んでいただいた皆様、大好きです♡
皆様の明日に幸あれ!!

では、今日もチャーミングにいきましょう。
夜に読んでる人は、明日もチャーミングに。


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