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茶封筒の中身がたりない理由は

私は県内中部のちいさなピアノ教室に、25歳から12年つとめていました。

そのお教室は今でこそ、ピアノの講師だけじゃなく、バイオリン、トランペットやクラリネットなどの楽器を教える講師もたくさんいる、地域でちょっと知られる音楽教室になっています。


37歳で結婚が決まって、そのあとすぐ娘ができたので、そのまま退職して今にいたります。

当面は育児に専念するつもりで、復職の予定はなさそうです。

「元・ピアノ講師」のむかし話。
よろしければおつきあいくださいませ




たしか20代後半のころだったと思います。


私は学校の音楽室にありそうなサイズのグランドピアノで、使いふるしたバッハの平均律第1巻の楽譜のなかから、すきな曲をてきとうにみつくろって、譜面にかじりついてたどたどしく弾いていました。

鍵盤は少しおもためで、持っている半分くらいの力で弾いてても、5本の指の根っこに100グラムほどの鉛がついてるような感覚になって、動かすのがしんどくなりました。

それでも、バッハの曲は弾いてるうちに、こころのくもりがサーッと晴れていくような気持ちになって落ちつきます。それが、指の疲れにまさるので、どんなに下手でも弾くのをやめられないのでした。


わりとたくましい音をだすそのグランドピアノは、いつだって道路に面した窓にまるく尖ったあたまを向け、我がもの顔でレッスン室ぜんたいを陣どっていました。

入り口ドアのとなりで、楽譜をしまう黒いキャスターつきの棚は、いつも肩身がせまそうでした。



コンコン



ノックの音とともにレッスン室のドアが開きました。

「Sazanami先生、これ」

背もたれがついてるタイプのピアノ椅子から立ちあがり、お疲れさまです、とあいさつする前に、オーナーが茶封筒をひとつ差しだしました。 


「ありがとうございます」


私は、それを両手でうやうやしく受けとりました。


……よかった、今月もぶじにお給料がもらえた。


つとめはじめたころ、講師は私と、当時50代前半のオーナーの講師、計2人だけでした。

なのでお給料は手わたし。生徒の人数の5割×受けもち生徒の人数分を現金でいただいていました。


オーナーが去るのを「お疲れさまでした」と見送ったあと、ありがとうございます、と心のなかで両手を合わせて、さっそく茶封筒を開けました。

中からふたつに折りたたまれた、横長のちいさな紙が出てきました。

それはオーナー手書きの給与明細で、生徒の人数とお月謝の取り分(5割)の合計が書かれています。

椅子に座りなおしてそれを見ながら、福沢諭吉の人数をかぞえていくと……


あれ??



ひとりたりない。




明細に書いてある金額と、実際に入っている札束の数がたりないのです。


お給料が1万もたりないなんて。

どうしよう……。


椅子に座ったまま、あたまを抱えました。


今ならそんなことせずに、さっさとオーナーをつかまえて理由を聞けそうな気がしますが、あのときは、どうしたらいいのか本気でわからなかったのです。



お金が足りないと言うべきか否か。


といっても、あのころはお金のこと言うの良くないっていうかタブー? みたいな感じでとらえてていたので、この件はこのままスルーでいいんじゃないか、とさえ思っていました。



でも言わないと一生もやもやしそう……。




よし言おう!





いや、やっぱりやめよう……。



この思考のループを繰り返したすえ、やっぱり勇気を出して聞いてみることに。



当時つとめていたピアノ教室は、オーナーの自宅も兼ねていました。

教室の入り口から中に入ると、レッスン室のドアがふたつ、向かって左側の壁にならんでいます。入り口てまえのレッスン室を私、奥のレッスン室をオーナーが使っていました。

オーナーのレッスン室の中には、入り口から対角線上の壁にもうひとつドアがあります。

そこのドアを開けて、左側が20畳くらいありそうなリビング、右側がオーナーの部屋になっているようでした。

中学生の生徒がいる私のほうが、レッスンが終わるのが遅かったので、帰るときには、いつもその隠しドア的なやつをコンコン、とノックしていました。

すぐにオーナーが部屋から出てくるときもあれば、なかなか出てこないときもあり、なんなら気配すらただよってこないときもありました。

だから、なんとなく帰るときは緊張ぎみだったのに、言わないといけないことがあると思うと、それがよけいに身をかたくしました。


ドアをノックするまえに、いちど深呼吸して、


……コンコン。 
「お疲れさまですー……」




「どうしました〜?」


お!

今日はわりと早く出てきてくれた。



「レッスン終わりました……」


今だ!!



「あの……」

私はとなりのレッスン室に、茶封筒を取りに小ばしりしました。



そして、ついに聞いてみたのです。

「お月謝が……たりないみたいで」


オーナーは私の茶封筒を見たとたん、「あっ!」とバツのわるそうな顔をしました。


「実はね……」



オーナーの口から、衝撃の事実が語られました。




「ダンナの年金がまだ入ってこないもんだから、ちょっとそこから借りちゃって〜。返すの忘れてたの、ごめんなさい」




ええぇぇぇ! 







年金??





「ちょっとその封筒、回収していいかしら。お金ちゃんと返すから」



オーナーは申し訳なさそうに私の茶封筒を手に取ると、そそくさと行ってしまいました。


残された私は、呆然とレッスン室のピアノの前につっ立ったまま、年金、いや、オーナーのお小遣い? に化けたお給料に思いをはせました。

遊びたい週末の夜も土曜日も返上して、思春期の中学生たちに手を焼いて、生徒たちの急なレッスン日の変更も、ほかの仕事を調整しながら泣く泣く受けて……。

そんな風に一生懸命はたらいたお金をちょろまかされて、自分たちの生活に使われるなんて……。


悔しいやら情けないやら。


じぶんを奮いたたせるようにして戸じまりをしたあと電気を消すと、こころの中も真っ暗になりました。


後日、よそのお教室で働く講師仲間4人と行きつけのカフェでランチをしたとき、この話をしてみました。

「は、年金……?」



とつぜん、アラサー女子たちの笑い声が店じゅうに響きわたりました。


怒りのボルテージを最大限にして、

ありえないよね

と言う準備をしてたのに!



とまどう私をよそに、彼女たちはパスタやピザを囲みながら、ひととおり爆笑すると思ったことを口々に言いあいました。


「旦那さんの年金ないからって、Sazanamiさんの給料に手ぇつけたの!?」

「ウケるー!」

「すごいね、よっぽど今月あぶなかったのかな」

「でも正直に言うから憎めなかったりしない?」


うーん……。







しません。



と当時は思ってましたが、振りかえってみるとたしかに憎めないですね。

あのあと「めいわく料」と称して、実際にもらうお給料プラス2万くらいの金額が戻ってきました。


あら?


お月謝いくらとか書いてないですね。



お月謝は、同じ県内でも住んでいる地域によって相場が違います。30分レッスン7,000円〜8,000円の地域もあれば、5,000円〜6,000の地域もあります。

いまは少し違っているかもしれないので、参考ていどにお願いします。


私が働いていた教室では、お月謝は一律6,000円でした。幼稚園児だった生徒が中学生になろうと高校生になろうと大学を卒業しようと就職しようと、とにかく6,000円。


あっでも、いまはどうなんだろう。


念のため調べてみるか……。


教室のホームページをのぞいてみました。


いまはレッスン時間30分もしくは1時間、お月謝は6,000円〜13,000円らしいです。 
ちょっと幅が出てきてます。


当時、生徒は幼稚園生から大人まで、だいたい30人くらい受けもっていました。レッスン時間は、ひとり30分でした。

音大受験生もいましたが、その子だけ1時間レッスンで、お月謝も通常の2倍いただいていました。


取り分の5割は、手数料ぶんを引いたものです。 

生徒たちのお月謝は、お月謝袋を使って現金でのお支払いを希望しない限りは、彼らの銀行口座から教室の銀行口座に引き落とされたからです。



あと、お教室によっては生徒の年齢や演奏レベルに応じてお月謝もUPしたり、生徒がコンクールにチャレンジできるくらいになったら、お月謝が1,000円プラスになるところもあります。


そうですよね。
レッスン時間もそれだけ長くなるし、本番前になったら補講だってしますもんね。



そうそう、長く働いていくうちに教室がおおきくなって生徒も講師も増えていくと、年にいちど行われる発表会のあとには、「発表会手当」が支給されるようになりました。

少額ですがボーナスをもらえたみたいな気持ちで、ちょっと嬉しかったのをおぼえています。



いただいたサポートで、たくさんスタバに通いたい……、ウソです。いただいた真心をこめて、皆さまにとどく記事を書きます。