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絶望に至る道、先の道。

たとえどんな理由であっても命に換わる程の絶望になる。

誰もが自分の視野の限界を世界の視野の限界だと思っている。
ショーペン・ハウエル

友人が薦めてくれた漫画より。

「私よりもっと大変な人が居る、だからこんな気持ちは間違っている」

これが人を追い詰め、でも踏みとどまる事になるのも事実。

でも、どんな些細な(本人以外にとって)事も「命にかわる絶望」になり得る、の言葉に 私は気持ちが救われたように思います。

逆に考えれば、想像すれば「ほんの小さなこと」で、絶望がぼやけることも多いと思います。

スーパーで目があった赤ちゃんがニッコリ笑ったり、朝のお笑い番組だったり、無人販売所の何気ない会話だったり、美味しい差し入れだったり、ずっと見送って手を振ってくれてるあの人だったり。

いつもより沢山の言葉や景色に敏感なのは、やっぱり「それに気付きたいから」なのでしょうか。

漫画の中では聡明で冷めた少女が自殺しようとする同級生の行動が「軽率」であり、その理由が命にかわるものとは思えない。

漫画の絵は独特のタッチなんだけど。

NHKでドラマにもなったようですね。

でも、だからと言って「些細な言動に神経質になれよ」ということでは無いと思います。日本は今、「腫れ物に触れる」ように、ただ言動を制御してます。

そーゆーことじゃないんだよな、と思うばかり。

人と人はもっとぶつかって、人間の「可動域」を広げるべきだと思います。

その可動域の中で人は悩んで苦しんで笑ってドラマが生まれるんだと思います。

1つの現象に喜ぶ人も居れば、頭を抱える人も居る。

それをもっと身近に見せつけあって(ネット上で叩きあうのではなく)、分からないことを「理解したい」とぶつかって、結局「解らない」けれど、それが「その人にとっての真実である」ということを理解して「そういうことか!」と納得したい、と私は思ってます。

要は分かっても分からなくても、聞いてみたい。

人と人のぶつかり合いを面倒だ、と思って避けてきた結果が今の日本。

便利だけれど、生きづらい。

面倒だけど生きやすい。


どちらがいいかも他者とぶつかりながら考えていけたら。

ちなみにバリ島は完全に後者です。

too muchなほどに😂


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