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「よわい」まま進んでいく~よわいひらやまと話す会をおえて~

1月11日昼下がり、『よわいひらやまと話す会』に行ってきました。
詳しくはこちら。

 

ひらやまさんはオンラインカウンセリング、オンラインコーチングサービスをされている株式会社cotreeCOO・CN(note)Oのかたです。

『よわいひらやま』さんのきっかけはこちらから是非。

主催してくださったお二人はこちら
・アンドゥ~さん

・カズさん


参加しようと思ったきっかけ

わたしがこの会に参加しようと思った訳は、前からcotreeやひらやまさんのことを知っていたり、大塚近辺でのイベントに興味を持ったりなどありますが、大きいのは、
弱さの共有によって人が癒えていくことや、その先の依存と自立がホットテーマだったからです。

大学時代に活動していた海外ボランティアNPOで『シェア』の文化がありました。まとまってないけどもやもやしてることや、自分で弱いと感じていることを素直に話せる場があり、

それまで求められている模範解答を(無自覚で)していた私にとって衝撃で、自分の心の声を尋ねるきっかけになりました。

確かに『弱さ』をシェアすることは本当は恐いし、できれば隠したい。(例えば抱えている生きづらさや障害もできれば隠したい。)でもそれをシェアすることで、『それもあっていいんだと』思える。

多様な在り方をしっていることが、自分にも他者にも優しい社会になると感じていて、「よわいひらやま」としてSNSで発信されているひらやまさんの話を聞きたいと思いました。

(Tweetのつづき)ああその自分もいていいんだって思えるきっかけになる。
弱さを隠さなくていい世の中に少しずつ。わたしも言葉にして発信していきたいな。

さらに、『自立と依存』については、友人や後輩の中で、社会に出たときにギャップで苦しんでいた人もいて、どんなアプローチができたら、できていたらいいんだろうと考えていました。

言い換えると、弱さを抱えて生きていくのに困難を抱えている(今後そうなるかもしれない人)にどんなアプローチができるだろうかということ。(もちろん、これは私のエゴで、ひとを変えることはできない、という前提のもとで考えたい)

トークテーマでは「跳ね返ったエピソード」として話されていました。

この①よわさを発信するひらやまさんの心持ち ②跳ね返ったエピソード③大人とは?の3つに関して書きたいと思います。

どうぞお気軽に読んで下さったら嬉しいです。

① よわいひらやまさんのスタンス

(下記はひらやまさんのスタンスはこれだった、というものでなく、会で話を聞いた私個人の見解です)(印象的だった4つにわけて)

(1)

「よわいひらやま」は『ひらやま』という人間に対して、どこに焦点を当てているかにすぎない。
「よわいひらやま」も「つよいひらやま」も全部自分で、“自分”がどう見せているか、というよりも“周りの人”からどう切り取られているか。

場所によって仮面を変えるようなものではなくて、自分というひとりの人間がいて目の前の人にどこがみられているか、という認識だと話してくださいました。

わたしも先日、cotreeさんのアセスメントコーチングを受けたときに、自分の特性が【エミアブル】【エクスプレッシブ】の特性が強いと分かりました。

そこで気づいたのが(無意識でしたが)、前職で高齢者の方などに関わっている時や、海外ボランティアNPOで学生と関わっているときはエミアブルの自分でいることが多かったし、
家族や気心のしれた友人といる時はめちゃくちゃエクスプレッシブだなと。

それは意図的に変えていたわけではなく、どちらも持っていて、ひらやまさんのおっしゃるようにその時に『どこに焦点があたっているか』だったように思います。

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(2)

Twitterやnote上の「ひらやま」がいなくなっても、日常を生きているひらやまは存在する。
所詮SNSであるし、それがどうなってもいいと思っている。「いいね」が増えても、例えば(ないけど)誹謗中傷されても、そこにいるひらやまは変わらない。
結果を手放している。好かれるときは好かれるし、嫌われるときは嫌われる。結果が出る時は出るし、出ない時は出ない。

どちらかというと、エモーショナル、優しさなどをひらやまさんのnoteから受信していたけど、その発信のもとに少し冷めた目で俯瞰しているひらやまさんがいらっしゃるのを知りました。 

実際に現在進行形で実行されて、ゆうゆうと、ありありとそこにいらっしゃる(ように見える。もちろんそれがすべてではない)ひらやまさんだから、納得感をもって自分も認識できたように思います。

SNSでも「どうおもわれているんだろう」「誤解されないように書き尽くさなきゃ」などが少し膨らんできていた自分にとって、存在感をもって受け止められたのが嬉しい言葉でした。

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(3)

前提として、「ひととは分かり合えない、でも分かり合えたら嬉しい」と思っている。

わたしも大切にしている考えの一つで「俯瞰」しながらも、このスタンスもひらやまさんの根底になるのかなと感じました。

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(4)

メンタルヘルスケアの会社にいて「メンタルが下っていく人と向き合う場面が多くあると思うがどう感じているか」という問いに対して、

ひらやまさん「普通に辛い。でもその辛さや悩みを感じられないようになっても行けないし、引っ張られても行けないから両方持っている。
まず向き合う時に、これからそういう方と向き合うと意識を引いている。
そこで出来ることはする。でも出口は決めている。役割分担だと思っていて、必要なのがコトリーじゃないかもしれないし、必要なタイミングがあると思っている。早く伝えたほうが5年後のその人にとっていいのかもしれない。」

ここまでに書いたことも含めて、ひらやまさんの発言を通して「私自身がどうありたいのか」という自分の大切にしたいことを気づけたように思います。

「自分を消費しないスタンス」は凄く大事で、今の自分は、確固たるスタンスを模索しているところでひらやまさんの考えをひとつの参考に持たせていただきたい。

② 跳ね上がったエピソード

それぞれの「弱さ・大きな挫折」から跳ね返ったエピソードをみんなでシェアしました。

というのも、ひらやまさんが海外旅行をされている中で(言語が違うし交通手段も何もかも分からない中で「食べたい」「ここに行きたい」「自分はこういう人だ」と必死で補おうとした)、一人で生きられる実感を感じたとの話から。

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(旅人のイメージ画像良いのがなくて、特大サイズになってしまったorz)


はらださんからは、アイデンティティは傷つけば傷つくほど、崩壊すればするほど、強固になるのでその経験を海外旅行でされているのだ、という意見もでました。

『めちゃくちゃ笑顔が素敵な人ほど、涙を流した過去がある』『凄く優しい人ほど、傷ついた経験がある』という言葉を思い出しました。


みなさんの経験のいくつか↓

・団体の代表として「リーダーとして強くあらねば」としんどかった
・go or goのオペレーションのなかで苦しくなった
・1年おきにメンタル的にしんどくなる

みなさんの「跳ね返ったエピソード」を聞いて、

それぞれが抱えていたものがあったが、いまはゆるりと苦しい自分を『それも自分なんだ』と否定も肯定もせず、まる◎をあげているのかなと感じました。

ある方がこの文脈のなかで、「星新一」さんの「それでも明日はつづく」をお勧めしてくださいました(調べたけど出てこなかった、、タイトル合ってるかな、、🙇)

星つながりで、、わたしは星野源さんのスタンスも好きです。
何気ない日常で、上手くいかないふがいない自分もいるけど、それでも毎日は続くし、そんな日々も愛しいよねって感じがLOVEです。最近は「same thing」をよく聴いている。

※same thing
I just thought it’d be fun (「楽しそう」って思うのも)
Went through a whole lot so fuck this (「最悪だ」って落ち込むのも)
They all mean the same thing, you know (どっちも同じことなんだ)
We alright, change it up, do your thing (それで大丈夫 それでいい)

ここまでかきましたが、「どんな自分も否定も肯定もなく◎」は、誰かから強要されて思えることではなくてその人が選ぶもので。

掴みたいと思ったときに、伝えられたり、自分は力になるよと発信していたりしたいなと改めて感じました。

③ 大人とは?

最後に、「大人とは」というトークテーマがありました。

わたしはこれまであまり考えたことがなくて。

(大学生のころはfacebookに『年を重ねても損得勘定なくひとと一緒に幸せになっている大人でいたい』と書いていました。)

しいて言うなら、70歳の友人が、まさに私の好きな大人で、年齢関係なく、ひとと人として関わっている人で。開いていて、朗らかで笑っている、エネルギーに溢れた人です。

主催者の一人のかずさん、もまさにそういうひとで。
かずさんがぽろっと、おっしゃっていた言葉が印象的でした。

かずさん「自分たちが若い頃は、自己肯定感なんて会話で出てこなかった 肯定そもそもしてなかった」

たしかにそれもそうだなと。

わたしはお笑いが大好きですが、オードリーの若林さんを思い出しました。若林さんは以前まで極度の人見知りで、物事をうがった見方でみていたとのこと。

「自己肯定感」なんて言葉は使っていないけど、そもそも自分のこと肯定なんて出来ないよねって開き直ってる様が若林さんを想起させたのかもしれません。


この本の中で、昔ロケで子供たちが春日さんには、駆け寄っていくのに若林さんには来なかった、「子供たちは自分の卑屈さが見抜かれているのだ、春日さんのように何も飾らなくてもそのままでいられるひとに憧れている」と書いていた。


さいごに

今回の「よわいひらやまと話す会」の前に、久しぶりに自分の『弱さ』について言語化していました。自分のだめだなと思うところを書いていくのは、やっぱりキリキリと心が少しへこむもので

でも会では、それを感じることはありませんでした。

それは自分の『弱さ』を受け止めている人たちとの対話であって、自分の跳ね返ったところに焦点を当てられたからかなと感じます。

さらには、心理学を専攻されている方、弱さと向き合って進んでいる途中の方など学びと気づき多い時間でした。


そして単純に楽しかった。めちゃくちゃインタラクティブな時間で、休憩時間もみんなで話すほど。

そんな時間になったのは、車座で距離も近かったことに加えて、みなさんが話してることに受容的に聞いてくださっていたり、主催者の方々の人徳、ユーモアなどなどのおかげです。

本当にありがとうございました。

画像2

(phot by えのっきー )(ヘッダーも。ありがとう!!)


「よわさ」に向き合えている人って、もっと強いかと思っていた時もあったけど、実はそんなことなくて、弱いままでも自分の足で立って、誰かと共に生きていくことが出来るように今は感じています。

「弱いままで進んでいく」ことで誰かを勇気づけられたら、嬉しいなと。


最後まで読んでくださって、どうもありがとうございました。

たくさんの愛と感謝を込めて。

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