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世界一周後の記録part2        無知であることを自覚すること

どうも野村です。
前回の投稿で記述した通り、自分が学んでいること(アントレプレナーシップ)は、日本ではマイナー、そして特別であると旅を始める前は思い込んでいたのですが、世界に出てみると、この学問は当たり前であり、上には上がいるという現実を目の当たりにし、自分にはまだ何もないということを自覚しました。
前回の投稿を一読されていないという方はご一読お願いいたします。

ということで今回はそんな旅を始める前に自信持っていたことや、自分が天狗になっていた部分が世界に出たら何にも役に立たないず、井の中の蛙であるということを知ったときに、どのように考え、どのように進んでいったのか、そういったことを綴っていこうと思います。


無知の知とは

まず初めに、皆さんは無知の知という言葉をご存じでしょうか?
古代ギリシアの哲学者・ソクラテスの言葉で、知らないということを自覚すること。また、知らないうちに様々な先入観や思い込み、偏見などにとらわれていることを自覚することを指します。

そんな無知の知という言葉ですが、この言葉が僕の現状を把握した時にしっくりきた言葉であり、世界に出たとき、またはコンフォートゾーンから抜けたときに本質になる考え方だなと思いました。

無知の知と行動

上記した通り、「知らないことを自覚すること=知識がないことを自覚すること」ということだけではなく、最も重要なことは「知らないうちに様々な先入観や思い込み偏見にとらわれていることを自覚すること」だと自分は考えています。
というのも前回の投稿で記述した通り、経験を通じて自分がいかに広い世界を知らなかったのか、いかに小さいところで競っていたのか丸わかりになりました。でもこういったことに気づくことができる、または自覚することができるのはコンフォートゾーンから抜け出したときすなわち、何かアクションを起こした時です。
世界に対しては偏見や思い込みばかりで、本当は海外に行ってみたいけど治安がどう、情勢がどう、ネットの情報がどう、いろいろな思い込みや思案があります。はっきり言って僕にもありましたし今でも少しはあります。ですが、いざ一歩飛び出し自分の目で見てみると思っていたよりそんなことないことに気づく時がほとんどです。そしてその一歩踏み出したときにいろいろなことを学び、自分の内面を見つめることができると確信しています。

自分の例

そんなこと言っても、無知の知を理解してコンフォートゾーンから抜けるとか、行動してから無知であることを自覚できるといっても想像がつかないと思いますので、自分の例を少し上げていこうと思います。僕の場合は世界一周というところから学んでいきましたが、なにも海外に出るということだけが全てではないと思います。

僕の場合旅の中でアントレプレナーシップというものが、何も特別なことではないということに気づくことができましたが、それ以外にも英語であったり、各国や地域にはある程度の思い込みがありました。

例えばですが、アフリカはすべての国が貧困であり支援されているというイメージがありました。今アフリカはビジネスでいえば成長がすさまじく、今後発展していくということを聞いていたのですが、どこか自分では信じられない部分がありました。ですがいざ南アフリカのケープタウンに行ってみるとそこにはものすごく大きな都市が広がっており、自分の想像を超えるものが待ち受けていました。ですがその裏には貧困であったりそれに伴う犯罪というものも見えてきます。そこからなぜこんなにも発展しているのに空港の横には巨大なスラムが存在し、アパルトヘイトがなくなったにもかかわらず白人と黒人の居住地が見てわかる通りにこんなにも違うものなのかなどということに気づきます。自分でいろいろなことを調べてみたもののなかなかしっくりくる情報は出てきませんでした。あれなのかこれが原因じゃないかと勝手に妄想だけが膨らんでいきました。
ですが、大使館の方や現地の人に質問してみるといろいろな生の情報が入ってくるわけです。その情報にはインターネットや日本で知ることのない情報が多くありました。そこからまた思考して、また情報をもらいに行くわけです。(南アフリカの貧困から学んだことは後日綴っていこうと思います)
長くなりましたが、ここで僕が意識していたことは現地の人やその道のプロより無知であることを自覚してから行動することです。
無知であることを自覚して行動すること、アクションを起こすことで学ぶことのほうが質がよく、本当の意味での自分の知識になっていくとここに来る前に学んでいました。
自分で経験していないこと、知らないことに関しては純粋に耳を傾け経験して学ぶということ。インターネットである程度調べているから知識はあるからと慢心し、自分はいろいろな国を見てきたからここも同じだろとそれが答えだと思って人の話に耳を閉ざすこと、学ぼうとしないことそれがいかにチャンスを逃しているのか、ピュアな心をもって行動しそこから何事も吸収していくことこれこそが「無知の知からの行動」だと思います。
「百聞は一見に如かず」といいますが百聞の中にも質というものがあり、どこから情報を得るのかこれもまた重要だと思います。

無知の知が先か、行動が先か

僕ははっきり言ってこの時、自分にプライドや見栄などはありませんでした。なぜなら何度も言いますが、日本で特別な学びを今まで受けてきており、自分は誰よりも立派な経験をしていると天狗になっていた時に海外に出て井の中の蛙ということを学び、自分には何もないと自覚していたためです。
無知を自覚して行動することは重要です。ですが、行動するからこそ無知であることを自覚します。どちらが重要か、どちらが先に存在するのか、鶏が先か卵が先かのように僕はわかりませんが、自分の経験上どちらも重要であり無知の知は何事も学ぶ上では重要だと思います。
行動についてたくさんの偉人が言葉を残していますが、行動があって初めて考えること、できないことに気づくことがあると思います。
何も世界に出て物理的な距離という意味での行動ではなく、何事もチャレンジして何事も学ぶことを意識すること、無知の知と行動というのは相互関係があることを理解することが、学びを最大化すると僕は思いますので、ぜひみなさんもそういった考えをもってやってみるといいかもしれません。




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