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チャップリンはなぜ言葉を使わなかったか

チャップリンについて
書いています。

前回の記事では、
チャップリンの普遍性について
書いてみました。

またしても、
過去の私の記事から
「芸術の三要素」を
引用します。

芸術性の三要素
・普遍性がある
・言葉で表現できないもの
・哲学的な題材

この三要素に照らし合わせて、
今回の記事では、

チャップリンが言葉を使わずに
表現したものについて
考察します。

なお、私自身は、
チャップリンについて
それほど詳しくないので、

『ディズニーとチャップリン』に
書かれていたことをもとに
話を進めていきましょう。

この本の中で、
なぜチャップリンは、
サイレント映画にこだわったのかが
書かれていました。

トーキー映画(音声付きの映画)が
本格的に商業化されたのは、
1920年代の後半のことです。

『ジャズ・シンガー』('27)
などのヒットによって、
'30年代にはトーキーが主流に
なっていきますが、

チャップリンは、
『独裁者』('40)で

はじめて声を発するまで、
ずっとサイレント映画を
作り続けたんですよね。

本書には、その理由について
書かれていました。

チャップリンの作品の
おもしろさは、
セリフによるものではなく、
動きによる視覚的なものです。

その動きのおもしろさは、
チャップリン自身が舞台で
培ってきたパントマイムの
技術によるところも大きいのですが、

映画作品においては、
「編集」による部分も大きいんですね。

チャップリンのアクションを
おもしろく見せるために、
映像を早回しにして
見せたりするのです。

これに音がついてしまうと、
当時の技術では、
音も一緒に早回しになってしまい、
違和感が出てしまいます。

そういった理由もあって、
チャップリンは、
サイレント映画に
こだわったようです。

また、チャップリンは
このような言葉も残していると、
本書に書かれていました。

なぜ私は無声映画を作り続けたか?
第一に、サイレント映画は、
普遍的な表現手段だからだ。
トーキー映画にはおのずと
限界がある。
というのも、特定の人種の
特定の言語に
規定されてしまうからだ。

『ニューヨーク・タイムズ』(1931)

やはり、チャップリンが
一番大事にしていたのは、
「普遍性」だったんですよね。

言葉を使っていない
表現だからこそ、
時代や地域に縛られない
作品が作れたわけです。

この本の中では、
チャップリンの作品について、

「発想」のおもしろさ
というようなことが
書かれていました。

例えば、ステッキやネクタイを
別のものに見立てて、
演技するといったような

ビジュアルだけで
わかるおもしろさですね。

年月を経ても変わらない
おもしろさというのは、
「言語」ではなく、
「発想」のおもしろさなんです。

偶然なんですが、
少し前に私が紹介した本
『1989年のテレビっ子』でも

『ひょうきん族』と
『8時だョ!全員集合』の
おもしろさの違いについて
比較がされていました。

この本の中で、
ドリフの加トちゃんの

「自分たちのコントは
 今観てもおもしろい」
という趣旨のコメントが
残されています。

それは単なる自画自賛ではなくて、
ネタの性質によるものであることを
著者は指摘しています。

以前、たまたま私も
似たようなことを書いていましたが、

(後追いで『ひょうきん族』を観たら、
 あまり笑えなかったという話)

ドリフのギャグは
「言語」によるものではないんです。

(「う○こ ち○ち○」とか、
 「いっちょめ、いっちょめ」とか
 言語的な意味がない)

だからこそ、おもしろさが
ある程度変わらずに残るんですね。

一方で、『ひょうきん族』は、
おもに芸人たちの
「しゃべり」によって、

そのおもしろさが構成されています。

「言語」が主体になる
ということは、

そこには「地域性」や
「時代性」が付いて回ることに
なるんですよね。

だからこそ、
チャップリンもドリフも古びずに、
繰り返しの鑑賞にも耐えうる
作品になっているわけです。

こういうことが
今のように映像技術が発達する
100年も前に、

チャップリンが見抜いていたのは、
やはりすごいことです。

私も偶然、こういう理論に
辿り着きました。

(芸術性とは、普遍的で、
 言語によらないものであると)

(↑この記事の中でも
  唯一同じネタが再放送される
  ドリフを「例外か」と書いている)

それは私のように
後追いでたくさんの
作品を観ていればこそ、
気付けることであって、

今の時代にそういうことを
考えていれば、
この答えに辿り着くのは、
当たり前なのかもしれません。

しかし、チャップリンの時代は、
サイレント映画にはじまり、
トーキーが出てきたばかりです。

今と比べれば、作品の数も
限られるわけですよね。

そういう時代の中で、
こんなコメントを残している
チャップリンは、

やはりただものではない、
本物の天才です。

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