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知られざる日本一美しい川を世界に発信。NHK番組ディレクターに聞く、仁淀川への思い。

“仁淀ブルー”という言葉とともに、高知県に流れる仁淀川を全国に広めるきっかけとなった番組『NHKスペシャル 仁淀川 青の神秘 』。西日本最高峰の石鎚山を源流とし、日本一の水質を誇っているにも関わらず、当時は知名度の低かった“仁淀川”。
番組を作ったきっかけや番組を通して伝えたかったことなどを、番組ディレクターの斉藤勇城さんにうかがいました。

斉藤勇城(さいとう・ゆうき)

1981年東京生まれ、横浜育ち。アメリカの大学を卒業後、ニューヨークで就活をする中で音楽業界やエンターテインメント業界と関わることが多かったことから、自身も表現することに憧れを抱くようになる。日本に帰国後、2006年NHKに入局しドキュメンタリー番組のディレクターとなる。
初任地は高知放送局。2012年に、高知県に流れる仁淀川の美しさにフォーカスした番組を制作。『NHKスペシャル 仁淀川 青の神秘 』はその美しさを世界に知らしめるきっかけとなった。現在は自然、歴史、人権などをテーマにしたドキュメンタリー番組を手がける。2014年に制作した地球イチバン『戦乱前夜に咲いた花 地球でイチバン新しい国・南スーダン』は第51回ギャラクシー賞選奨。


仁淀川を初めて見た時の感動は今でも覚えてる。
100km以上流れてきてた水なのに
その河口の水は今にでも飲めそうなくらいきれいだった。

———ドキュメンタリーのディレクターとして高知に来たきっかけは何ですか?

斉藤さん:全国に支局があるNHKに入局したので、初任地はどこに行くことになるかわからない状況でした。どうせどこかに行くなら、水が豊かなところがいいなと思ったんです。サーフィンと釣りが好きだったので、仕事もやりつつ、どちらも楽しみたいと思って。

調べていく中で、たどりついたのが高知県でした。土佐湾の地形を見ただけでも、太平洋のいろんなうねりを拾う素晴らしい地形で、サーフィンにぴったり。さらに高知県を流れる四万十川に生息するアカメは釣り漫画にもよく登場する魚なので、釣り師にとっては、憧れの魚でした。

それで内定者が集まる飲み会で、人事の人の横に座って「高知に行きたい。高知に行きたい。高知に行かせてください」と念仏のように唱え続けていたら、本当に高知へ来ることができました(笑)。

初任地として高知に2006年に来て、5年半いましたね。

———高知に来る前から仁淀川のことは知っていましたか?

斉藤さん:いいえ。四万十川のことは知っていましたが、仁淀川のことはあまり知らなかったです。

高知に来たばかりの頃、たまたま仁淀川の河口へ行ったのが仁淀川との出会いですね。その時の感動は今でも覚えています。一級河川の大きな川で100km以上流れてきてた水なのに、その河口の水は今にでも飲めそうなくらいきれいでした。

上流に行けば、もちろん透明できれいなところは多い。けど、どんないい川だとしても河口は汚れているものだろうと、それまでは思っていたんです。少なくとも私が住んでいた神奈川では、ここまできれいな河口は見たことがありませんでした。


地元の人にとっては当たり前だというけれど、
この貴重な美しさをみんなに知ってもらいたい。

———仁淀川をテレビ番組として紹介しようと思ったのはなぜですか?

斉藤さん:高知に来た最初の日に感動したことが仁淀川の美しさとは別に、もうひとつあって。

カツオのたたきの横に添えられていたきゅうりのみずみずしさに、びっくりしたんです。食べた瞬間に「高知という土地のエネルギーが、ここに詰まっている!」と思いました。

高知と言えばカツオ!というのは誰でも知っていますが、きゅうりがこんなにもおいしいことって、知られていないじゃないですか。しかも地元の人は、このきゅうりのおいしさは当たり前で、特別なことだとは思っていない。

———たしかにきゅうりのおいしさに気がついている人は、あまりいないかもしれないですね(笑)。

斉藤さん:そうなんです。なんだか高知の“きゅうり”と“仁淀川”の立ち位置って似てるなと思ったんです。

当時、県外の人からすると高知の川と言えば四万十川。仁淀川はあまり知られていませんでした。地元の人にとっては、毎日のように見ているから、川がきれいなのは当たり前で、その美しさを特段特別なことだとは思っていないんです。

「私が感動した仁淀川の水の美しさは、日本だけでなく世界の中でも貴重なんだ」ということを、もっと地元の人へ、そして世界に伝えたい。そう思ったのが、仁淀川の水の美しさに徹底的にフォーカスした『NHKスペシャル仁淀川 青の神秘』という番組へと繋がりました。


実は、企画書を通すのは大変だった。
「構想5年、撮影1年」という番組制作の裏側。

———番組作りのなかで1番大変だったことは何ですか?

斉藤さん:撮影中も様々なことがありましたが、撮影し始めるまでが何よりも大変でしたね。
実は、この番組は構想5年、撮影1年なんです(笑)。

まず仁淀川をどういう切り口で番組にしていこうか迷っていた頃に出会ったのが、仁淀川を撮り続けていたカメラマンの高橋宣之さんでした。初めて高橋さんの仁淀川の写真集を見た時に、写真ももちろんですが、一緒に添えられている言葉も魅力的で。この方とお会いしたら、何か企画の糸口を掴めるかもしれないと思い、メールをしたんです。

高知市内の喫茶店で待ち合わせをして「仁淀川の水の美しさを突き詰めた、自然番組と美術番組が掛け合わさったような新しい番組を作りたい」そんな話をさせていただきました。

斉藤さん:それから約1年かけて高橋さんに導かれるまま、仁淀川のすみずみまで連れて行っていただきました。

「もし1年間仁淀川を撮影すればどんな番組になるだろうか。季節とともに変化する川の様子を追っていくのがいいのか、上流から下流に流れていく水を追っていくのがいいのか」と、いろいろと仁淀川をめぐりながら想像を膨らませて企画を考えていました。

でも企画を考えたからといって、すぐに番組を作れるわけではなく……。番組を作るには、会議で企画が採用され、予算をつけてもらう必要があるんです。企画書は何度も出していましたが、なかなか通りませんでした。

———企画書を通すのはかなり大変なんですね。

斉藤さん:自然番組を制作しているディレクターから言わせると「珍しい生き物の産卵の様子をカメラで捉える!」みたいな貴重な瞬間を激写するわけでも、「知らなかった!ライオンの日常」みたいな新しい発見があるわけでもない。ただ水が上流から下流にいくところを撮るだけ。「これで番組になるの?」というのが率直な意見のようでした。

紙の上の文字だけで、私が感動した仁淀川の水の美しさを伝えることが、なかなかできなかったんです。

それで次に、高橋さんに撮ってもらった仁淀川の映像を5分程度に編集し、企画書とともに提出して実際に見てもらうということを、何度も繰り返しました。高橋さんに協力していただいて、紙の上だけでは伝わらない“絵の力”で勝負をしたんです。

そうして少しずつ動き始めました。四国4県だけで放送する仁淀川の番組を作らせてもらったり、『新日本風土記』というBS放送の番組で仁淀川を特集させてもらったり。そうやって撮りためていったものをまとめて作ったのが、あの『NHKスペシャル仁淀川 青の神秘』でした。

どうってことない当たり前の場面を、
愛おしく、そして美しく撮っていく。

———番組を作る中で斉藤さんが大切にしていたことは何ですか?

斉藤さん:深い意味はないけれど、なぜだか人の心を打つようなもの。そういうものを撮ることに、とことんこだわりました。

ただ、水面に浮かんでいる桜の花びら。
ただ、水辺で飛んでいる蛍。
ただ、水中を流れていく気泡。

どうってことない当たり前の場面を、愛おしく、そしてどこを切り取っても、美しくなるように撮る。水は光を通すので、色が変化するし形も自由に変わるから、いろんな表情を切り取れば、いくらでも豊かに描けるんです。見過ごしてしまいそうなものを、丁寧に拾っていくことを大切にしていました。

そのままの自然の美しさを残すことの価値を打ち出していく。

———改めてこの番組を通して、1番伝えたかったメッセージは何ですか?

斉藤さん:番組が放送されたのは2012年の夏でしたが、撮影をしていたのはその前年。2011年3月11日は、高橋さんと一緒に仁淀川へ浸かって、青さのりがゆらゆらする水中の様子を撮影をしていました。撮影が終わりニュースを見たら、どうやら大変なことになっているぞと、初めて東日本大震災の被害の大きさに気づいたんです。

あれほど大きな震災だったのでその取材のために、NHKのディレクターの多くは東北に派遣されていきました。そんな状況の中で私は仁淀川の番組が撮影の佳境を迎えていたので、高知に残り制作を続けていたんです。

震災直後の頃は、こんなにも日本中が大変な時に“川が美しい”というだけの番組を作っていていいのだろうか。私も東北に行ってやるべきことがあるのではないかと、もんもんとした気持ちが実はありました。

———それでも番組制作を続けられたのは?

斉藤さん:東北の状況を見ている中で、ひとつ心配を抱くようになったから。
津波でここまで大きな被害を受けた日本は、きっと護岸工事で海岸を固めて、大きな堤防を作り、テトラポットを置いて、人口構造物で無理やり津波を防ぐ。そんな流れになっていくだろうということでした。

確かに自然は脅威でもあるけれども、そのままの自然の美しさを残すことの価値を打ち出していかなければ、日本の海岸中がコンクリートだらけになってしまう。今制作している番組が「古くから日本人が続けてきた、人と自然の営みを無視していいのだろうか」と少しでも考えるきっかけになるかもしれない。震災の1年後にこの番組を放映するということは、きっと大きな意味を持つだろうな。そう自分の中で納得し、番組の制作を続けていました。

僕にとっては、この番組は震災とともにあった番組、と言っても過言ではないんです。

「自分たちのホームへの愛おしさと誇りが生まれた」
サーファー仲間からの言葉は忘れられない。

———番組放映後の反響で印象的だったものはどんなものですか?

斉藤さん:たくさんの反響をいただいた中でうれしかったのは、サーファー仲間からの言葉でした。「高知のサーファーの間でも、あの番組の放映があってから自分たちのホームへの愛おしさと、誇りが生まれた」と言ってくれたんです。

何気ないやり取りの中でポロッと言ってくれた言葉だったのですが、自然の美しさが残っている奇跡やありがたさ、美しさを守っていく意識が、少しでも上向くきっかけになったのかなとうれしかったですね。
“そこに住む人”からの言葉というのは、ちょっと格別でした。

細田守監督の仁淀川を舞台にした作品
『竜とそばかすの姫』の原点にも。

斉藤さん:あともうひとつうれしかったのは、アニメーション監督細野守さんとお話をさせていただいた時に「仁淀川の番組よかったね!」と直接、言っていただいたこと。

実は『NHKスペシャル仁淀川 青の神秘』の番組を見て、番組内の音楽を担当していたピアニストの高木正勝さんに『おおかみこどもの雨と雪』の音楽を依頼されたそうなんです。

それだけでなく、細田さんの最新作は仁淀川を舞台にした作品『竜とそばかすの姫』。この映画の原点となったのが『NHKスペシャル仁淀川 青の神秘』だというお話も高知新聞の記事で拝読しました。

自分がまいていた種がいたるところで芽吹いているように感じて、とてもうれしかったです。

次に仁淀川をテーマにした番組を作るなら
仁淀川とともに生きる漁師さんに
フォーカスした番組を作りたい。

———次に仁淀川をテーマにした番組を作るとしたら、どんな番組を作りたいですか?

斉藤さん:番組を作るために仁淀川のことを調べる中で『仁淀川漁師秘伝―弥太さん自慢ばなし』(かくまつとむ/小学館)という本を読んだんです。その本は仁淀川の名物川漁師の宮崎弥太さんがウナギやアユ、カニ、エビ、ナマズなど川に生息する生き物の習性から漁法、食べ方までを語り、それを著書が書き出したものでした。

弥太さんが川とともに生きてきたからこそ語れる川の生態系。そこから感じられる生き物の不思議さと奥深さ、長年蓄積してきた知恵のすごさを感じ、とても感銘を受けました。その本を読んだ時にはすでに弥太さんは亡くなっていてお会いすることは叶わず。もしご健在であれば、弥太さんに密着して漁の番組を撮りたかったなと思います。

今でも弥太さんのように仁淀川で漁をして、自然とともに生きているような漁師さんがいらっしゃれば、是非お会いして次の番組に繋げたいですね。

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