テランヴァーグ皆川

のまないアル中6年生。40歳すこし手前。 どういうわけか雑貨屋をしている。 最近はスト…

テランヴァーグ皆川

のまないアル中6年生。40歳すこし手前。 どういうわけか雑貨屋をしている。 最近はストグラとコスメ・スキンケアにお熱。

最近の記事

最近のこと。

気が付いたら半年が過ぎていた。新しい年どころか、新年度まではじまっている。 11月に連れの母君が急逝され、そりゃあもういろいろなことが怒涛のように起きた。半年とは思えない密度と濃度の日々。 とにかく環境の変化に弱い私、加えて生活感のまるで合わない連れファミリーをの距離が近い日々だったので心身ともに疲弊しまくり いろいろな手続きや法事なんぞも少しずつクリアし、変わった環境にもちょっとなじんできたかなぁ、というころに亜急性甲状腺炎に罹患。そんなに激しい症状があるわけではないものの

    • わたしの名前は、テランヴァーグ皆川。

      昨日出会ったこの文章が異様に胸に残って、何度も何度も同じところを繰り返して読んだ。 テラン・ヴァーグ。ためしにちょっと声に出してみたり、頭の中でその景色をぼんやり夢想してみたりしてみる。その言葉に込められた意味も含めて、何度も噛み締めてみる。なんて味わい深い言葉だ。 この文章に出会う前から、この一冊がページをめくるたびにみせてくれる情景にはなんともいえない高揚感を感じていた。 人間がいなくなった後の自然、そのタイトルの響きからは我が家の近くにもあるような鬱蒼とした廃墟群、も

      • いっぽんの赤ワイン。

        昨日来てくれたお客様が、今日の開店と同時にまた来てくれた。 市内からのお客様だったので、また会えた嬉しさよりも先に「どうしたんですか!?」という気持ちが瞬間的に勝ってそのまんま声に出てしまった。 なんせ片道1時間20分ほどかかる道である。 わたしだったら用事があってもあわよくば連れに運転してもらえないか、そのためには予定をどう調整するか、みたいな感じで工面する距離だ(わたしの例は極端すぎるかもしれないけど) 「昨日のレジが合わなかったんじゃないですか?」 そうお客様に言われ

        • なにによって救われるのか

          最近、どうやって体力と気力を回復して良いものかわからなくなっている。 少し前までは「これをすれば体力が回復するなぁ」とか、「これで気力全快だぜ!!」みたいなのがあったような気がするのだけれども、最近はどうにもこの辺がうまくいかない。 体力、気力のゲージがそれぞれに100あるものとして、まず朝の車の運転で体力20、気力30くらい減る。 必要以上にバックミラーを気にしたり、あの車飛び出てくるんじゃないか!?とおびえたり、この自転車、私が追い抜く瞬間にふらっと倒れこんでくるんじゃ

          だから得たものもある、みたいな考え方が出来るのは気持ちが元気な証。大体はそんなものいらねーよバーカバーカみたいな気持ちになる

          だから得たものもある、みたいな考え方が出来るのは気持ちが元気な証。大体はそんなものいらねーよバーカバーカみたいな気持ちになる

          いつもひっかかってる気持ち。

          大きく息を吸うとちょっとだけ楽になる気がするのだけれど、吸ってばかりだとなんだかかえって苦しくなってくる。 それで、今度は大きく息を吐いてみる。ふぅー、とすぅーの間みたいな小さな音をたてて。 やっぱりちょっとだけ楽になる。 それをなんどか繰り返して、ひと心地ついたような気がしたあとにふと いちいちこんなことしないと人生なんてやってらんねーな、という乱暴な気分になって、結局息を吸っても吐いてもずっと引っ掛かりがとれていないってことに気が付く。やってらんねーな。 ちいさな癇癪を

          いつもひっかかってる気持ち。

          これはきらきらのお豆たちの別角度

          これはきらきらのお豆たちの別角度

          これはきらきらのお豆たち

          これはきらきらのお豆たち

          もう一度はじめる。

          特に他意はなくブログを分けた。 店舗のほうのブログも店主の雑記とはして自由に書いているが(全然更新していないけど) 自由に書きます、店舗のことはインスタをご参照くださいと書いてはいるし そもそも別にどなたも見ていないというのはわかっていても、やはり屋号でたどり着いた先があのブログだった場合を考えると 何となくチラチラとあんなことを書いてはいけないのでは、こんなことを書いてはいけないのではが過る。 まぁ好き勝手書ける場所があるほうが気兼ねがなくて良い。 「書いて整理したいん

          もう一度はじめる。

          まばたきの間に

          気が付いたら5月もおしりが見えてきている。 5月という月は個人的に割合のっぺりとした印象の月である。 接客業が長いせいか、ゴールデンウィークなるものにも特別浮足立つこともなく別に近い人のお誕生日があるわけでもない。 まあ強いていえば母の日。 何だかんだ毎年欠かさず何かしらを贈っていると思うのだけど こちらも毎年それなりに悩みながらも結局代わり映えのしないものを贈っているので、あんまり記憶がない。 今年はなんだかとっても色合いがやわらかくてうつくしい紫陽花と出会った