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パニック障害を薬を使わず克服した話 〜きっかけ編〜

妊娠中に初めてのパニック発作

※パニック発作や鬱症状について詳細書いているので、PTSDの可能性がある方はご遠慮いただいたほうがよいと思います。

28歳。私は、次女の妊娠中に人生で初めて過呼吸になった。当時の夫と二人でイタリアンを食べに行って自宅に戻ってテレビを見ている時だった。

バクバクとやたらと鼓動が激しい。動悸だ。少しずつ息が苦しくなり、手足が冷たくなりしびれてくる。息がちゃんと吸えていない気がする。苦しい。もっと息を吸わなきゃ……でも、吸っても吸っても苦しい。

当時、父が現役の薬剤師だったので父に電話して今の状態を説明すると、「この電話を切って、すぐに救急車を呼びなさい」と言われた。119に電話をして話している間に、目眩がして目の前が真っ暗になった。意識を失いかけていた。そこで、ハッとした。

「今、私が倒れたらお腹の赤ちゃんはどうなる?」

お腹の赤ちゃんをどうにか無事で産みたい一心で、私は必死で意識を取り戻した。人間の底力ってすごい。母は、強し。

救急車が到着した頃には、まだ息も苦しく、手足の痺れもあるが、しっかり話せるぐらいにはなっていた。救急隊員と話をして、近くの総合病院に連れていってもらった。

診察後に女性の看護師さんが言ってくれたことが私の救いだった。

「また、いつでも救急車を呼んだらいいのよ。でも、絶対にこのパニックで死ぬことはないからね。それだけは覚えておいて」

恵まれているなぁ。と、いつも思う。人に恵まれている。波乱万丈なのにいつも必ず、良い出会いがある。何度もどん底を経験しても、必ず光が見える。全身から少し力が抜けた気がした。

授乳によるホルモンバランスの崩れで心は最悪状態に

そんなことなどすっかり忘れたころに、私は次女を産んだ。8月の暑い日だった。しばらく思い出すことはなかったので、その事件が恐怖の始まりだということも考えたこともなかった。

ところが。

次女を授乳させている時に、何度も何度も心が不安定になることに気づいていく。母乳を与えることで視床下部に影響し、それがホルモンバランスにも影響するのだ。授乳する度に、私は世界一孤独のような気分になるようになっていった。

今思うと、鬱症状だったのだと思う。
心のコントロールができない。
これは一体、どういう状況なのか……。

ひどい時には、キッチンで包丁を持って自分に向けそうになったこともあった。私はきっと心の病気なんだということはわかっていた。

実は、当時の夫が借金・転職を繰り返しており、経済的不安状態のなかで妊娠、出産を迎えた。産後の「出産育児一時金」も、夫から「保険料を払っていないからもらえなかったよ」と言われた。

それを話すと、姉が「それはおかしいのではないか」とネットで弁護士に相談した結果を印刷したものを見せてくれた。

保険料の未払いがあっても、出産育児一時金は出るのだという。

もともと虚言癖はあったが、まさか!と思ったのが、最初の感想だった。その後、夫に問いただし通帳を見せてほしいと頼むと、通帳を持ってきながら
「あれ? いつのまにか入ってた」
と惚ける。そして、いつのまにか使ってしまっていたのだそうだ。

どういうつもりなのか、責めるのも怖かった。本来なら味方であるはずの、そして、一生のパートナーであるはずの夫が、まさかの横領。しかも、嘘をついてごまかしていた。

かなりおかしな人だ。という現実から目を背けた。

しかし、そこからいろいろと見つかり出す。当時、夫に「俺が投資で増やしてあげるよ」と言われて私の貯金通帳を預けてあったのだが、それが全部もうなくなっていた。これも横領されていた。

そんなことが続き、どうしようもない不信感と、その現実を受け入れられないショックと、今後のことを考えた時の孤独感と、さまざまな葛藤を抱えていた。心がおかしくなっても当然だった。

そうして、恐ろしいあの過呼吸が、たびたび起こるようになった。いわゆる「パニック障害」になったのだ。

発作が起こった人のなかの半数は、一生に一度きりで忘れてしまうらしい。しかし、残りの半数は、「またなってしまったらどうしよう?」と発作を繰り返して「パニック障害」になるのだという。

経済的な不安定さから、内職でPCでの文章制作などの仕事を始め、その後、少しずつ外での取材の仕事も復活させた。ところが、前夫は何度も仕事を辞めてきては数ヶ月、無職の状態でのんびりする。

取材から帰ると、いつも部屋は散らかりっぱなし。前夫は、晩ご飯を食べさせることはもちろん、作ることもせず、子守が面倒なので寝かしつけてしまっている。そこから、帰宅後に食事を作り子どもたちに食べさせ、いっしょにお風呂に入る。

夫でありながら、自分たちの安全を補償してくれない……どころか、自分たちを陥れるかもしれない人。そして、安易に仕事を辞め、なにもしようとしない。

毎日不安を抱えているうちに、打ち合わせ中に発作が起こったり、子どもたちを車に乗せている高速道路で発作が起こったりするようになってきた。

地獄だった。
この世の終わりのような恐怖だった。
このまま死ぬのではないかと何度も思った。
どうして息をしていたのか、その方法も忘れてしまった。

ただ、私の波乱の人生。これが最初の絶望ではない。

機能不全家庭で育ち、条件付きの愛情で「本来の自分」を否定されて育ち、学校でも集団無視やいじめにも遭って乗り越えてきた。自ら解決していじめをやめさせたこともある。職場でのいじめも克服して、数ヶ月後にはその先生が私にウケる話題をしてくるぐらいに味方にするのが得意にすらなっていた。

いつもしっかりと乗り越えてきたじゃないか。
今回も必ず乗り越えられるはずだ。

しかし、なかなか手強いのがパニック障害だ。

あまり治らないまま3女を妊娠。呼吸に怖さを抱えつつ無事に出産したが、まだまだ心の状態はよくなっていなかった。それどころかストレスの原因がさらに増えた。

前夫が、娘たちに暴力をふるっていることがわかったのだ。

私はさらなるストレスを抱えた。どうしようもないモヤモヤをどこにも出せず、人にも相談できず、抱え込んだまま、細々と自営業の編集ライターをしながら子育てしていた。

しかし、仕事が思うように増やせない。それどころか、どんどん家事もうまくこなせないようになっていった。また三女の授乳で心が不安定になるようになっていたのだ。

私は、友人の精神科医に連絡してみた。彼は、「ストレス耐性度テスト」を送ってくれて、返送すると連絡してきてくれた。

「ふっこちゃん、聞いて。ふっこちゃんの心は強い。言うてみたら鋼のハートやねん。それなのにパニック障害になるっていうのは、いま、よほどのストレスにさらされてるはずやわ。それをなんとかやめられるようにできひん?」

そう言われて決心した。「そうだ、離婚、しよう」。

ふざけましたが、本当にそう思ったのです。9年結婚していた間に、8回も転職し、800万円もの借金を作った前夫。離れて、しっかり自分で稼ぐほうが子どもたちのためだ! 

なにより自分のお金を勝手に使われる恐怖と、子どもたちに暴力をふるわれる環境から逃れなければと思った。

そう決意した私は、「働くためには、パニック障害を治すぞ!」と、この時に初めて、心療内科を受診することにしたのです。

※この続きは、また今度。心療内科に行ったこと、薬をもらったけど合わなかったこと、そこからネットで仲間を探してみたが仲良くなれなかったこと、そして、どんな方法を試してきたか。なぜパニック障害になるのか、独自の見解など書いていきます。

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