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広告クリエィティブ職は聖書もわかりやすく語れるのか?その60。

普段広告のクリエィティブ業をしつつ、プロテスタントの教会でお子様にお話をさせていただいています。その原稿を公開するシリーズ。
今日は100人隊長の僕(しもべ)を癒すお話。ユダヤ人と敵対するローマ人の偉い軍人さんがイエス様に対してみせた信仰がテーマに。仕事してるから分かる感じることがあるんですねー。

マタイによる福音書8章5節から13節
08:05さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、 08:06「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。 08:07そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。 08:08すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。 08:09わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」 08:10イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。 08:11言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。 08:12だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」 08:13そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。
Copyright: 日本聖書協会

<あとになって役に立つこと>
みなさんは学校でお勉強していると思います。勉強しているとなんでこんなこと勉強するんだろうか。こんなことやっても意味ないんじゃないか?と思うことがあるかもしれませんね。将来なんの役に立つんだろうなあと。わたくしも高校生の時は何のためにやってんのかなあと思っていたことが、あとで、あーやっててよかったなあと思うことがありました。

高校の音楽の授業で歌のテストがあったんですね。「帰れソレントへ」というイタリア語の歌です。それを歌詞を覚えて全部歌わないといけないテストでした。その当時は音楽の授業だから仕方なくやってました。自分がいい点だったかどうかも覚えていません。30歳ぐらいになって外国で車のCMのお仕事をすることになりました。その時の監督がイタリア人の方でその方とご飯を食べている時に帰れソレントへのことを思い出したんですね。そしてそこで I can sing one Italian songと一曲だけイタリアの歌を歌えるんですといってそこで歌いました。「びでおまれくわんてべろー」と歌いました。そしたら監督が喜んでくれまして、おーそれはナポリの歌だよと。仲良くなれたんですね。その時にあー音楽の先生ありがとう!役にたちました!と感謝しました。高校の時はなんとも思ってなかったことがあとで役に立ったんですね。歳を取れば取るほど、いろんな経験をすればするほど、あーあの経験が役に立ったなあとどんどん生きることが面白くなりますので勉強でもなんでも頑張ってほしいなあと思います。
今日のお話はある人の経験がイエスさまを知ることに役立ったというお話です。
 
<僕(しもべ)をいやしてほしいと願うこと>
イエス様が伝道をはじめられていろんな人の病気を癒す、病気を治す奇跡を多くされました。この13ページだけでも3つ、重い皮膚病を患っている人をいやす、今回の百人隊長の僕をいやす、多くの病人をいやす、とあります。その中でもこの箇所は有名なところです。あるときにイエス様のところに100人隊長という人がきました。この人はローマの軍人、兵隊さんでした。ローマの軍隊は6000人いてこれが60のチームに分かれていて、ひとチーム100人いたそうです。その100人のリーダーをやっていた人がこの100人隊長でした。100人の命を預からなければならない人ですからローマの軍隊の中でも最も優秀な兵隊さんだったそうです。その100人隊長がイエス様のところに来て言いました。「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んでひどく苦しんでいます。」と。この一言でわかることはまず100人隊長さんはイエス様のことを主、つまり神様、救い主だと言っているということなんですね。この頃イエス様のことを何だろうと言っている人も多い中、この隊長さんは主と呼んでいます。そしてわたしの僕が中風でとあります。自分の家にいるおうちのお手伝いをしてくれる人、当時は奴隷とも呼ばれていました。その僕が病気になっているので治してくださいとお願いにきたんですね。それがまずこの隊長のすごいところで僕が病気でも当時は放っておく、何にも治療もしなくてよかったんですね。そんな必要がないのに愛情を持って、イエス様に治してくださいとお願いにいったんです。優しい隊長ですね。

<触ったら治ると評判だったのになぜか>
その言葉を受けてイエス様は「わたしが行っていやしてあげよう」とおっしゃってくださいました。その僕のところに行くよと。この前の重い皮膚病を患っている人をいやす、というところにこう書かれています。「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、よろしい清くなれと言われると」治ったと書いてあるんですね。イエス様が病気をなおしてくれるらしいぜ、という噂がばーっと広まっていてそれはおそらくイエス様に触ってもらえたら治るらしいぜ、ということも言われていたと思います。なのでここで隊長さんはぜひお願いします!うちの僕に触ってくださいと言っても良かったんですね。でもここで隊長はそうは言いませんでした。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」と。わたしはそんな資格はありませんと言ってるんです。自分はそんなたいした存在、神様にきていただく値打ちがありませんと言ってます。さらに当時ユダヤの人は外国人の家には、この場合はローマ人の家には行ってはいけないというルールがあったんですね。だからユダヤ人じゃないからダメですよ、と。そういう意味もあってそう言いました。そしてじゃあ家にいかないってどういうこと?と思いますよね。周りの人もそう思ったと思います。直してほしいのに家にこなくていい?とね。ここで隊長は驚きの一言を言います。「ただ一言おっしゃってください。そうすればわたしの僕はいやされます。」と。どうすれば癒されるか、知ってますと、触らなくていいんですとこの隊長がいったんです。不思議ですよね。なんでそんなこと言うんかなあ来てくれるのに、その方が確実やろうと、なぜそう思うのかが今日のポイントなんです。

<自分の権威からイエス様の権威を理解する>
ここで隊長はこう言います。「わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に行けと言えば行きますし、他のひとりに来いと言えば来ます。部下にこれをしろと言えばその通りにします」と言いました。何をいきなり仕事の話をしはじめたんだ?と思いますよね。自己紹介?自慢?みたいにも聞こえるかもしれません。でもそうじゃないです。大事なのはこの最初のわたしも権威の下にある者ですがというところ。わたしもということは誰かが権威、すごい力のある人であるということ権力ともいいますが、目の前にいるイエス様ですね。イエス様も力がある方ですが、と言っています。この隊長は部下が100人いるわけですからその下のひとに言葉で命令すればみんな言うこと聞きますよと言ってるんですね。自分もローマの権力があるから、100人の部下に言葉でいえば大丈夫なんですと。じゃあ、イエス様なら、イエス様の力があれば、私の何倍も何倍もすごい力をもっているイエス様なら言葉でうちの僕(しもべ)の病気治せるのはあたりまえ、そう信じてますと隊長は言ったんですね。すごい発言。その言葉を聞いてイエス様は言いました。「イスラエルの中でさえわたしはこれほどの信仰は見たことがない」と。ものすごい信仰だとお褒めになりました。これはユダヤ人の中でもみたことがないぞとローマ人なのにと。聖書の中でもイエスさまにここまで誉められる人は滅多にいないですね。

<イエス様を知るための勉強・経験>
最初にいろんな経験がどう活かされるかはわからないよーというお話をしました。この隊長は自分のお仕事、100人の隊長をしている経験があったからこそ、イエスさまの権威が分かる、イエス様の言葉の力を知ることができたんですね。隊長だからこそ分かる言葉の力というのがあった。これは隊長という経験があったからこそ気づいたこと、持てた信仰、信じる力だったんだと思います。みなさんが今後いろんな経験、勉強をすると思いますがそれが実はイエス様の愛、イエス様の力を知るための経験、勉強なんです。そんなことないよ?自分が賢くなるためだよ、と思うかもしれませんが聖書にはこう書かれています。主を畏れることが知恵の初め。すべての知恵、経験の最初に神様、イエス様がいらっしゃるということなんですね。そのことを信じてこれからも色々な経験、お勉強をしていってほしいと思います。

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