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これから社会人としての生活の始まる彼らにしかできないこと

若者には負けないとか思うこともあるが、こればかりは無理だと思うことがある。
それは、初心を持つことや青雲の志を立てることだ。
これから社会人としての生活の始まる彼らにしかできないことである。

で、この初心と青雲の志。とても似ている言葉だが、私の感覚では違う。
初心というのは、自分が抱くもの。最初にこうでありたいと抱いた思いが初心。それはどうなったらお終いということはない。その一方で、青雲の志は、立身出世が入っている気がする。すなわち、ビッグになってやるぞという思いがあるということだ。ビッグになる前の最初の地点に抱くのが青雲の志。

そういう意味で言えば、私は初心は抱いたが、青雲の志は立てたことはない。
初心は、「いい授業をしたい。生徒を育てたい。日本の教育を変えてやる」である。もちろん、いい方向に変えるである。これは24歳で教師になった時に固く思ったことだ。

知り合いの先生に、教師になった時に「日本一の教師になってみせる」と誓った先生がいるが、これはどちらかというと青雲の志。私にはそういう思いはなかった。興味はないし、大学五年生で合格した私にはそもそも無理と思っていたし。

初心は、揺れる。
最初の学校で揺れ、転勤して揺れ、さらにまた大学に異動しても揺れる。
しかし、初心は変わらない。
頑固とも違う。
多分、何のために教師をするのかという目的に関わるのが私の初心なのだ。
だから、答えは唯一ではなく、その時の子供や私や社会の状況によってその内容が変わり、揺れるのだ。

「初心忘るべからず」

世阿弥は『風姿花伝』で説いた。
年に一回は『風姿花伝』を読み直すようにしている私は、また、今年も初心を確認している。
卒業生にも、初心を抱かせて卒業させたい。

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