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「”努力できることそのもの”が才能である」という主張と誤謬、からのやっぱり自律型人材が最強だよね、というお話

僕は、漫画「はじめの一歩」に出てくるジムの会長・鴨川源二が鷹村に贈った「努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし!成功した者は皆 すべからく努力しておる」という言葉が大好きです。

自分が、できる限り近道かつできる限り短時間で、できる限り効率的に、最大のアウトプットを出そうとする昨今の風潮に対し、「いやいや!血反吐吐きながら努力しなきゃ一般人がジャイアントキリングなんて起こせないでしょ!」と昭和の価値観を振りかざし続けている人間であることも自覚しています。

そんな中、こんな記事を読みまして。

要約するとこうです。

一連の研究から導き出された結論は、「人生にとって重要なのは才能ではなく、継続・努力である」という事実である。

「努力できることそのものが、才能だ」という主張がある(つまり、誰でも努力できるわけではなく、努力できることそのものが一部の人間にしかできないことなのだ、という主張)。

事実、多くの人は、やらない。言っても言っても、やらない。

有名なマシュマロ・テストには誤謬(ごびゅう:知識や考えの誤り)がある。

一部の「努力できない人」は、環境さえ変われば(整えば)努力できる人もいる。

努力できることは、才能ではない。努力できることは、周囲の人々や、コミュニティの価値観を含む、環境の産物なのだ。

なるほど、「努力しない、できない人も環境次第で花開く(可能性がある)」という視点は確かに薄かったなと。

確かに、僕には、いままで左下の象限への意識があまりありませんでした。それは、成果を出す人間はどんな環境であれ努力して成果を出すからだ、というマッチョな思想が根底にあります。

整理すると、こうなります。

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各象限をひとつひとつ簡単に整理してみます。

象限1:ほぼ確実に成果が出る人

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自律✕環境の影響をあまり受けない(環境に左右されない)人。いわゆる自律型人材です。

努力をする達成志向が強く、ねばりと継続力を持っているので、この象限にいる人たちは遅かれ早かれ成果を出す確率がとても高いことを会社経営14年の中でも強く感じます。

ちなみに、「自立」は人に頼らず物事を行えること。「自律」は人からの支援なく自分の行動を自分の規律で行えることです。なので、「自立している他律な人」という人も存在します(指示すれば当該業務は完遂できるが、言わないと取り組ま(め)ない人など)。僕は、自立することは一人前の証、その上で、自律できているかどうかが大きな差を生むと考えています。

象限2:環境次第で腐る可能性がある人

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自律的に努力をするものの、良くも悪くも環境に影響を受けやすい人。自律できている時点で優秀な部類に入りますが、ひとつだけリスクがあります。それが環境要因。

自分と同等もしくはそれ以上のスキルや熱量を持った同僚に囲まれたビジョナリーカンパニーに勤めることができ、最適配置をされればパフォーマンスを発揮し、メキメキ成長するものの、ブラック企業だったり、上司や部下や同僚に恵まれなかったりすると、メンタルが折れ、ダークサイドに堕ちてしまうリスクを孕んでいる人です。

この象限の人は、それを自覚し、メタの視点から右上へ移動する努力をしていただきたい(もったいないから)。

象限3:環境次第で伸びる人

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自律的には努力できないものの、環境要因を大きく受けるため、良い会社、良い組織、最適な配置(適材適所)、良い上司・部下・同僚などの環境が整えば伸びる人。

この左下の象限が、僕の認識になかった(薄かった)人です。

さっきも書きましたが、「いや、やる人は、どんな環境でもやるよね」「努力って無料じゃん。やれないんじゃなく、やらないんだよね」という元も子もない価値観の持ち主なんだと思います(でもちょっと変わりつつある気がするので、この記事書いてるんですけども)

象限4:つらつらの人(辛い人)

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他律だし、環境要因にも影響されない(環境が良くても努力できない、しない)人。

ここの人は、残念ですが、つらつら(辛い人)だと思います。

でもやっぱり自律型人材こそ最強ですよねと

この考え方は、「みんなが努力できるわけじゃない」「努力できない人を排除する考え方は選民思想に通じていて良くない/嫌い」「そりゃ強者の論理でしょ」「生存者バイアス乙www」など、批判も多いと思います。

でも、人の持つ能力は、もともと不平等です。努力できる基礎能力(成長・達成志向性)も、胆力も、自家発電力も、不平等です。

僕は、「不平等なものを平等に扱うことほど不平等なことはない」という言葉(考え方)を大切にしていて、会社経営もそのスタンスで行っています。

平等と公平は違います。

機会は公平ではなければなりません。でも、人が持つ能力は残酷ながら、不平等なんです。

そもそも、会社って?

会社は、パーパス(社会に存在する意義)を大切にしながら、使命をまっとうし、ビジョンを実現することで社会に貢献し、かつ雇用を生み出しながら、最適利潤(注:極大利潤ではない)を出し、しっかり納税する。

さらに、社会の公器として、一日でも長く、それを継続する(ゴーイングコンサーン)。これが営利企業の存在意義です(個人の見解です)。

パーパス、ミッション、ビジョン、バリューは、会社によって異なります。

会社の組織は戦略を実行するための手段であり、組織に属するスタッフ(社員)は目的を完遂するためのチームメンバーです。

ですから、社員に求められる価値観やスキルセットは、目的や文化や戦略によって変わります。

そのため、各社、応募要項や採用基準というものがあり、入口で厳格に選考されるわけです。

応募・選考・入社の時点で、不平等な価値観やスキルを、公平に選考しているということです。

そもそも、市場価値って?

そもそも、市場価値とは何なのでしょう。

僕は、2つあると思います。それは、雇う能力と、雇われる能力です。

前者が起業家や経営者で、後者が(いわゆる)社員です。

多くの人が、どこかの会社に属する(雇われる)社員であるならば、その人たちの市場価値とは、雇用される能力(エンプロイアビリティ:労働市場における転職可用性の意味で使われることが多い)ということになります。

市場(マーケット)における価値は、需要と供給で決まります。さらに、希少性と代替困難性も大きな影響変数になります。

だからやっぱり自律型人材最強説

この厳しい現実を前に、「環境さえ整えば」という視点や主張は(とてもわかるし、そういう人のセーフティーネットがあった方が良いということも賛成しつつ)どうしても頼りなく思えてしまうのです。

僕は、自分を自責型の人間であると認識しています。

その理由は、何かうまくいかないことがあったとき、国や、社会や、時代や、景気や、ウイルスや、競合や、社員のせいにしたとしても(他責にしたとしても)、ぐるっと一周回って最後は(経営者としての)自分にぜんぶ返ってくるだけだからです。

すべての人が右上の自律型人材になれるとは思いません。すべての人がなれないからこそ市場価値が高くなるゆえんです。

じゃあどうするか。

自分はいまどこにいて、どこに行きたいのか。

少なくとも、自分の現在地を知り、目的地を決め、もがくことはできるのではないか。

そんなことを考えるきっかけになれたら嬉しいです。

(追記)
この記事が本になりました!

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