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最悪。事故。/NZワーホリ🇳🇿【45週目】

どうもニュージーランドでワーキングホリデーをしているのすけです。残り10日だった時に、事故に遭いました。最悪。今週を振り返っていきます。


旅の前泊へ向けAucklandへ移動中の事故

事故が起きたのは、5月2日。

5月3日から親が日本から来てくれるので、3日から旅行の予定だった。

お昼頃に現在住んでいるTaurangaを出て、途中休憩を挟みながら進む。Auckland付近は渋滞するだろうから、少し余裕を見ての出発。15時半には到着できるだろうと思っていた。

14時半。日本でいう高速のような道。少し車は多いが、残り1時間で宿に到着する。左から合流する車両も来ているので、少し前との感覚を詰める。
すると、突然前方のトラックが急停止した。急ブレーキをかけ、なんとか前方の事故は免れたように見えた。が、一旦確認のために路肩に寄せるかと思った瞬間、後ろから「ボンッ」とトラックが衝突し、後ろのガラスは粉々に飛び散り、大破した。

「は?」何が起こったのか、わからなかったが、一瞬で冷静に戻る。思ったことは二つ。
「おれの30万円が消えた??」
「え、明日から旅行どうする??」

30万円は、この車は次の方に譲るつもりだった。3500NZ$で売ることは確定していて、この旅が終わったら引き渡す予定だった。キウイフルーツの仕事で稼げなかった分、ここで現金がもらえるのは大きい。その資金を使って、日本に帰ったら、日本のあらゆる場所にいる友達に会いに行こうと思っていた。
だが、その車はぶっ壊れた。ガラスは飛び散り、車体後ろは凹み、修理が絶対に必要。終わった。最悪。絶望。虚無。最悪。最悪。
日本に帰ってからの全財産を失い、何もできなくなった。理不尽すぎる仕打ちに絶望しかなかった。

明日からの旅行も全部この車で回ろうと思っていた。宿は全て抑え、Taupo・Rotoruaへ行こうと思っていた。だが、車を処理しないといけないし、レンタカーをするべきかもしれないし、いやそれならAucklandでも良いかとか、錯綜した。それより今やらねばならんことがある。

それに加え、現状やらないといけないことがある。相手の運転手が申し訳なさそうに降りてきて、保険会社に連絡しなねと言ってくれた。保険会社へは、webで連絡したら良いのか、電話したら良いのか、分からず。
そんな時も、上記の二つの絶望とが混乱し、事故の対応も何をやったら良いのか分からず、訳わからん状態になっていた。頭の中がぐちゃぐちゃ。

警察も来てくれたが、警察は自分ら(結果的に、ぶつかってきたトラックの後ろにさらに二台もぶつかっていて、計4台が絡む事故だった)が、元気で怪我なく、さらに車も動かせることがわかると、それぞれ保険会社へ連絡するようにと言っただけで、何もしてくれなかった。何をしにきたん?

トラック運転手の免許証を写真で撮り、自分の名前と連絡先を教えて、みんな去っていった。

おれは何をしたら良いのかわからなかったが、とりあえず路肩に停めっぱなしはよくないと思い、高速を降りスーパーの駐車場に車を停め、色んな連絡をとり始めた。

事故の処理ってどこで学ぶん?

結果的に、車は修理が必要であるが、NZのAAのサードパーティーという保険であったため、自車の保険は対象外。相手への加害の場合は保険が降りる。自分ではどうしようもできない。

相手の連絡先を聞いていなかったため、相手が保険会社へ連絡し、自分の車への保険を適用してくれるのを待つしかない。相手の連絡先を聞いておく必要性は、事故の後色んな人に話を聞いて、必要性がわかった。が、連絡先を聞いておく必要があるというのが知らなかった。警察もいたし、なんとかしてくれると思ったし、相手が自分の連絡先は聞いてくれてるから、相手から何かしらアクションあるもんだと思っていた。

相手の連絡先を聞いておくってのは、みんなどこで学んだの?
本当に、そこら辺の知識とか、一般教養が欠けてる。
世の中のことを知らんってことを痛感する。
相手の車のナンバーも写真撮っていないし、免許証しかない。
処理を進める中で、相手の連絡先を知る意義をめちゃくちゃ理解できたけど、そんなに必要なのってどうやって知った????

旅行キャンセル

初めは続行する予定だった。

折角の機会。NZで親と一緒に旅行をするなんてチャンスは中々ない。

だが、考えないといけないことが多い。

車を失った今、移動をどのようにするか。
レンタカーはいつ借りたら良いか。
そもそも、レンタカーは必要か。
事故の処理とか都度必要なんじゃないか。
身体は大丈夫か。
荷物をたくさん持ちながらバスで移動することは可能か。

なんとか考えたら良いと思っていた。

でも、気がかりが一つ。
最近この旅行に際しての流れが悪かった。

家族が怪我をしたし、おれも今回事故をした。
次、何か起こるかもしれない。

なんかそんな予感を感じとった。

そして、それは親も同じように感じていて、
それならお互いが楽しめる時に改めて行こうということにした。

決断ポイントは、「流れ」

良い流れの中にあるか、悪い流れの中にあるか。自分の家はそんな目に見えないものを大事にしている、そんなことを実感した。そして、同じく自分も自然とその考えを持っていた。

様々な予約をしていて、キャンセル可能なものもあったが、時すでに遅しなものもあった。無念すぎる。残念すぎる。本当に、最悪。

事故に遭ったことを考えてみた

保険会社に連絡し、家族会議で旅行のキャンセルを決め、今住んでいる家の家族にも連絡し、再び2時間かけて来た道を戻る。

道中でなんでこの事故が起こったんだろうか考えてみた。これ考えてみると、自分の思考判断のパターンとか癖がよくわかるなと思う。

①なんでああしなかったんだろうという後悔がたくさん浮かぶ

「なんであの時左車線に変更したんだろう」
「なんであの時休憩したのだろう」
「なんであの時間に出発したんだろう」
「なんで・・・」

自分の行動を省みて、なんであの行動判断をしたんだろうと思った。全て自分の行動が招いた結果であるとするならば、もっと予測し、もっと良い決断ができた。

自分を責めている感覚はないが、もっと良くできただろうとずっと思った。後悔かもしれないが、起きた結果から自分の行動を振り返った。

このよりもっとを考える癖は、こういうアクシデント以外でも常にしている。もっと考えられたとか、もっと良いコミュニケーションが取れたとか、もっと良い言葉を出せたとか、なんでも。

いつもそれは、起こった後に思うことだって気づく。事前にそれができたらもっと良いかもしれない。いや、してるんだろうけど、実感値がある前と後では全然解像度が低い。もっとこうなるかもしれないの予想を正確に細かく、事前にも考えていったら良いかもしれない。自分の特性的に。

最上志向的な特徴。

②そういう運命だったんだと思う

この場所で、この時間に、この車両数の中自分の車が、衝突されるって、ある種運命的な所を感じる。正直、どんな奇跡なの?ってレベルで、やばい。

あと30秒とかでも早く行ってたら遭わなかっただろうし、30秒遅くてもそう。あの時起きることは既に決まっていたんだろうなとさえ思う。

そんな運命の流れの中で起こったことだと思い、もう少し広い時間軸で見ると、2024年に入ってから、悪い流れが漂っていた。

1月にはメガネをなくした。旅の前日に前泊したホステルで。いつもなら、無くしたと思っていたけど、カバンの中にあったりして事なきを得るが、今回は本当に無くなった。いつもと違う流れだった。

2月にはパンクした。旅の途中に、でかい釘が刺さっていて、タイヤを修理した。車関係でやらかすことは今まで一度もなく、事故も当てることもなかったが、初めてパンクした。これも、これまでだったら起こっていなかったことだった。

3月には腰痛が襲った。いつもなら寝たら2,3日で治るところ、1週間ぐらい経ってもまだ痛むぐらい痛かった。キウイピッキングの仕事でやらかしたと思うが、ぎっくり腰疑惑が浮上するぐらい痛みが引かなかった。

4月にはNZで一番仕事運がなかった。初めは良くなかったとしても、大抵後から徐々に徐々によくなって行くのが今まで。しかし、キウイピッキングの仕事は、最初から最後までずっと仕事がなかった。様々な会社の千駄牛がある中、お声かけもらったり、連絡してもらったところを断り、自分で判断したところに行って働いたが、それが失敗となった。別の会社では恒常的に仕事があったし、自分の判断が完全に悪と出た。今までは自分で決めてきた、仕事は全部なんだかんだ良かった、それだけに変な流れを自分で作っていたと言わざるを得ない。

そして、5月。今回の事故。ここで、ようやく2024年の悪い流れに気がついた。この悪い流れは決まっていて、そのことに気づかないといけなかったんだと思う。

今回のこの事故も起こるべくして起こったんだと思っている。そういう機会だったんだと。経験を得るにしては大きい代償を背負ったが、でも必要なことだったんだろうな。
このせいで、日本に帰国後の予定が狂い、色々と予定を変更し出している。で、これも残念だけど、そういうことなんだと思うようにして切り替えている。

③失われた両親との時間

親と一緒に旅行をする機会はあんまりない。

ないというか、なくなった。

小さい頃はあれだけたくさんの所に一緒に行っていた。過ごす時間もほとんど一緒で。でも、高校生、大学生ぐらいから、その時間もだんだんと失われていき、次第に年に何回会えるか、みたいな数え方になっていた。

別にそういうもんなのかもしれないけど、今回時間を作って一緒に旅行をする時間があったにも関わらず、それも失われた。

両親、家族との時間ってだいぶ減って来ている。大人になるってそういうことかもしれないが、自分の中に家族時間を入れ込む余裕は作っておきたいし、その時間は忘れたくないと思う。

④運転することへの慢心

免許をとって、6年。確実に運転へは慣れがある。

慣れていない頃は、きちんとハンドル持って、前見て、余計なことはしないと決めていたけど、最近はその意識が薄れて来ている気がする。なんなら、運転への自信とかもあって、自分は事故に遭わないとさえ思っていた感じはする。

でも、今回、だからこそ、自分の運転を見直そうと思った。当たり前だけど、運転をすることに危険は伴っていて、確実に安全とは言えない。

運転しながら何かできるとか、っていうながら運転ってやめようと思った。別に今回何かしながらってわけではないが、慢心していたのは確実。危機感もって運転していこうと決めた。

最悪な経験

まさかこんなことになるとは思っていなかった。最悪なタイミングで、最悪な形で。本当に絶望した。生きていて良かったとは思うが、、でも最悪。

NZに来た時には、車を買った時には、車を売りに出す時には、こんな結果は予想していなかった。ショックはでかい。本当にやるせない思いしかないけど、それでも時間は進み続ける。だから進むしかない。

起きたことは起きたこととしてちゃんと処理して、次に進んでいかないとなって思う。もうすぐワーホリ生活も終わるわけだし、この事故の気持ちのままフィナーレを迎えるのも勿体無い。これはこれで、一つの経験として捉えよう。

帰国した後に予定していたたくさんのことへ、キャンセルが発生して行くと思う。これは今年のおれの流れが悪くて、お金を十分に準備できなかったせいである。多方面に色々と申し訳ないなと思う。で、一方恐らく今じゃなかったのかもしれないとも思う。たくさん発散しようとしていたけど、自分の中でNZワーホリの経験を自分で咀嚼して落とし込み、次にどう繋げていくか考える時間も必要だったんかもしれない。その時に、またみんなに会いにいこうと思う。

この最悪な経験を、貴重な経験に変換して、捉えていこう。残り1週間。NZ生活最後、スッキリして帰りたいと思う。

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