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意識の誕生と争いのはじまり ~縄文から弥生への意識の変遷~

いま私の周りでは、戦争や格差のない時代であったことを理由に、大勢の人が、縄文時代回帰への関心を高めています。私はそれが単に共同幻想となってしまわないように、知りうる限りの力を使って、多角的に整理したいと思っています。共同幻想の怖いところは、それが特定の人たちの意志によってコントロールできてしまうところにあります。なので、憧れに対するメリット、デメリットを知った上で、自らの判断で共同幻想に参加したいなら参加するのがいいと思っています。

ということで、『ハーモニー』という小説をご存知でしょうか?わずか2年の間に、『虐殺器官』と、この『ハーモニー』の2作だけを残して早逝した作家、伊藤 計劃(いとう けいかく)によるSF小説です。


ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

「大災禍(ザ・メイルストロム)」と呼ばれる世界規模の大災害の後、統一政府は、健康・幸福社会を目指し、「ハーモニー・プログラム」を始動します。人間の意識を操作することで、二度と人為的な災害を起こさせないというのがプログラムの主旨でしたが、それは人間の意識の消滅を意味していました。つまり、「人間の意識を消滅させて世界を“わたし”から救う」というプログラムだったのです。

ストーリーは恐怖小説の展開を見せますが、映画にもなっていますので、ご興味あったらご覧になってください。Amazonプライム等でも視聴可能です。

Prime Videoより

意識のない状態とは「自明」の状態と言い換えることができます。無意識だけに支配され、自由意思がない、自分で判断ができない意識状態です。『進撃の巨人』の「無垢の巨人」をイメージしていただくのが一番分かりやすいでしょうか?アメリカの神経解剖学者、ジル・ボルト・テイラーは、TEDの動画で、自身の脳が活動を停止していく瞬間を捉えて、「Oh, my・・・」を連発していますが、「自明」の状態とは、左脳が一時停止した状態と言い換えてもよさそうです。要するに、そのような状態では、人間は、決まったこと決められたことを淡々とこなして生きているだけになるのです。この状態では争いが起こりようもありません。均衡が保たれた平和社会ですが、自由意思がなくなった人類にとってはディストピアに映ります。


https://digitalcast.jp/v/18436/

『神々の沈黙』のジュリアン・ジェインズによれば、人間が今のような「自意識」を獲得したのはわずか約3000年前だというのです。紀元に直すと紀元前12~10C頃とされます。日本でいうと縄文時代の後期にあたります。ジェインズによれば、意識を獲得する以前の人間は「神の声」に従って生きていたと言います。先ほどのジル・ボルト・テイラーに戻りますが、統合失調症の人に聞こえるという言う「外部からの声」がこれに最も近いものです。意識獲得以前、人間は「感情」ではなく「情動」によって行動していたということです。「葛藤」もまだ芽生えていません。


神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

私の神は私を見捨てて姿を消し、女神も私を見限り、近寄ろうとしない。私の横を歩いていた善き天使もいまはいない
(BC12頃、バビロニアの粘土板より)

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

ジェインズは、神の声が消え、命令を受ける声が権力者に変わったことで争いが始まったと言います。紀元前12世頃というのは、有史最古であることが間違いないトロイア戦争が起こった頃でもあります。

また、話が飛びますが、『カオス・ウォーキング』という映画をご覧になったことはあるでしょうか?その映画の世界に登場する男性たちは「ノイズ」といって、自分の心の声が表示されてしまう病気に悩まされていました。自分の心が相手に伝わってしまうからです。そして、そこで登場するアーロン牧師は、神を信じるあまり、その「ノイズ」を自分の心の声ではなく神の声であると信じてしまいます。そこから悲劇が始まります。


映画『カオス・ウォーキング』

「情動」にエゴが加わることによって「感情」になります。確かに「感情」とはエゴにかく乱されたノイズかもしれません。皆がそれを絶対的な指令として、それに従って行動していたら、エゴとエゴがぶつかり、やがて争いに発展します。神の声が消え、それが(欲を満たすための)人の声に変わり争いが始まる・・・、人間の意識の獲得と争いの始まりが歴史の流れのなかでぴったりと一致します。

少し寄り道をしますが、縄文式土器のあの表現の豊かさやそこに流れるエネルギーの力強さは、すべては神の恩寵なのでしょうか。弥生時代に入り、神の声が聞こえなくなり、インスピレーションを得ることができなくなったのが弥生式土器のシンプルさ、おとなしさにつながったのでしょうか。「感情」というノイズからは、神の声を拾い上げることは出来なさそうです。



左:縄文式土器 右:弥生式土器

弥生時代に入り、稲作が始まり「所有」の概念が生まれたことで争いがはじまったという説が多くの支持を得ていますが、それだけではなさそうです。所有の概念につながったのは自意識、つまり、「エゴ」です。「エゴ」を獲得したことで社会からハーモニーが消えたのです。

聖書においても、アダムとイブは「善悪を知る樹」の実を食べてしまったことでエデンの園を追われました。自分で判断ができるようになったことによって神の加護は受けられなくなったのです。縄文の人たちもきっと、エデンの園のような神様のそばにいて土器や土偶を作っていたのでしょう。縄文時代はユートピアというより天国そのものだったのかもしれません。ただ、私たちはもう戻れませんし、誰も戻りたいとも思わないはずです。


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