[自己啓発]思考停止と行動力〜考えてから行動する〜

 人間とは、人間的な生活とは動き続けて話し続けることらしい。謂わゆる"健康的に"生きることとは、そういった習慣が必須らしい。だから、動きを止めて考えること、喋りを止めて考えることとは"健康的"とは対極に在るものなのだ。

  なにかひとつ、ほんの小さな動作を行う時でも、その直前に「本当にこの行為は正しいのだろうか」などと深く鋭利に考え続けてしまって、存在しない正解を探す迷路にハマってしまって、いつまでも行動に移せないこととは、大きく言えば"人間的な"生活を営めないということだ。生き抜くことが不可能になるのだ。だから、自分がこれから先にとる言動について何かしらの不安や不解明な部分があろうとも、その状態で一旦思考を留めておいて、行為に移す。はたまた全く別の物事へと切り替える。あるひとつの思考を深めることを、一旦手放すこととは、人間の基本的な生きる知恵なのである。殆どの人は無意識にこうした「思考停止」や「切り替え」を行うことができるため、日常生活を営み続けることができている。しかし、なかにはこだわりが強かったり、自分の中の「正解」に辿り着くことに固執している人がおり、そうした人は自分が納得できる「答え」に辿り着くまで1つのことをぐるぐる考え続けてしまう。そのようなタイプの人は、行為の直前にある思考をつい長引かせ、行動に移すまでに時間を要してしまう。その行動が、日常生活を円滑に営む上で重要なものであるほど、思考を狭く深く長引かせることは危険であり、人間としての健康的な生活を遠ざけることに繋がるのである。つまり、納得できる「答え」に辿り着けるまで、ただ1つにグッと焦点を当てて考え続けることとは、少し大袈裟にいうと「死」に近づくことなのである。


 同じ内容を言い換えてみると、たとえばあなたが目の前のモノを取ろうと手を伸ばしたとすれば、その何気ない小さな動作さえ「思考停止」の結果なのである。その動作は、"昨日と同じように目の前の物体は存在し、昨日と同じように自分の手は動いてモノを掴むことができ、そして今この瞬間この行為を行う必要がある"という確信(つまり思考停止)によってなされたものだからだ。"昨日と同じように目の前のモノは存在するのか?昨日と同じように自分の手は動きそのモノを掴むことができるのか?そして、本当に自分はこの動作今この瞬間に行うべきなのか?もっと自分自身に見合った、適切で効率的な方法やタイミングがあるのではないだろうか?"というスパイラルをブチっと千切り断絶させることこそ「行動」であり「行為」なのである。 

 もちろん「発言」「発話」も同様に、"本当にこの場でこの瞬間、この言葉を私こそが発するべきなのだろうか?この表現で適切なのか?これくらいの声量と表情で良いのか?今から発する言葉により、誰かが不快な想いをしないだろうか?"というスパイラルを中断することでこそ、その考察途中の感情や思考は音として放たれ、声となり、会話が発生するのである。

 「考えてから行動しろ」「考えてから話せ」といった言葉はよく耳にされる。しかし、よほど当人に言葉や行為についてのセンスが備わっていない限り、考えなしの発言や行動は多くの間違いを含む。他人を不快にさせてしまうような加害性や暴力性を孕む可能性がある。
 そのため、自身の無思考さによる加害を防ごうと、行動の手前にある思考を深めることはとても大切だ。しかし、その思考を深め続けることはこれまた別の危険性がある。ただひとつにグッと視野を狭めていつまでも思考を延長することは、「行動の停止」であり、「生きる」ことと対極するからである。思考を続けることは、健康的な人間生活の円滑さを蝕むことに繋がるのである。


 私が思うに、「思考」と「行動」の関係について必要となってくるのは、ある思考を何処までで止めるかを意識し、そのタイミングを見計らうことである。
 しっかり考えて行動することは前提の元、自分にとってより良いタイミング、より良い塩梅で思考停止させて行動に移すことが大切なのではないだろうか。








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