[小説]Cherry Tree

 昨日まで蕾だったのに、入学式にはちゃんと間に合わせて咲き誇り、すぐに雨が降って散る桜って嘘みたいで、フィクションみたいで、ドラマチックなようで少し胡散臭く感じていた。底のほうに小さく眠っていたこの感覚の存在に気付くくらいには、私は生きてきてしまったということだ。実家から徒歩5分に在る、もうずっと前にお世話になり終わった母校によく似た学校が、これまた記憶によく似た色の花びらを盛大に散らかしていた。こんな所に小学校があったなんて、今まで気が付かなかった。


 あの日入学式にお母さんが着てきた見慣れぬ一張羅、春の気候と晴れ舞台には暑苦しすぎるツイード生地の上着の胸ポケットに付いた、造花のブローチに似たものを、私は思いつきで買い込んだ。行きつけの懐かしい感じのスーパーの2階にある、婦人服売り場で。


 私はいつまで経っても頭の中がお花畑な自分の特性が嫌いになれなくて、というか今ではむしろ少しお気に入りで、それを自分のなかだけに留めておくには勿体無い気がして体現したくなったのだ。桜を見て、急に思案が湧いてきた。私は毎年春の憂鬱を心の中で嘆いているような人間だが、桜をみると心中に居るそのわたしはうっと口を噤んでしまう。そう、結局桜は美しい。対面すれば、目の当たりにすれば勝ち目はない。私は何度桜を見ようとも、諸行無常と期間限定とを好む日本人の強いDNAに抗うことはできないのだ。


 袋のなかの、ひとつひとつがきっちり正方形のプラスティック容器に入った淡白い色の造花たちを上から眺め、私はエレベーターで1人、自分の企みにしめしめとニヤついた。これらのお花を全て、月饅頭に似た綺麗な私の頭の丸みに沿って、頭皮をすべてぎっちり覆うようにひっ付けて「私こそが春の訪れ、桜の堅木だ!遠慮せず思う存分、春を独り占めしやがれ!」と言ってみた時には、私の男はどんな顔をするのだろうか。
 きっと笑わないだろう。なぜなら彼とは身体以外なんのセンスも合った試しがないのだから。

 私の男は乳首を吸うのが上手い。乳飲子からの英才教育なのか、右の乳房から左、左の乳房から右へと移るそのタイミングも素晴らしい。私の胸に顔を埋めた彼のふわふわした癖っ毛を上から撫でる感触も心地よくて、眺めの良い至福の時間だ。でもそんな時間にも、私が彼のアパートの家賃をまだ払い続けていることが思い起こされると萎えてきてしまって、情事がすべて終わった直後のジンジャーエールの一口目の、あの美味さを待つだけの時間と化してしまう。でも彼が現役で早稲田卒だったことを思い出せば、早稲田の男が赤ちゃんのように私の乳首を吸い続けているこの状況に興奮し、また濡れる。でも、早稲田の男がこの歳になって家賃を肩代わりしてもらっている女の乳首を懸命に吸っているという事実を再度認識してしまうと、やはり萎えて、ジンジャーエールが恋しくなる。
 私の男は、一体誰なのだろうか。そして、どうして頑なに、私と一緒に住むことを拒否し続けるのだろうか。

 胃液と同じ味のレモン果汁酎ハイを胃に流し込みながら、時間にして大体午前2時から午前4時、お肌のゴールデンタイムがすっかり終わってから朝陽の兆候を感じるくらいの時間帯に、私はしばしばよく私の男の「才能論」とやらの話を聞く。
 才能とはこうではなくこういった仕組みのモノなのだ。先天的なものがすべてでもなければ、ただがむしゃらな努力でもない。俺の夢を叶える為には、まず何をどういう手段で学び、どう脳みそを働かせ、どういう思考の下でどういった行動をこれから先とっていくべきなのだ、という内容を、決まって男は言う。私にはあまりわからない。目の前の炬燵テーブルも決まって眠そうにしている。そして、わたしの重い頭の回転は、間違えた方向にぐるぐる加速していく。
 なにかしらの物事を俯瞰的に捉え、うまく体系化し、まちがいのない論理に出来るような人たちはいつだって、その物事の外側にいる人たちなのではないのだろうか。なにかしらの事象を学問にしてしまう人はいつだって、当事者ではなく傍観者なのではないのだろうか。才能で生きていける、突っ走っていける人というのは、なんというか、なんと言うのかもっと、左脳的なのではないだろうか。
 こんな雑念がぐるぐるする。気持ち悪い。私はこの渦巻く雑念を、レモン酎ハイと一緒に喉まで出かかった悪塊を、決まって無かったかのようなそぶりで通過する。私はそんなモノ、何度だって無視してみせる。これから先も何度だって通り過ぎて見せる。


 私は、私の男が熱く語る目を、その熱を帯びた熱意の目を、これから先も見続けたくて、誰かの元には逃したくないと、ただつよく感じるのだ。




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