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「親友が人を殺したら、許せるか」高校生と考えてみた

2017年、当時の秘書に対して攻撃的な言葉を投げかけたことが週刊誌で報道され、話題になった元衆議院議員の豊田真由子さん。騒動後は入院を経て、現在は厚労省時代の知識を生かしワイドショーや討論番組で新型コロナウイルスの情報を発信する忙しい日々を過ごされています。騒動当時の思いや学んだことなどを高校生に話してほしいと思い、7月に高校いもいもに来て、子どもたちと議論をしていただきました。

緊張から始まった授業

豊田さんが教室に入ると、教室が緊張感に包まれました。「うわぁ、あの人だ…」と、子どもたちは心のどこかで思っていたと思います。すると「あのね、こわくないからね!普通だから!」と笑顔で子どもたちを和ませます。子どもたちは「絶対普通じゃないだろ」と心の中で言っていたと思いますが(笑)、みんな少し安心して笑顔になり、授業が始まりました。

努力したことは自分を裏切らない

騒動後、豊田さんを支援していた人、慕っていた人の多くが豊田さんのもとを離れていったそうです。ワイドショーでは何度も、過激に報道されていました。

当時のテレビを見ていた僕自身も自分の中の「豊田真由子」のイメージが、その報道の仕方によって作り上げられてしまったと思います。しかし、実際豊田さんと話すと、自分の持っていたイメージが大きく変わりました。常に一生懸命で、人思いで、それでいていい意味で隙があって、本当に素敵な方なのです。話せば魅力を感じてしまう、不思議な方という感じ。

あの「騒動」にも、実はいろいろな背景があったことの根拠を示した説明もあり、外からはなかなか分からない「政治」という世界のおそろしさと、今のネット時代に、『真実』を見極めることの難しさも、伝わりました。

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さて、騒動後、離れてしまった人はいたけれど、残ったものがありました。そのひとつは自分が勉強して身につけた知識や考え方、厚生労働省やジュネーブ赴任時代に得た経験です。現在は新型コロナウイルス感染防止に関する知識をわかりやすく伝え、テレビに頻繁に登場するようになりました。

豊田さんは言います。「努力は決して無駄にならない。仮にそのときは望んだ結果が得られなかったとしても、自分がした努力は、知らないうちに心と身体を鍛えていて、必ず、人生で自分を支える力になる」と。

答えのない問いを「自分だったら…」と考えること

騒動に関する報道によって離れていった人が大勢いましたが、一方で、それでも豊田さんを信じ、エールを送り続けてくれた人もいました。その中には、昔からの友人や同僚、熱心な支援者だけではなく、すごく距離が近いと思っていたわけではなかった人が、親身になって励まし続けてくれたことなどもあり、豊田さんも驚いたそう。そうした人たちに豊田さんは救われ、入院中から今に至るまで心の支えになっているようです。

世の中には、損得で動く人がたくさんいるということを知る一方で、学歴や肩書など表面的なことではなく、その人自身を、本質的に理解し、共感し信頼し、付き合うようになったのならば、たとえどんなことがあっても、信じ続けることができる、そういう人たちもちゃんといる、ということを改めて学んだそうです。

子どもたちにとって心の支えになる人、信頼できる人はどのような人なのでしょう。

子どもたちの「信頼できる人とはどのような人か」を聞いていくと「いもいもの先生たち」「親」など具体的な人が挙がりました。中には自分は一度友達に裏切られたことがあるので、基本的には人を信用していないという子も。

「信頼できる人とは〜という人だ」という一般化はできません。しかし、一般化ができないことをしようと試みるときに、子どもたちは「自分だったら」と自分の経験や思い、つまり自分自身の心と向き合います。答えの出ない問いに向き合い続けることで、自分というものがぼんやりと見えてくるのです。

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自分の親友が人を殺してしまったら

豊田さんは子どもたちに「『自分の親友が人を殺してしまったら、あなたはどうする?』と想像してみると、自分がその友達についてどう考えているかわかる」と宿題を残してくれました。

「まず何かあったはずだから、それを尋ねるかな」

と友達が人を殺すには理由があるはずだから、それを知ってから判断するという子

「計画犯罪と衝動的な殺人で大きく意味が違うと思う」
「自分が許せない種類の犯罪だったら縁を切る」

という冷静な意見も。そして

「その親友を叱る。それが友情だから」

という熱い思いの子もいました。

二項対立を崩す

授業も終わりに近づき、「最後に、君はどう思う?」とある生徒に投げてみると、時間をかけて悩んだあと

「うーん俺だったら、そいつに『がんばったな』って言うかも。だって殺人ってすげー大変なことだと思うんだよね」

なるほど、今まで僕も他の生徒たちも、「殺人を犯した友人を許すか許さないか」という枠組みで話をしていました。しかし、その親友は悩み苦しんで、苦渋の決断で殺人という選択を選ばざるを得なかった。殺人はそれほど重く、辛い選択。そんな選択を何とかした親友に対して「がんばったな」と言いたい。彼のそんな考え方や親友への思いに目から鱗が落ちたような気持ちになりました。一番親友に寄り添っていたのは、彼なのかもしれません。

発言内容をジャッジしない

高校いもいも内での生徒の発言は学校で怒られてしまいそうなものもあります。しかし、ここでは発言に対する「良い」「悪い」のジャッジはありません。「良い」も「悪い」も、ある人の視点や考え(またはある時代の一時的な考え)であるからです。むしろ、そんな「正しさ」よりも、その子にしか言えない意見、自分の心に向き合って出た言葉に一番の価値があります。

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「自分と向き合う哲学対話の場」になりつつある高校いもいも。次回も楽しみです。

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