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他者と共に生きるということ

コイノニアには、ナイロビのスラム街、キバガレに住む子どもたちが多く通っています。この日は市橋隆雄さん、そしてスラムに住む子どもたちと一緒にキバガレの様子を見に行きました。

スラムという日常

僕は以前、インド、バングラデシュ、フィリピンのスラム街に行きました。ケニアのスラム街もそうですが、トタンで家が作られ、地震が来たらすぐ崩れてしまいそうなものばかりです。実際、火災があり多くの家が燃え崩れてしまったこともありました。

数カ国ですが、スラムに行き毎回感じるのは、そこに住む人たちは彼らの日常を過ごしていて、不自由さをあまり感じていません。家にトイレがない、風呂がないので水道で身体を洗う。こんなことは日本の貧乏学生にだってあることです。スラムには彼らの生活があります。マーケットがあり、ビリヤード場があり、屋台もあります。


人恋しい酔っ払いおじさんの街

この屋台で売られているものをよく見ると、「うわっ」と叫んでしまいました。鶏の足、鶏の頭でした。びっくりしていると、酔っ払ったおじさんがやってきて「これうめ〜んだよ、おごってくれない?お前も食うか?」と鶏の頭に塩をかけて食べ始めました。僕は手を出しませんでしたが、焼鳥屋でも「セセリ」という鶏の首の肉を焼いたものもあるし、見た目が問題でも美味しいはずなのです。

それにしてもこのおじさんのTシャツ、笑ってしまいます。神を言い訳にして、自分がアル中なのを肯定しているわけです。このおじさん、寂しいのか、スラムに来た日本人に喜んでいるのか、ずっと付きまとい話しかけてきました。スラムの夕方は、新橋の夕方と似ているのかもしれません。人恋しい酔っ払いおじさんの街キバガレ。

スラムに住む人たちの暮らし

コイノニアに通う子どもたちが「Mr. Nao、私の家を見て!」というので、ビデオ撮影させてもらいました。もろプライバシーに関わることなので画像は載せませんが、3畳ほどの部屋にソファーがあり、食器棚があり、鏡もあります。部屋には七輪があり、まさに炭火焼きで毎回の食事を味わうことができる小さく、でも快適な暮らしをしていました。

すると「僕の家も見てよ」という男の子が現れました。彼はコイノニアに通っているわけではないのですが、僕がビデオを撮影している様子を見て、自分の家も紹介したくなってしまったのかもしれません。彼の家を覗いてみると、大きなソファーが3つ、冷蔵庫もテレビもあります。奥にはベッドルームがあり、正直言って大学時代の自分よりも豪華な暮らしをしていました。
キバガレに住む人全てが貧しいわけではなく、お金を貯めたり、田舎に土地を買ったり、と自らの目的のために住んでいる人もいるようです。

スラムは「惨め」ではない

市橋隆雄さんがスラムを歩いていると「Paster、調子はどう?」「Paster、久しぶりだ!」と周りには常に人だかりができます。コイノニアを作る前からスラムに通いコミュニケーションをとっているようです。学校ができる前は、青空教室のようなものをやったり、学校ができてからもグラウンドがなければ、スラムの近くでみんなでサッカーをやったそうです。スラムに通い、たまに若者にメシをおごる。そうやって彼らとコミュニケーションをとりながら、信頼関係を作り、学校へ行くこと、教育を受けることの意味を知ってもらい、コイノニアで学ぶ子どもたちを増やしています。

スラムにはドラッグをやる人、酒に溺れる人もいます。しかし、子どもたちは笑顔で、大人たちもこの場所で自分たちの生活をしています。確かに「スラム」と聞くと、「かわいそう」「惨め」と感じる人もいるかもしれませんが、実際、彼らの生活を覗いて、話してみてわかったのは、彼らは「かわいそう」で「惨め」ではないということでした。

僕らは遠い世界から見てイメージだけで判断をしたり、ある基準だけで自分と比較し、誰かを劣った存在として見てしまうことがあります。しかし、実際よく見ると異なることもあるし、一つの基準だけで物事を見てしまうことの危うさもあるのです。
実際にスラムの子どもたち、そして保護者と共に生きることを決意し、教育を通して子どもたちを成長させている市橋夫妻の素晴らしさを改めて知ることができた訪問でした。

というわけで、日本に帰国しましたので、ケニア訪問記はこれにて終了です。今後は、エッセイを気ままにアップしていこうと思います。

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