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−鉛色− 撰ばれてあること

とってもとってもお久しぶりです。
長らくnoteから離れてしまっていたけど、また少し書いてみます。
ここでなら全部吐き出せます。


社会人2年目も半分が過ぎていって、
職場でのぼくへの期待は日に日に大きくなっていっている。
いや、大きいというより、ただただ、重い。

面と向かって単刀直入に「君は本当に優秀だから、期待してるよ」と言われる。
「君なら理解できると思うけど、〜」
「これは〜〜こういうことだ、わかるよな?」

そういうことであることは理解するし、
ぼくに期待してくれているのも理解している。

だからこそ、その期待が重い。

もしぼくが、何かを理解できなかったときは、どうなるのか。
ぼくがぼくでなくなるの?
期待が崩れ去って失望と落胆に変わるの?

期待に応えられなかったらどうしようという恐怖と、
この期待を1人で背負わなければならない孤独でいっぱいだ。

「期待」は、その人の可能性を信じることだと思われがちだけど、
本当は、その人の才能の有限性を宣言する、抑圧かもしれない。
ぼくは、期待された通りに存在していなければならないから。


組織として、優秀な人に期待するのは何も間違ってない。
だから、みんながぼくに期待するのはわかる。
ぼくがみんなだったとしてもそうする。
ぼくもみんなだ。

でも、みんなはぼくではない。
みんなは、ぼくに期待しているだけでいい。
ぼくだけが、1人で、重い荷物を背負っている。

苦しい。
苦しいと誰にも言えないことが苦しい。


ぼくは、こんなだから、「強くなれ」って叱られちゃうのかな。
ぼくはぼくなりに強くなろうとしてきたけど、まだ弱いままみたいだね。

でも、自分の弱さを自覚していることが、ぼくの強さかもしれないよ。


撰ばれてあることの恍惚と不安と二つ我にあり

太宰治『葉』



【鉛色】なまりいろ
鉛のような少し青みを帯びた灰色。
期待は、鉛のように重い。



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