5年前、女子高生だったわたしが田舎の駅のホームで出会った”ひげ男”のはなし。前編
はじめまして、飯田華菜と申します。年齢はハタチ。
この春、わたしは上京し、俳優という夢を追いながら、「Choose Your Life !」を掲げる一般社団法人HASSYADAIsocialの一員になることになりました。
(↓HASSYADAIsocialのホームページはこちら)
https://social.hassyadai.com/
この機会に、わたしの「Choose Your Life !」のきっかけになった“ひげ男”との出会いについて、そしてどのような人生を送ってきたのか、どのように人生を選んできたのかをつづっていきます。
前編では、ひげ男に出会うまで、後編では、そのひげ男との出会いをきっかけに起きた、わたしの「Choose Your Life !」について、書いてみたいと思います。
この記事は、愛知県の田舎町で何事もなく幸せに、”普通”に育った女子高生が、学校帰りの駅のホームである”ひげ男”と出会い、人生を選んでいくはなし。偶然のようで、必然、奇跡のはなし。
不満はないが、何かが不安で、悩みはないが、何かをだれかに話したい。
そんな日常から、抜け出したい。
あの頃、駅のホームに座っていたわたしのような、誰かに向けて。
いつもより呼吸がしやすくなるような、ちょっぴり口角が上がるような、そんな何かのきっかけになれるようなものがお渡しできたら、幸いです。
5年前わたしへ、届けたいはなし。
負けず嫌いなムードメーカー
飯田華菜(いいだはな)。
年齢は、20歳、ハタチ。出身地は愛知県豊川市。豊川稲荷という神社が有名な町に生まれ育ち、この春、2年間の専門学校を卒業したタイミングで上京してきました。
実家は、1階に父方の祖父祖母、2階に父母、3つ離れた姉とわたし。と、二世帯住宅。
次女のわたしは、生まれながらのムードメーカー。常に人を笑顔にするのが好きでした。
たくさんの人に可愛がられ、たくさん愛されて育ったわたし。
そんなわたしは、給食の残り物じゃんけんには率先して参加していましたが、負けたときに悔しくて涙したほどの負けず嫌いな人間でした。
思い返すと、最高の思い出になっている中学校の行事がありました。
それは、『合唱コンクール』。
運動が大嫌いだったわたしにとって、マジ革命行事。
すぐに指揮者に立候補。
歌が好き!という気持ちとピアノ教室で習った知識を使い、一丁前にみんなに指示を出す。
そしたら、なんか取れちゃった、最優秀賞。(学年1位)
その時、合唱コンクールの神が降りてきたーーー!(どっかの番組風)
と言わんばかりに、合唱コンクールという武器を手に入れた。
それから2年、3年と指揮者になり、2年連続で金賞を受賞。(全校1位)
練習のときは目をバッキバキにし、よくある「ちょっとそこの男子〜!」レベルの話ではなかった。
少しでもふざけた人には容赦しない。
2年生のとき、男子のとある集団が真剣に指導してくださった担任の先生を馬鹿にした。
先生は練習を中断し、職員室へ戻ってしまった。
練習時間が短くなった、いやそれ以前に本気になってくれていた先生を馬鹿にしたのが許せなくって、「ちょっと全員、音楽室きて。」と一言。
みんなが合唱隊形に並ぶ前にひとりで立ち、
「なんか言うことない?」と男子にガンを飛ばす。
2、3秒沈黙が続き、K君が一言。
「すみませんでした。」
それにつられるように、ぞくぞくと男子全員がわたしに謝罪する。
全員が言い終わると、わたしが叫んだ。
「わたしじゃねえだろ。」
どうしたらいいのか分からなさそうな男子たちは、クイっと体を斜めに回転させ、次は女子たちに、「すみませんでした。」
「ちげえだろ!先生に今すぐ謝ってこいや!」
と反射的に怒号を飛ばしたわたし。(本当にあのときはごめんみんな。)
すぐにハッとした表情を見せたK君を筆頭に、みんなが音楽室を飛び出した。
残った女子たちからは、拍手喝采。
誇らしげにめちゃくちゃドヤるわたし。(笑)
今思えば、めちゃくちゃやばいな。
(あのときは、本当にごめん、みんな。)
濃くなっていく”もや”
そんな、負けず嫌いなムードメーカーだったわたしの人生に、”もや”のようなものがかかりはじめたのは、高校に入ったころ。
高校受験をする時期になっても、それはまあ勉強をしなかったわたしですが、山に近いからなのかなんなのか分かりませんが、うまいこと定員が割れ、合格。よっしゃ。無事高校生になりました。
中学3年生で「俳優になりたい!」と思いつき、いきなり家族や先生方に言い出したわたしですが、伝えてみたものの反対されるのが怖かったため、かつ周りに大学進学志望者が多かったこともあり、
「とりあえず大学は行くから!」
という言い訳で普通科のギリ進学校へ入学。
何事もなく友達もいっぱいでき、部活動も思っていたより大変だったものの、充実していた。
ただ高校生になり少しづつ、心に、”もや”のような何かがかかっていくのを感じた。
最初は気づいていないふりをしてみたものの、気づいたら、「なんだかなあ。」と感じる毎日。
言葉にできる悩みもあるが、たいしたことではない。もっと大事な悩みが、なんか、こう、うまく言語化できない。
そこに重なっていく人間関係の浮き沈みや、勉強、夢、自分。
そして気がつくと、その”もや”は以前より濃くなっていました。
高校1年の、涼しくなってきた夏頃。
練習終わりに部活の仲間と帰っているとき、その中の1人の恋愛のはなしになった。
一通り話して、とあることに気がついた。
『素直にこうやって人に伝えられるの、すごいなあ』と。
『わたし、人に相談したことあるっけ。』
振り返ってみると、誰かに自分の悩みを話すことはなく、人の相談にのっている日々。
『あ、わたし、人に相談できてないんだ。』と感じるとともに、
『”人を信じる”ということが、できていないのかも。』ということに気がついた。
話したい何かはあるのに、うまく言葉にできない。
たとえできたとしても、どうやって相談するの?
実際に、そのときに恋愛のはなしをしてくれた友達に聞いてみた。
「みんなってさ、相談するとき、どうやって言い出すの?相談があるんだけどさ〜って?ねえねえ聞いて〜って?」
そのときに返ってきた言葉は覚えていない。でも、心の”もや”は被ったままだった。
どうして人を信じることができないんだろう。知らない人ではなく、仲のいい友達、ましてや愛してくれている家族だっているのに。
いま振り返ってみると、2つの理由がみつかった。
1つは、昔から人のことを気にし過ぎてしまう性格だった、ということ。
環境なのか、生まれ持ったものなのか分からないが、なんかめちゃくちゃ気にしてしまう。今の20歳飯田の自己分析としては、嫌われる勇気がないんだと思うんだけど。
けど、そんなこと現役JKの飯田には気づけず、ただただ、
「わたしのために時間を削ってもらうなんて。」
「別にたいした悩みじゃないんだろうな」と、思っていた。
もう1つは、ポジティブ人間だー!と周りに公言し過ぎてしまったこと。
「ポジティブ=良いこと」という認識と、母から譲り受けた持ち前のポジティブを使って、
「どんなネガティブもポジティブに変えてみせるぜ!なんでも言ってみ!」
と、周りの友達に叫び広めていた。
広めていくうちに、”飯田華菜は悩まない人”という認識が広がり、
「悩みなさそうだよねー!」と言われるようになった。
そして、「そうかも!」と嘘笑いをした。
ここで、「そんなことないよ!」と言えばいいものの、強がってしまうわたしは『どうせこの人はわたしのことを知らないんだ』と不貞腐れるだけだった。
ふいに現れた「ひげ男」との人生を変える出会いは、そんな頃のできごとだった。
”ひげ男”との出逢い
2019年11月20日。
水曜日6限の毎月の講演が終わり、部活動が休みだったため、久しぶりに明るいうちに帰れるんだと、ルンルンしながら友人と下校した。
たまたま駅のホームの3人がけのベンチが空いていたために、重たいリュックサックをどんとおき、電車がくるのを待っていた。
すると電車よりも先に、右の階段から、一定の音と人影が。
次第に、短い髪と、髪より長い顎ひげが見えた。怪しすぎる。上手く目をそらそうとしたとき、最近学校によく来る”ひげ男”だということに気づいた。
「あ!さっきの人だ!」
気づいたら発していたこの言葉は思っていたよりボリュームが大きく、当たり前かのように、その”ひげ男”と目が合った。
やべ!と思うと同時に、
「隣、座ります!?!?はは!!」
と、焦り笑顔を浮かべながら、3席目のご案内。
隣にいた友達の顔は言うまでもないだろう。
そこで出逢った”ひげ男”が、
HASSYADAIsocialの共同代表、三浦宗一郎だった。
この三浦宗一郎というひげ男は、高校1年の途中から、毎月どこかの水曜6限に講演に来ていた。
特にヤンキーでもなく真面目でもないわたしは、なんとなく話を耳だけに通しながら、配られたプリントに落書きをしていたから、内容はあまり覚えていない。
ただ、席にご案内したからには話さなきゃと、ぎこちない会話が駅のホームで繰り広げられていた。
と、そこに、突然ホームに生徒指導の先生があらわれた。その先生に校則違反のイエローカードを切られた。(我が高校ではブレザーのボタンを閉じないといけない校則だったが、開けていた方が可愛い!がために堂々と開けていたため)
マジブチギレている友人と、ニヤニヤした顔をしているひげ男に挟まれたわたし。
「くっそー、まあ1枚目だからセーフか、はは、いや、くそ、はは、」
と、どうか早く電車が来てくれとひたすらに願うわたしに、ひげ男が言った。
「校則変えたらええやん!」
何言ってんだこのひげ男。
そんな気持ちを抑えながら「んん!?!?(ニコニコ)」と返事をするわたしにそのひげ男は、『法律を変えた人がいるはなし』をしてくれました。
「法律変えれるんやから、校則変えれんわけないやろ!」と。
そっか、なんとなく、校則=変えられないものだと思い込んでいたけれど、そんなことないんだ!と感じるとともに、
このひげ男、オモれえ!すっげえ!怪しくない!!!
と感じました。
いま思えば、全然怪しい。もはや、より、怪しい。
それからなんやかんやと私のいつもの生活や今日の講演のことを喋り、電車の中で連絡先を交換。
別れ際に、「今日の講演の感想送ってや!」と言われたため、帰宅しすぐに、
「今日はありがとうございました!面白かったです!」と連絡。
一言ずつぐらい言葉を交わし、その日以来連絡をすることも、来ることもありませんでした。
騙され半分で出会った、偶然の場所
2020年早々、いきなり始まったコロナ禍。
動きは早く、2月下旬から時差登校が始まり、3月には休校となりました。
世の中は恐ろしい病原の渦に飲み込まれる中、着信音が。
♪トゥルルル、トゥルルル。
見ると、「三浦宗一郎」という名が。
「間違いだろうな。」と思い、一旦無視。
♪トゥルルル、トゥルルル。
一度切れたが、もう一度かかってきた。
なんだろう?と思いながら恐る恐る電話に出た。
♪プツーツーツー。
こうして、「無料」という言葉に惹かれ、ノリと勢いでスタートした、HASSYADAIsocialとの交わり。
このあと足を踏み入れることになる、三浦宗一郎というひげ男が招待してくれた場所は、わたしが思っていたよりも大きく、そこからつづく扉が無限にひろがる世界でした。
と、ここまでは、三浦宗一郎というひげ男と出会うまでのはなしをお届けしました。
いかがですか。なかなかおもしろいでしょう。
後編では、三浦宗一郎が案内してくれた「世界」の先について、おはなしをしていきます。
後編もどうぞ、よろしくお願いいたします。
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