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休職日記「傷つくことを越えて愛すること」


【はじめに】

 ここ数日、鬱々した気分で過ごしている。リワークに通って半年になるけれど、人付き合いは苦手なままだ。このまま社会復帰しても人間関係で躓く気がして、どうしたものかと悩んでいる。この状態から抜け出すにはどうすればいいのか、自分なりに色々と考え、現時点での解決策を考えてみた。


【なぜ生きづらいのか】

 自分の一番の懸念は友好的な人間関係を築けないことだ。孤独に耐えられず、人と交流したいくせに、自分が傷つくことを恐れ、腹を割って話すことができない。そんな有様だから、いつまで経っても借りてきた猫のように職場の片隅で人の顔色を伺ってビクビクしている。関係性が築けないから些細なミスで人間関係が悪くなり、居場所が無くなる経験を何度もしてきた。

【原因〜父親との関係】

 幼少期を振り返ると、父親から褒めてもらったり、承認された記憶がない。父親の家系は代々人に頼ったり弱みを見せることをみっともないと教え伝えてきたようで「子供は甘やかすべからず」という教育方針だった。

 それでも、子供心に父親に褒めてもらいたくて色々と頑張った。父親は剣道の先生だったから、自分も小学生の頃から道場に通った。将来の夢は警察官になって剣道日本一になることだと意気揚々に答えた。そう言えば、父親が喜ぶと思ったからだ。

 父親の口癖は「自分で考えろ」「人に頼るな」「そんなこともできないのか」といった感じで、何をしても心から褒めてくれることはなかった。それでも試合に勝つと嬉しそうだったから、人よりも優れていると証明することが、父親に認めてもらえる唯一の方法だと思うようになった。次第に何事も平均以上の成績でないと見捨てられる気がして怖くなり、負けて自己評価を下げることが恐ろしくなった。

【肥大化する自意識と承認欲求】

 そんなこんなで、幼少期を過ごし、平均よりも偏差値が高い高校になんとか合格して胸を撫で下ろしたが、勉強についていけなくなり落ちこぼれた。有名な大学へ進学できないなら、別の道で評価してもらうしかないと思い、自主映画を撮ったり、シナリオを書いたりした。どんな手段であっても、自分には特別な才能があると証明しなくてはならないと思った。

 その後、紆余曲折あってテレビや映画の美術の仕事をするようになるが、成人してからも、父親を内面化した自分の超自我が「お前はダメなやつだ」「ダラダラするな」「成果を出せ」と、駄馬に鞭を振るうように自己批判をしてくる。だから、他者よりも優れていると実感できないと自尊心が保てないことは変わらなかった。相対的な評価を常に気にし、平均以下になることを恐れた。突飛なことをしたり、職を転々としたのも、奇抜なことをした方が評価が曖昧になると思ったからだ。最後尾になるくらいならレールから外れた方がまだマシだった。

【自尊心と所属欲求のジレンマ】

 相対評価はあくまで他者との比較、自分が「優れていると思い込めればいい」そのためには、自慢話をし、知ったかぶって見栄を張り、苦手なことは開示しなければいい。でも、そんな仮初の自尊心が長続きするはずはない。他者との相対的な評価など気にせず、実直に自己成長を続けてきた人には敵わない。ハリボテの自尊心を保つことに躍起になっているうちに、気がつけば人に誇れるようなことはほとんどなくなっていた。その結果、自尊心を保つために最後に残った手段が「人と必要以上に関わらないこと」だったわけだ。

 一方で、心理学者のマズローは欲求階層説で、社会的な動物である人間には 「所属と愛の欲求」があるという。社会的な動物が、群れを作って協力しながら赤ん坊を育てることができるのも、赤ん坊に「愛着」を感じる本能が備わっているからだ。つまり、産まれた時から、人間は一人では生きていけないようにできている。

 ここでジレンマが起こる。人と繋がりたいが、自分のくだらない自尊心が下がることが恐ろしく、苦手な領域の話を避けるため、常に石橋を叩くような会話しかできない。表面的な会話しかできないから、何を考えているのか分からない。そんな状態で仲良くなれるはずもなく、自己開示できないことが辛く、結局気疲れしてしまい、早く一人になりたいと思う。そのくせ孤独は辛いのだから、堂々巡りで出口がない。

【自己受容と自己成長が鍵】

 このジレンマから抜け出すには、解は一つ。他者と比較した相対的な評価によって自尊心を保つのではなく、短所も長所も含めたありのままの自分を認め受け入れることだ。親が子を愛することに本来理由が必要ないように、自分の方が優れていると証明しなくては、他者と対等に付き合うことができない、なんてのが根拠のない思い込みだと気づくことだ。

 赤ん坊が自然に言葉を喋れるように、人間には周囲の環境に適応していく力が元々備わっている。様々なことに挑戦し、失敗を繰り返しつつも、粘り強く努力ができるのは「自分でもできた」という喜びが自己効力感を感じさせてくれるからだ。他者と比較して自分の方が優れていると感じなくても、人は自己成長を続けることで、自尊心を育んでいけるようにできている。

【まずは自己否定に気づこう】

 まずは自分自身のネガティブな自己否定思考に気づくこと「自分は負け犬」「ダメ人間」「生きる価値がない」といった自己否定思考に気づいたらメモに書き出して、認知行動療法のコラム法などで適応的な思考に変換してみる。マインドフルネス瞑想でもいい、車窓を流れる景色のように距離をとって自分の思考を観察してみる。ポイントは良し悪しを評価しないことだ。「自己否定をしてはいけない」と抵抗すればそれだけ苦しむことになる。ネガティブな考えもありのまま受け入れることだ。

【さいごに】

 とりあえず、現時点での解決策を導くことはできた。他者と比較して相対的な評価でハリボテの自尊心を築くのではなく、自分の興味があることに挑戦し自己成長を続け、自己効力感を感じながら健全な自尊心を育むこと。

 今までと同じように、この先も様々な出来事が待ち受けているだろう。けれど「何があっても、自分の価値は揺るぎないし、生まれてから死ぬまで、何も足されないし引かれることもない」どんなことがあっても自分自身の価値を疑わず、ありのままの自分を「少なくとも自分自身は」絶対に受け入れてあげると決めること。今は難しくても、少しづつ取り組んでいけばいい。

 自己受容ができれば自意識の檻から外に目を向けることができ、傷つくことを恐れずに「所属と愛の欲求」を求めることができるはずだ。そして、いつの日か、愛されることを求めるよりも、愛することができるようになればいいなと思う。 

 

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