ネットで急拡大する実名リスクと、「炎上社会」について。
実名である人の発言は、信頼できると考える人がいる。
しかし、このパンデミックで分かったように、どんな立派な肩書を持っていようと中にいるのは人間だ。間違えるときは、間違えるということは肝に銘じなければいけない。
「実名」だから信頼できるとは本当か?
結局、発言が信頼できるかどうかというのは、その人が「何を根拠にしているか」「どういった論理展開をしている」かというところによる。
つまり、発言が信頼できるかに重きを置きたいのだったら、本来、実名と匿名で対応を変えてはいけないのだ。
実際、昨今のネットを見ると、ペンネームやニックネームで活動をする論壇の影響力が拡大している。
その信用の源泉は、発言に説得力があるかどうか、である。
私達は「炎上社会」に生きている
当然だが、実名を公開してしまうと後戻りができない。
過去の発言を辿られ、どんな言葉が大衆の気に障るかは、昨今のネット炎上と呼ばれるものを見ると、どんなに気をつけている人でもすべて防ぐのは難しいだろう。
なぜなら、何が善で何が悪というのは、この個人主義の時代では、主観にならざるをえない。気に食わないと思われたら、大規模な報復を受ける可能性があるのが、この「炎上社会」の特徴だ。
個人それぞれが意見を述べていただけとしても、その怒りが一個人に向かえば、それは立派な暴力になり得るだろう。
意見を述べる人は、大多数のうちの一人なのであるから、いくら誹謗中傷で訴訟を起こそうと、現行の法制度では、匿名である人間より知名度を持つ有名人の方が不利な戦いである。
これは、正規軍と非正規軍の争いのような、非対称戦争の構図と似通っている。
そんな社会で、実名はそれに耐えうるだけのメリットがあるだろうか?
これが本記事で、問いかけたいクエッションである。
最後に
筆者の見解を述べると、こういった炎上社会では、ペンネームやニックネーム等で活動するほうが、メリットがデメリットを上回ると考えている。
私は個人が自由に発言する社会を望んでいるが、有り体な言い方をしてしまうと、人類にインターネットは早すぎたのではないか。
良くも悪くも、今や個人の発信力は、国家を超える存在になりつつある。
これは、国家による懲罰的損害賠償や被害者救済の法整備が進まない限りは、変えられない流れだ。
この匿名が実名を凌駕するという潮流は、しばらく止まらないだろう。
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