僕はガチ勢という言葉が嫌いだ。何故なら「ガチ勢じゃん」という言われると相手から距離を置かれたと感じるからだ。理解出来ないモノに情熱を傾けるヒトを“自分とは違うナニカ”にして理解しようともしないヤツとは仲良くなりたいと思えない。 YouTubeでもガチ勢が解説なんて文言がタイトルに入ってると本当に萎える。たとえその人が僕より知識があって長くそのコンテンツを追いかけているとしてもガチ勢という言葉を使っている時点で信用出来なくなる。ガチ勢を自称する人間の言葉に情熱を感じたことが
下品も品のうちという言葉がある。おそらく現代人の殆どが使わないまま一生を終えるであろう言葉だが、僕はこの言葉が何となく好きだ。意味らしい意味みたいなものをしっかり解説された覚えはないが、誰かに下品だと言われた時の気の利いた返しみたいな扱いなんだろう、たぶん。そう考えるとこの言葉を使う人って下品ではあるけど粋な人間ではある気がする。だって人に何かを言われた時にサッと返せるのって素敵やん。 それにマナー講師の溢れるこの大マナー押し付け時代においては使う機会も多いだろう。お酌を
僕は所謂ポケモン直撃世代と言われるアレだったりする。でも子供時代は次々と発売されるゲームに目移りしていたのもあってポケモンだけに熱中していたわけではなかった。 そんなこんなで割と大人になってからポケモンにハマると、対戦とか厳選という概念が付き纏う。ただ対戦する上で厳選はほぼ必須だが、厳選しているからといって誰もが対戦に臨むわけではない。現に僕はオンライン対戦は好きではないがプレイの最適化という意味で厳選を行っている。理由は至極簡単でNPCに負けたくないからだ。 しかし、
正月といえば、と言われてもしっくりくるナニカがない。正月料理も大して好きではないしおせちに至っては食卓に上がることもない。羽子板やら凧揚げもしないし、地域特有のイベントにも縁が無い家だった。しかし、ダラダラと過ごすことが正月の醍醐味と開き直れるほど図太くもないので酒を飲んでも罪悪感がある。まあ、結局飲むものは飲むのだが。 僕の記憶が確かなら子供の頃からインドアだったので外で遊ぶよりも夜更かしして正月特番を見る方が好きな変な子供だったと思う。母親の実家に行っても外で遊ばずこ
僕の新年はカウントダウンTV でもおもしろ荘でもなく爆笑ヒットパレードから始まる。と言っても自分で決めているわけではない。リビングのテレビのチャンネル決定権を持つ父親が爆笑ヒットパレードを中心にザッピングするのだ。 そうでなくとも正月番組は世間が決めたお馴染みの番組ばかりで自分が選択した感が薄い。だから僕の新年最初の決断は「プロレスを見る」ことから始まる。 しかし、ここでひとつ問題がある。それは年始のプロレスは大抵ビッグマッチだということ。それの何が問題なのかピンと来な
仕事が原因でメンタルをやっちまった。今年の11月のことである。 仕事を休み、半ニートをしていた。YouTubeやnoteの活動も休止した。Xすら更新しなくなったが別に誰からも心配されなかった。 そして、現代だと金さえあれば仕事をしなくても退屈せずに生きていけることが分かった。動画は毎日更新されるし、昔の名作も見放題だしゲームにはやり込み要素が山ほどある。逆に言えば時間はどんなにあっても足りないということだ。 今年の夏に仲間達と田舎のコテージに宿泊した時に僕は一人で星を
M-1の放送が終わったあと友達から「M-1の話をする飲み会がやりたい」と誘われた。僕はその時ウエストランドの「お笑いファンは皆目見当違い」という言葉がフラッシュバックした。忘年会でM-1の話題が出るならまだしも、M-1の話をするためにわざわざ集まるなんて俗に言うイタいお笑いファンでしかない。しかし友人に「イタいお笑いファンみたいだからやめよう」とも言えないので「ウエストランドに皆目見当違いって言われるからやめな」と返信した。表現的にマイルドになっていると思う、多分。 僕
今日は手作りフライドチキンを作った。牛乳と塩コショウと余ってるスパイスを入れれば作れることが分かったのは大きな収穫だと言える。もちろんケンタッキーには遠く及ばない味だが、家で作ったと考えれば上出来だと思う。 それにしても、家でする揚げ物は上手くいかないものである。揚げ物は油の量と火力が正義、特にトンカツなんかは特にそうだ。その上スジを切るという知識がないと絶対に成功しないのは神が面白半分で仕掛けた罠としか思えない。 今回のフライドチキンも失敗した。外側だけゴリゴリに固
当たり前の話だがタイトルのインパクトと内容の良し悪しに相関関係はない。しかし、タイトルのインパクトが強ければより多くの人から注目を集められる。無限ピーマンから連綿と続く無限〇〇シリーズもそうだと思う。 別に「実際は無限に食べられないけどね」みたいな無粋な話をしたいわけではない。ただ、無限〇〇に変わるベターな名前を考えたいだけだ。 そもそもなぜ“無限”なのかと言えば無限に食べられる(と思えるくらい美味しい)からである。勿論これは単なる比喩なので、上述の通り無限というネー
一年に頑張って十冊くらいは活字の本を読むようにしているが、本好きではないし本を読む習慣もまったくない。好奇心のギアを無理矢理トップに持っていって本を選び、分厚い本は2冊分にカウントするとかそういうことをしてギリギリ十冊だ。 年間十冊だと月イチくらいでしか本屋に行っていないし、最近は電子で買うことも多いので実際はもっと少ない。つまり、僕が本を買ったり本屋に行く頻度なんて帰りがけに駅ビルの本屋でファッション誌を買うOLや、漫画を買う学生よりもずっと少ないということだ。 いや
秘湯マニアと呼ばれる人達が居る。人里離れた場所にある温泉に、最寄り駅と呼べない最寄り駅から向かう猛者達である。その多くは車の通れない道の先にあるため移動手段は徒歩で、時に本格的な登山用の装備を身に着けていることもある。 ただ、よく考えてみれば秘湯でなくても温泉地や旅館は山奥のことが多い。火山活動によって地下水が温められると考えれば当たり前のことだが、有名な観光地でもよく調べずに宿をとると酷い目にあったりする。逆に考えれば日本の温泉は殆ど秘湯なのかもしれない。手軽な温泉施設
先日、勇気を振り絞って家族にあるカミングアウトをした。友人には昔から伝えていたが、家族には言い出せなかった。墓まで持っていくことも考えたが、家族に隠し通すのも現実的じゃないので、悩んだ末に決断した。 そして、お歳暮でいただいた高級な肉を家族皆がどう食べようか話している時に、僕は意を決してこう言った。 「すき焼きってあんまり好きじゃないんだよね」 海原雄山気取りでこんなことを言ったわけではない。むしろ僕だって家族と同じ喜びを分かち合いたい。山岡士郎が居るなら本物のす
諸君、私はASMRが好きだ。耳のオイルマッサージが大好きだ。 長風呂しながらアロマとASMRを組み合わせたリラックスタイムなど心がおどる。 と、HELLSINGパロから入ってみたものの、敗北することもひっくるめて大好きな少佐と違って僕は楽しめる音の範囲が狭い。 まず男性の囁きが苦手だ。僕が男だからかもしれないが、男性の声はウィスパーでも角張った響きを感じてしまう。正直この表現で伝わるか分からないがこうとしか表現できないので、まあそういうものなのだ。 あと男女関係な
どうもお久しぶりです&はじめましてらくやです。 先月の頭くらいに体調を崩して医師に相談した結果、しばらくお休みをいただいた方がいいということで、そのようにしていました。具体的な病気の名前や症状は伏せがますが、命に関わるようなものではないとだけお伝えします。プロレス観戦やゲームなんかもしていたので、気分的にも結構元気です。 そんな感じで、ぼちぼちと活動も再開していこうと思います。 さて、再開するといっても週2回のラジオ+月イチでnoteを更新という無理をしないスタイル
最近、ウルトラマンのことばかり書いている気がする。しかも凄く好意的に書いている。そこに打算などは一切ないが、光の国(こと円谷プロ)も僕にウルトラマンになるチャンスをくれても良いんじゃないかと思う。 なんてバカなことを言っている場合ではない。僕が数年間抱えていたモヤモヤが晴れてスッキリしたのだから。仗助なら「新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のよーによォ」と言っていたはずである。誰だってそーするおれもそーする。 このままだとウルトラマンの話がしたいのかジョジョの話
またnoteから「連続投稿が途切れますよ」と言われた。無論、そんなことはこちらも百も承知だ。しかし、僕にはこの暑さで世間に公開する為の文章を考えたら脳が茹だって死ぬという確信がある。故にこのために死んでもいいと思えるほどのテーマがなければ書かないと決めていた。 しかし、八月も終わりに差し掛かったこの時期に、僕にも理解ある彼くんことウルトラマンブレーザーが現れたわけだ。 今回取り扱うのはウルトラマンブレーザー第六話「侵略のオーロラ」という話だ。 ざっくりとあらすじを書