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SNSの恐怖、そして福音 SNSは情報か人付き合いか

noteではじめてSNSとしっかり向き合った。
1年ほどが過ぎて、SNSとの付き合いで、変わった自分がいる。


似たようなものが寄ってくる

SNS(私がやっているのはnoteだけですが)を始めてから不思議な事に気がついた。
・私が閲覧したものに似たような記事が紹介される。
・私とよく似た属性(年齢や地域など)と思われる方の記事が紹介される。
似たような記事をどんどん読み進めていくと、その方向に思考が進んでいく。
最初は「こんな考えもあるのか」ぐらいだった考えが固定化されていく。
新聞であれば、さら〜と満遍なく見出しを眺めるだろうに、ネットの記事は方向性が定まっていく。

似たような事を次々簡単に見えるのは楽しい(SNSの福音)
隣の人との常識が離れていく、自分の考えに凝り固まっていってしまう。
これが思考の先鋭化?(SNSの恐怖)

SNSを読んでくれている人に依存する

自分が発信した事を、すぐに見てくれる人がSNSの中にいる。
見てもらえるととても嬉しい。
好き・いいねをもらえると自分が認められたみたいで嬉しい。(SNSの福音)
承認欲求は人間の本質的な欲求なの?

SNSに費やしている時間は、リアルに人と向き合っていない時間になる。
人と向き合う時間が削られる(SNSの恐怖)

伝えたいのに伝えられないストレスからの解放

いいこと、悪いこと、困ったこと、嬉しかったこと。
感じたことを伝えたいのに、その場に伝えたい人がいない。
みんなそれぞれ自分の時間軸で暮らしているのだから、仕方がない。
SNSなら感じた時に、感じたままに伝えられる。
伝える人がいない寂しさから救われる。(SNSの福音)

けれど、SNSで伝えるのは「伝えたい」事だけ。
全てを伝えないし、伝わらない。
全てを受け取れないし、受け取る必要もない。
全てを伝える、受け取めてもえあう努力が疎かにならないか?(SNSの恐怖)

ネット検索で手にするのは情報。
SNSは?
私はYouTubeを情報の一部として受け取っているが、noteは?

SNSは情報の発信、受信だけど、発信している人がいる。
受け取る側は無機質な情報として扱っていいの?
それとも文通のように、ネットを通じた人付き合い?
受け取る人がいることを考えてネット経由で綴る。

SNSの情報にも、記事にも、その先に人がいる。
SNSを情報と見るか、人付き合いと見るか。
それで、SNSは恐怖にも福音にもなっていくような気がする。

SNSもインターネットも使う人が幸せになるツールであって欲しい。
私は、SNSの先の人とお付き合いがしたい。


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