で、ルッキズムってなんなの?私ってなんなの?
ルッキズムに抗いたい
「こうなりたいの」
「ああなりたいの」
「なんでなれないの?」
とかいう言葉と気持ちってきっと誰にでも湧くものだなと感じることが沢山あります。
多分これは発言者の理想がはっきりとあるから起こる現象なのではと考えました。
「なりたい」という欲望は、世の中が勝手に決めつけた理想を思い切りぶつけられた時に誕生した悲しい欲望なのかもしれないと思ってしまうのです。
説明がとっても難しいから具体例を出そう。
例えば
「肌が白い方がいい」
「体型は細身がいい」
「暗い髪色がいい」
他にも出したらキリがないのでざっとこんな感じ
声に出してこの三つを読み上げてみると。
1️⃣自分自身がこの条件を理想として発言するときのテンションで聞こえる人
(例「アイドルみたいに細くなりたい!」)
2️⃣他者の理想を押し付けられているように聞こえる人(例「肌は白い方がいいよね。」)
の二種類のテンションを持った登場人物が生まれます。
伝わっているのかこの感覚???
とにかくこの二つの感覚を生んだモンスターはこの世間の理想を他者にぶつけるという行為から生まれるものなんです。憧れをあたかもすぐ実現できるようなノリで世の中に押し付けられる感覚が私はどうも性に合わない。
いいですか。憧れと理想は全く別物ですよ。
憧れは抱いていいけどそこに近づこうとするのもいいけど、生まれ持った自分を失ってまで追うものではないし。
理想はあってもいいけど、それを他者に押し付けてしまうから他者が生きづらくなるし。
ルッキズムな世の中になってきたなあと毎日思わされるのは、世の中が本当に変化しているのか私の自信のなさが影響しているのかは知りません^_−☆
みんなどんな容姿でもそれぞれの可愛さや美しさやかっこよさがあるんだから。私は最近自分の生まれ持ったものをより磨いてその世間の発言や考えに反抗できる人間でありたいなと思います。
そんな自分を愛してくれる人間と私はいたいんです。わがままです。だからイヤイヤ期が多い私は。私はね。
卒業制作が上映される話
私の大学では卒業制作の上映会があるみたいです。多分大学生で演技をする私を上映という形で観るのはきっとこれがラストです。
「最近私を知ってくれた方へ」の投稿がじわじわと伸びていまして、それに影響されたのか他の投稿もいろんな人に見てもらえる機会が増えました。
割とこの時期から自分を見てくれる人認めてくれる人許してくれる人好きでいてくれる人などたくさんの「人」に支えられているんだなと実感が湧きました。なんでこんなにもこの投稿が伸びたのかは不思議。
だから色んな人に学生最後の私の姿を見届けて欲しいなとひっそりと思ってしまいます。友達、先輩後輩、なんとなく私を知ってる人、とにかく一ミリでも私と関わりのあるみんなに会いたくなってしまいます。別に卒業って死ぬわけじゃないし全然会えるのにさ。
それくらい自分にとって演技って大事なアイデンティティだったんだなと三月に入って思う今日この頃でした。
オンラインで観れる作品もあるよ。🔽
卒業制作たくさん素敵な作品てんこ盛りなので、楽しんでもらえるといいね。いいな。いいよ。
今日は喋りすぎたなあ。
みんな美味しいご飯食べて沢山寝てね。そして時々私に話しかけるといいことあるよ。
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