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ルーツの再定義-他者のパースペクティブに触れて

兒玉龍樹
慶應義塾大学商学部商学科 3年


自己を確立するには他者という媒介が必要不可欠である。

「地獄とは他者だ」の一節で有名な哲学者サルトルの考えだ。

Identity Academyでの4ヶ月間で私が得た最も大きい収穫は、まさしく他者という媒介を通した「ルーツの再定義」だった。
ルーツは自己認識と切っても切り離せないものだ。

私が得た二つの教訓とルーツの捉え方に起きた変化を綴っていく。


情熱に従う-ルーツからの解放

私は自身のルーツ/バックグラウンドに強いコンプレックスを感じていた。
カンボジア・ジェノサイドによって祖父を失ったこと。
実家の400年以上続く寺院焼失による再建問題。

この二つが、最悪な形で複雑に交わって雪だるま式に問題が増えてきた家族史。
自分はといえば上手く対処するどころか、雪だるまの一部になって転がってばかりで失敗だらけ。他人に迷惑をかける始末だ。

このようなことから自身のルーツ・そこから生じてしまった過去を後ろ向きに捉えることが多かったが、大学に入ってから問題から物理的に離れ、友人や教授にも恵まれたことで少し冷静になり、葛藤しつつも徐々に自身のルーツを前向きに捉え始めることができるようになっていた。

しかし「今までの家族・自分の人生に意味を見出すためにはルーツ・過去を精算・昇華しなければならない」というある種の強迫観念が育っていたことにIAに入ってから気づいた。

後ろ向きだろうが前向きだろうが、ルーツに縛られている。
自分が今、この時に情熱を感じていることに蓋をして、結局何をしたいのか、わからない状態に陥ってしまっていた。

そのようなことに気付かされたのはIAの名だたる講師陣の生き方に触れたことによるところが大きい。

講師陣それぞれの印象は違えど、あの方達がどのように意思決定をし、社会に大きなインパクトを与えられるようにまでなったのか、お話を聞いて共通点があるように感じた。

それは「自分の情熱に正直」という共通点だった。

何かに縛られるのではなく、情熱が向く目の前のことに取り組む。
そうすることで後悔しない・自身の可能性を最大限活かせたと言えるような人生を送れるのではないか、そう感じた。

ルーツから逃げなくてもいいし、これからルーツに情熱を見出すことも大いにアリ。
けど無理やり昇華しようとする必要もない。
目下情熱を感じることへ自由に身を投じる。

そういう姿勢で良いのだとも気付かされ、自由な気持ちになれた。


恵まれている部分に集中する-ルーツを言い訳にしない

自分には先述の強迫観念と通づる、ある悪い癖があった。
どこか心の中で自分のルーツ・環境が特殊だから、と言い訳する癖。

これまで自分のような事情を抱えた人物で、そこから脱しようともがいている人と直接、深く接する機会がなく、危機感から目を背けるのが心地良かったのだろう。

この癖自体と自分の愚かさ・甘さに気付いたのもIAで出会った、ある同期のおかげだ。

彼は同期の中でも特に優秀なように私の目には映った。
講義ではいつも真っ先に質問し、質問はほぼ尽きない。

さらに彼の金融に関する問答は元GS金利トレーディング部長をおして「出来過ぎ」と言いたらしめるほどだった。

IAが始まって1ヶ月が過ぎたころ、彼と話す機会があった。
何のために頑張っているのか・何を目指すのか・お互いの境遇を腹を割って、日を跨ぐまで話し合った。

聴くと、彼の優秀さは強烈なハングリー精神から来るものであった。
「妹を大学に行かせたい。最初からエリートの道が敷かれているような温室育ちの人間を超える。目標を叶えるためには今自分が持っているモノはなんなのか、それを自覚して活かし切る。そのためには不遇な部分ではなく、自身が恵まれているところは何なのか、それを把握して全てを活かし切る」

そんなハングリー精神だ。

彼に畏敬の念を抱くと同時に「自分自身も深刻な問題を抱えている家族の支えにならなければならないのに、今何ができているんだろうか。結局、過去に囚われ、ルーツを原動力に変換しきれず、恵まれた部分を活かし切ることもせず、遊び呆けて、近道を求めてばかりだ」
そう痛感させられた。

「負の部分をハンデではなく武器へと変換する」
というような逆転の姿勢は、恵まれているモノ全てを活かし切る基本姿勢・貪欲さ・泥臭さがあってこそ活きる。
同じくハングリー精神が必要な環境で育ったけれど、自分より圧倒的に優秀な人物と直接出会い、そのパースペクティブに強く触れ、そのようなことを自戒させられた。

おわりに

これまで綴ってきたように、私がIAで得た最大の収穫は自分のルーツを再定義できたことです。

それができたのは、他者を媒介に自己と違ったパースペクティブに強烈に触れたからだと思います。

サルトルが言うように他者というのは自己を縛り、自由の妨げになることもある反面、自己の確立に大きく寄与し、人生を大きく切り開くきっかけになり得ると感じます。

このIAを通して自己の輪郭が鮮明になってきたとは言え、私自身が直面している全ての問題をすぐに解決することは難しいし、過去をどう精算するのか・祖父の無念をどうするのか・寺院をどのように再定義していくのか・自分の人生をどうしたいのか、そういうような葛藤は完全に消えることはないでしょう。

けれども、他者に触れて自分の情熱が向く方向や自分がやるべきことが徐々に見えてくる。そこに挑戦していく気概が湧いてくる。

そのようなことが卒業後も続いてく学校こそが、Identity Academyだと感じています。


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