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アドカレで書こうかとも思っていたけれど

タイトル通り、今年もアドカレやります。要項等は11月1日夜に出しますのでお待ちいただければと思いますが、参加したい、この日程が良いという希望のある方はそれより前に案内差し上げることも可能ですので先んじて私に相談いただけると嬉しく思います。

で、まぁそんな要項を書いたり準備していると、じゃあ僕はアドカレ何書くんだろうかとか、いつ出すんだろう、昨年同様に初日がいいのかな、とかいろんなことが浮かんでは消えていくわけですが、そんな中なんとなく思い描いていたテーマが”チーム”というものです。既知の方にとっては再三の話になってしまって申し訳ないですが、昨年までの3人の状態から変化がないかもと思っていたところから、大きな変化を迎えたのがこの1年でした。1年を振り返るアドカレとしてこの上ないテーマのように思えます。実際恰好のテーマなのですが、12月まで待つことのできない事件が起きました。それこそ、今タイムラインを大いに賑わせているニュース、カウンタキャッチャーの再録です。

カウンタキャッチャーがなんでチームに関係あるの?と思われるかもしれません。大抵は特定のカードがきっかけにチームが組まれたりといったようなことはないように思います。ですが、我々は違いました。いい加減呼びやすい名前があると文字数が減らせるなとも思いますが、ダッサい名前をつけたくない、名乗りたくない人が過半数ですのでただ便宜的にチームと呼び続けます。その実他の方がイメージするようなチームの実体からは少し違うかもしれません。ですが、このチームには明確なきっかけがあり、それにカウンターキャッチャーというのはなくてはならないものでした。そういうおはなしです。

ジムバのエントリーでプレイヤーズIDを書いていると僕がいちばん古い番号ということもことも珍しくなくなって来ました。僕がポケカを始めたのは18年、いわゆる第一次ポケカブームと呼ばれる最初の500円デッキのタイミングになります。その頃は高校の友人と一緒に始め思ったより早く彼が飽きてしまったので以降はVGの友人ら中心に遊んでいました。当時はカードの入手もハードルが高く仲間内で遊ぶばかりでしたが、ダークオーダー以降はカードの入手ハードルも下がり、次第にジムバトルやその先、つまり競技と呼ばれる部分に目線が移っていきました。

そういったタイミングで立ち上がったポケカメディアがありました。奈良を中心に活動し、世界大会での実績も十分なチーム”くりお宅”がウェブ、Youtube,自主大会運営と方々で活動を始められたのです。いまポケカメディアとしてはたとえばシティリーグの結果を見やすくまとめていたり、新カード情報が載っていたり、そういったものが想起されるかと思いますが、彼らはもっと競技としてのポケカに誠実に向き合ったメディアでした。

今や作家として活躍されている方監修の記事は当然読みやすく、あるいは対戦動画などはデッキの面白さ目新しさより細かいプレーに注目が向けられます。フシギバナがルガゾロのマグカルゴを縛ってLOしてるのを動画にするなど、数字だけを追い求めていておいそれとできる判断ではないように思います。何度も言うようにそれだけ誠実で、僕の大好きなメディアでした。いまそれらが読めなくなっているのは非常に残念です。

そんなくりお宅で一際目立っていたのが、ノコノコさんのデッキです。デッキビルダーとは彼と後述のかげろうくんのためにある言葉だと思っていますが、ノコノコさんが作る奇想天外なデッキというのがいつも環境を歪めていました。スポットライトをセンターで浴びたりはしないけど、特定のファンを虜にしてしまう、そういう魅力のあるデッキを作り続けてらしたのです。

昨年のアドカレではそういったもののひとつでノコノコさんの代名詞でもあるコントロールデッキ、奈良ニンフを紹介いただけました。これら以外にもノコノコさんのデッキの根底には”相手のしたいことをできないようにして勝つ”という強い意志が共通しているように思います。

奈良ニンフも大型大会などで複数結果を出したデッキではありましたが、その時点で僕にとっては昔話でしかありませんでした。ノコノコさんのデッキが環境を歪めたのを初めて目の当たりにしたのは、ギガスHANDでした。ギガス等HPの高い非エクとフーパを使いながら相手のリソースを枯らすというコントロールのコンセプトは、そう独創性の強いものと言えないかもしれません。このデッキが真に凄かったのは、HANDとそのためのギミックの数々です。

カビゴンLOが話題に上がる時必ずセットで語られるのが、両負けや投了についてです。LOに慣れ、またLOを使う覚悟の決まっている人間にとっては無用で空虚な議論に思えて仕方ありませんが、とはいえ当時のレベルを思うと自分から勝つ方法があった方がベターなのは疑う余地がありませんでした。その中で考えられたのがHANDによる特殊勝利です。コントロールの大定番であったヤレユータン「リソースマネージメント」ではなく、ルザミーネ+プレイヤーズセレモニーをエンジンとしたデッキを作ることにより無限リソースと安定的なドロー、そして時間内に能動的に勝ち切る手段を得ていた点が革新的でした。

そしてそれを秘密裏に使ったり有料noteにしたりといった感じではなく、普通に動画で公開していました。その影響は凄まじく、その後のCLで複数の盾獲得者を輩出したり、プレイヤーズセレモニーの価格相場を5倍程度に跳ね上げたりしていました。僕もそんなコントロール+HANDギミックに魅せられた人間のひとりで、その後にノコノコさんの作られたミミッキュHANDにもどハマりしたりとどんどん傾倒していくわけですが、同じくこのデッキに心酔していったのがともぽんくん、そしてかげろうくんでした。

ともぽんくんとかげろうくんが19年のCL東京に向けて調整をしている際、フーパLOにヘラクロスを入れることで一見コントロールの大敵にも思われた三神ケルディオに勝てることを発見しました。そしてそのデッキでともぽんくんが結果を出し、僕の目に留まりました。そのときに特別何かがあったわけではないのですが、20年のコロナによるロックダウン以降競技シーンが停滞し舞台をPTCGOに移した際に変化がありました。

PTCGOが調整の中心になりリモートと叫ばれていた時代だったからこそ、京都-北海道の遠距離調整というものが実現しました。ここになんでか今となっては全く思い出せないけれどもう1人akさんを加え、3人でこの大会に向けて調整を進めていました。彼は社不適過ぎて大会にいませんでしたが、誰もが手探りな中で正解デッキを使って一定以上の結果を出すことができました。

そういった成功体験をもとに、大会シーンが復活しても3人でポケカについて話す窓というのは常態化していきました。始めは互いに顔も知らないようなところから大型大会のたびに少しずつ交流が増えていき、昨年のJCSではついに3人揃って大会に出ることもできました。とはいえ大した結果があるわけでもないし、なんとなく仲良くも、逆に3人の状態でダラダラ2年も続いてしまったり、各々別のより充実した調整環境があったり、そういうなんとも言い難い状態でした。

その状況を打破したのが昨年のCL京都です。ともぽんくん周りで事前に幾らか交流のあった人らがCL京都に参戦するということで、一緒に行動していました。それをきっかけにめったぁ、せと両名が現在の窓に入り、そこから少しずつ風向きが変わって来ました。絶対数が増えたことで調整の手数、クオリティも向上しましたが、何よりモチベのある人が常に一定数以上存在するというのが3人の頃と圧倒的に違いました。

たとえば僕はカードが趣味というより、公式大会を目指すのが好きなだけなので、公式大会の日程の決まっていないときは全くカードを触りませんでした。3人のうち1人がその状況では一切機能しないのも当然です。が、以降誰かは大会の予定があるし、それに付き合う人もいるということで常にポケカ熱をもって取り組みやすい環境が構築されました。さらにはCL愛知でかげろうくん、宮城で野村くんを加え、少しずつ結果もついて来ました。せとくんが世界権利を取ることができましたし、僕もCLでベスト16,32やそれ以外にもDay2複数回と自信の得られたシーズンになりました。

この自信というのが大きく、その頃久しぶりにポケカに復帰したノコノコさんに練習、調整をお願いするようになりました。世界3位も獲得したことのある人に提供できる自分の価値を考えると中々初心者当時の僕には難しかったですが、そういった結果と自信は非常に大きなものでした。CL新潟に向けて一緒にヌメルゴン等を調整し、それがJCSに繋がったりはしなかったので一旦お開きになってしまったものの、8月のチーム戦でご一緒してロスギラ-ロスヌメを2人で使って勝ちまくったり、さらにCL横浜に向けて調整窓にお誘いをしたりもしました。

入るやいなやSanderコントロールをさらに魔改造したレシピが投下され、コントロール好きの僕、ともぽんくんかげくんの3人は大いに湧きました。他の人らがどうだったのかはよくわかりません。結局カビゴンもSanderコントロールも僕やノコノコさんは使いませんでしたが、それでもくりお宅のまさにその人、くりおさんはカビゴンでDay2に進出されており、流石といった感じでした。

カビゴンで一定の成績が残せたとは言え、新弾前の環境はカビゴンの不利対面が非常に多く、とても確信を持って使えるような状態ではありませんでした。少なくとも、僕の練度で肯定される選択肢ではありませんでした。が、レイジングサーフで潮目が変わりました。ロスト系列、特にギラティナを積極的に使う理由が減り、さらにルギアも横浜当時のポジションを失いました。ジラーチを起点とした変化だけでなく、ゴージャスマントの登場も大きく、ルギアやミライドンに対して戦うルートも増えました。

この環境と何よりノコノコさんの練度、理解度であれば消極的なギラティナよりカビゴンを使うべきだと僕が強く推したこともその一端となり、実際にシティリーグで優勝し今や話題沸騰なわけですが、その裏にはこういった経緯がありました。カビゴンLOが勝ったという話題が一人歩きしていますが、およそノコノコさんが勝っただけでしかなく、どこに同じ練度、速度であれを使いこなせる人材がいるのだろうと思ってしまいます。最近よく話すので知ったのですが、他のカードゲームでもろくな勝ち方してなくて笑ってしまいます。そんな覚悟はおありでしょうか。僕はBIG LOVEなので結構あります。

そんな僕の今シーズンは大失敗から始まりました。今度こそWCSに選手でと意気込んで練習をしていました。かなりの自信を持ってノコノコさんとギラティナを調整しましたが、2人して呆気なく負けてしまいました。せとくんがギラティナでJCSに引き続き結果を出してくれたり、チーム総体としては悪くなかったかもしれませんが、個人としては満足のいくものではありませんでした。特にカビゴンを諦め(させ)たのは少し早計だったかもしれないという反省があり、余計なことをしてしまったかもと後悔していましたが、今度こそノコノコさんに価値あるものを提供できました。

そしてついに、ノコノコさんやかげろうくん、ともぽんくんとカウンターキャッチャーが帰ってきた環境でコントロールが調整できるような予感がしています。いや、この際コントロールである必要はありません。何か碌でもないデッキをドヤ顔で使いたいのです。その震源地になり得る場所に居られるというのは、如何とも形容し難い興奮があります。僕が今囲まれている人たちと出会ったのは何より、こういったコントロールデッキのおかげでした。そしてそれらデッキにカウンターキャッチャーは欠かすことのできないカードでした。

CL横浜に向けての調整の際にノコノコさんと駄弁っていたことがあります。どういうカードが来たらコントロール系列が復権するのかについてです。カウンターキャッチャーが来てくれたら嬉しいけれど、それは現実的でない、ライン越えだ。多くを望まないからフレア団の下っ端が欲しい。さて、ライン越えカードの再来です。ここまでデッキビルダーの2人に丸投げしているかのような話ばかりでしたが、もちろん僕も彼らのように独創的なデッキを作れるように頑張りたく思います。俄然僕のシティリーグが楽しみになりました。なぜ楽しみかって、カウンターキャッチャーそれ自体では当然ありません。僕の大好きな人たちと一緒に、そのきっかけとも言えるようなカードを思い出しながら時間を過ごせるのが素晴らしいのです。

というわけで、どのように僕らのチームが形成されていき、そして今どうなっているのかといったような話でした。くりお宅のおかげで競技をやりたいと思ったし、コントロールが好きになったし、だからともぽんくんと出会ったし、そのおかげで僕自身にも成績と自信がついてきてノコノコさんと並んでチーム戦に出たりするようになりました。Twitterを見てへーまたノコノコさんすごいデッキ使って勝ってるなぁと思っていたところに少しでも力になれるようになりました。別に僕が言い出さなくても時間の問題だったでしょうが、ゴージャスマントなど細かい部分には幾らか僕のアイデアも含まれています。カウンターキャッチャーというのはまさしく、そういった僕のPTCG遍歴を思い出せるものです。

それは何もコントロールデッキにのみ限りません。最近僕を知ったという方の幾らかには、WCSでジャッジをしていたからという方もいらっしゃるかもしれません。僕がジャッジ資格を取ったのも、ともぽんくんとakさんのおかげです。彼ら2人がジャッジ資格を持っていて僕をハブって話をしているのが寂しく、それが原因で取ったジャッジ資格が気付いたらあんなことになっていました。

振り返って改めて思うのですが、もう5年以上ポケカをしているということになります。当時はまるで想像もしなかったようなところにまで来ることができました。思い出それ自体も、それに再び浸る機会をくれたことも、カウンターキャッチャーの果たした役割は相当なものです。ありがとう。BIG LOVE.

というわけで、長くなりましたが、こんな感じでポケカに関係したらなんでもいいのでアドカレをよろしくお願いします。


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