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コンクリートの孤児

おれたちは路上によりどころを与えられるコンクリートの孤児だ。都会のインフラに安らぎを見出すコンクリートの孤児だ。

列をなす象の足が支える武蔵野の高架線の下、コンクリートの孤児たち二人はトリックの練習をしていた。彼らのテリトリーであるこの高架下、電車の通過の真下で飛び跳ねる。

移動するときも彼らは高架下に沿って移動した。昨日はこの武蔵野から高円寺まですべった。Zの撮影があって、それに参加するためだった。

ご多分にもれず、Zは金の匂いをさせていた。ヒップホップといっても色々ある。コンクリートの孤児たち二人はジャジーなものを好み、その他、たとえばニルヴァーナも聴いた。スティーヴ・ライヒも聴いた。スケーターは、ストーリート系のものばかり聴くというのは、一応(ほんとうに一応だが)、偏見である。

歌うZの廻りでスケートボードがトリックを見せるというありふれた撮影。Zのリリックは、けれどもコンクリートの孤児たちは嘘と見抜いた。リアルリアルと連呼する割にはリアリティがなく、語るルーツはおもちゃの街だった。ましてやコンクリートの光景など浮かぶはずもなかった。二人は失望したまま武蔵野の高架下にもどってきた。

アウトサイダーなタギングがされた象の足の柱、誰かの棲む青テント、さびた金網、「駐車券をお取り下さい」の声、朽ちたミニバン、近道として使う自転車──コンクリートの孤児たちは、それらの光景に磁場を感じることができる。それだからこそ信用している。

おれたちはコンクリートの孤児だ。よるべなき都会をすべることによりどころを見出すみなしごだ。路上の光景を見ずに路上の光景を目撃したかのように語る者は処刑しなければならない。

コンクリートの孤児たちはボードを蹴り、宙を飛んだ。頭上を中央線が走り抜ける。そのようにして、高円寺で繰り広げられるだろう死刑執行のため、余念なく高架下でトリックの練習に打ち込んだ。

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