見出し画像

鮭の放流〜鮭の里親を経験して〜

埼玉は「彩の国」とも呼ばれておりますが、他方「川の国」とも呼ばれております。「彩の国」といっても「彩」はなかなかイメージできませんが、「川の国」ならば十分にイメージすることはできます。

 何となれば、埼玉には大小の河川がいくつもあるからです。埼玉の河川の筆頭は、一級河川の利根川と荒川ですが、この二つの川に注ぐ支流まで含めると、相当の川の数になります。
 
 私の住む深谷市も市域に利根川と荒川が流れ、この二つの川の恵みで、深谷市は県下でも有数の農業地帯になっており、深谷ねぎやブロッコリーの生産地域として広く知られております。

 ところで、この稿では、鮭のことをテーマにしていますので、最初に鮭のことにふれることにします。

 深谷市内を流れる利根川と荒川には、実は、鮭が遡上します。利根川と荒川の二つの川は、鮭の遡上する川の南限だと言われております。

 それでは、この二つの河川の鮭の遡上について述べます。利根川には行田市に水資源機構の運営する「利根大堰」と呼ばれる巨大な水利施設があります。
 この施設に1995年から1997年にかけて魚道を改修したところ、鮭の遡上数が増えていることが報告されています。
 改修前の1983年が21匹だったのに、2011年には初めて1万匹を超え、2013年には1万8696匹に達したそうです。
 それが、2019年には129匹、2020年には140匹と激減しており、2021年、2022年には36匹、64匹にとどまっています。

 私も15年ほど前、深谷の利根川辺(べ)りで、鮭が産卵する光景を見ており、今もその光景が目に焼き付いて離れないのですが、あの頃が鮭の遡上のピークだったようです。

 一方、荒川では「荒川にサケを放す会」があり、毎年荒川に鮭を放流しております。荒川もかつては鮭が遡上していましたが、最近では、鮭の遡上が見られなくなっており、関係者が嘆いているそうです。

 近年利根川や荒川に鮭の遡上が少なくなったことについて、県水産研究所は「海水温度や餌の状況が変わり、それが影響しているのではないか。」と指摘しております。

 鮭の遡上の激減、洪水、旱天の増加には異常気象が影響しています。地球の至る所での異変が進み、そのうち人間の存在にすら影響することは必至です。

 深谷市は市民が中心になって、毎年、利根川に鮭を放流する事業をしております。
 この事業のあらましを説明します。毎年12月になると市の公民館が鮭の卵(有精卵)を入手し、次に鮭を育ててくれる里親を募集します。応募した里親には鮭の卵を配ります。
 そして、翌年2月に里親の元で育った稚魚を利根川に持ち寄り、放流するのです。

 私も数年前この事業に応募し、鮭の里親を経験しました。この貴重な経験の一行詩(五七五の17音で構成する詩のこと)で一編の詩が出来上がりました。ご鑑賞ください。

 初目見(はつめみ)え鮭の卵の二十粒

 今日からは鮭の里親襟正す

 手の切れる水に卵を沈めけり

 朝一で卵におはよと声かける

 どれどれと妻も卵を覗きけり



 ちょこなんと孵化した稚魚は水の底

 小石沈め稚魚の寝床を敷いてやり

 メダカかい隣の爺も覗きけり

 透明のマフラー揺らし稚魚おしゃれ
   ※マフラー(稚魚のひれのこと)

 お弁当の消え今日からは粒のえさ
   ※お弁当(稚魚の栄養袋のこと)

 

 カラフルなバケツが並ぶ放流日

 春の川稚魚の命の透きとおり

 稚魚放つ君待つ先は春怒涛

 名残惜し今日で里親店仕舞

 寂しくて空の水槽撫でている

 
 鮭の里親は12月から2月のわずか3ヶ月足らずでしたが、この間、命の誕生から稚魚に育つまでの間をつぶさに見聞することができ、一編の詩まで得ることができ満足しております。
 
 最後に鮭についての知られていない話、江戸っ子の初鰹好きは広く知られていますが、初鮭も江戸っ子は争って食べたそうです。

 
 21世紀に入ってから、はや24年目を迎えております。しかしながら振り返ってみますと、この世紀のスタートの年にニューヨーク同時多発テロが発生し、これの報復のため、アメリカのアフガニスタンへの侵攻と戦争が始まり、現在もウクライナ、ガザと戦火の絶えない日々が続いております。

 20世紀の戦争は、米ソの対立、東西の冷戦と言われた戦争でしたが、現在は宗教・民族の対立に加え、先進国と発展途上国間の経済格差が加わり、これらの要因が交錯して戦火が拡大しています。

 こんな地球に生きる中で、市民の行なっている「鮭の放流事業」などは、平和の実現には程遠いのですが、未来を背負う子ども達に命の尊さ、大事さを学んでもらい、ゆくゆくは平和の担い手として育ってもらいたいものです。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?