門松一里

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静かに書いています。作家/写真家 https://www.amazon.co.jp/-/e/B00K2GC4I8 【街角のクリエイティブ】http://www.machikado-creative.jp/author/53/ 【ik137】https://ik137.com

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「あまり一生懸命になるな」という話

何事も必至になるというのは大切なことです。 でも、あまり必死になり過ぎるというのもいけないことです。 「一生懸命(いっしょうけんめい)」という言葉は、もともと「一所懸命(いっしょけんめい)」でした。十四世紀の『太平記(たいへいき)』(※)にある言葉ですので、とても由緒正しい言葉です。 ※『太平記』は、応安(1368年~1375年)~永和(1375年~1379年)ごろに成立したといわれています。 「一所懸命」は「一つの場所に生命を懸(か)ける」――「賜(たまわ)った一つの領

    • 「マイナンバーカード導入」という話_24601

      「マイナンバーカード導入」という話_24601 個人番号カード(マイナンバーカード)をスマートフォンに追加させるのを否定する意見もあるようです。 私などは「便利」だと思うし、カードを紛失しないので「安全」だと考えます。 (まあ行政をどれだけ信用するかによりますが……。) マイナ保険証に使えるのはとても便利で、いちいち病院で保険証を出すこともありません。 紙の保険証は不具合も多く、実際ザルで不正使用が多く考えられます。 * 一番の問題は、多くの人にとってカードという

      • 【目次】「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話(16+36+号外2)

        【目次】「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話(16+36+号外2) ↓こちらがオススメです♩ 4.「沈黙」という話(4)_17808【ザ・ミッション】 *****  興味を持たれたなら、きちんとした本を読んで勉強してくださいね。 【参考文献その他】「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話    * 1.「沈黙」という話(1)_17815  【イエズス会の成り立ち】  【それまでの状況】 2.「沈黙」という話(2)_17815  【武国日本】  【宗教

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          【参考文献その他】「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話  興味を持たれたなら、きちんとした本を読んで勉強してくださいね。 【参考文献その他】※重複あり 1.「沈黙」という話(1)_17815  ○『沈黙【連載】田中泰延のエンタメ新党』   http://www.machikado-creative.jp/planning/47972/  ○遠藤周作『沈黙』(新潮社、1981年)  ○『旧約聖書』  ○『新約聖書』 2.「沈黙」という話(2)_17815  ○福沢

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          _【号外】『荀子』という話(1)

          _【号外】『荀子』という話(1)  正義って何でしょうね。 『荀子(じゅんし)』に「義を正にして行う。これを行という」(※)とあります。『荀子』は今から二千年以上も前の書物ですから、正義はかなり古い言葉です。  ※『荀子(じゅんし)』「正名」に「正義而為謂之行」とあります。  それだけ古くからある言葉「正義」ですが、正義を行う人より、翻弄(ほんろう)される人のほうが多いのは何故でしょうか。  自分が思うより他人(ひと)はよく考えているものです。  少し考えてみまし

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          52.「東アジアの思想」という話(36)_17908

          52.「東アジアの思想」という話(36)_17908 【唐の女】 《則天武后》 〈傾国の美女〉  唐の第二代皇帝太宗(李世民)は、貞観の治から大唐帝国を築きました。しかし、偉大であればあるほど継ぐ者は大変な労力を強いられます。  第三代皇帝高宗(李治)は若く病弱でしたので、太宗は死に臨み信任する高官に後見を託します。しかし、その高宗が皇后に選んだのは、太宗の後宮にいた才ある美しい女性武照でした。  いつものパターンですと、「前の王朝は、次代の王の幽閉・傾国の美女・諫言者

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          51.「東アジアの思想」という話(35)_17804

          51.「東アジアの思想」という話(35)_17804 【四知】  後漢の楊震(ようしん)の言葉に「天知る、地知る、子知る、我知る」があります。楊震は博学でしたから「関西の孔子」と呼ばれました。この「関西」とは、函谷関(かんこくかん)から西を意味しています。  また、潔白な人だったので、賄賂を受け取りませんでした。「四知」――「天地の神々も、君も、私も知っている」ので、悪事は露顕するという訳です。  ちなみに、函谷関は要所であり、老子のモデルとされる老耼が尹喜(いんき)と

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          50.「東アジアの思想」という話(34)_17803

          50.「東アジアの思想」という話(34)_17803 【三教】  三教とは、儒教・仏教・道教です。三教一致を諷する「三教図」という画題になっています。孔子・釈迦・老子が並んで描かれるなど、アブラハムの宗教では考えられない構図です。  ただし、儒教の孔子と仏教の釈迦が、それぞれ教祖だというのは間違いありませんが、道教の老子が教祖というのは、仮託です。  cf. 『30.「東アジアの思想」という話(14)』〈道教〉  儒学が、その教学である儒教とそれほど違わないのに対して

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          49.「東アジアの思想」という話(33)_17802

          49.「東アジアの思想」という話(33)_17802 【仏教】 《中国の仏教》  仏教は、後漢初期には中国に流入していたようです。  儒教は現実的な教えですが、仏教は深遠です。教義も戒律も受け入れやすかったので、中央アジアに広がりました。  儒教は思想や生活まで支配していましたから、積極的な布教はできませんでした。やがて、後漢が衰えるようになり、仏教は中華に根を下ろしはじめます。  仏教は、泥中から蓮の花が咲く宗教ですから、そうした不安や混乱のうちに種が蒔かれたのでし

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          48.「東アジアの思想」という話(32)_17801 【南北朝時代】 《南朝》  南に逃れた東晋のあとの、漢人の四朝(宋・南斉・梁・陳)を南朝と呼びます。対して、北朝(北魏・東魏・西魏・北斉・北周)は異民族です。    * 〈六朝〉  呉(三国)の首都は建業(けんぎょう)です。東晋のときに建康(けんこう)と名を変えますが、場所は同じ今の南京です。続く南朝も建康を首都にしましたので、呉(三国)から陳までを六朝と言います。  ・呉(二二二年−二八〇年)  ・東晋(三一七年

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          47.「東アジアの思想」という話(31)_17731 【清談】 《党錮の禍》  後漢の桓帝・霊帝のときに、党錮の禍(とうこのか)という事件がありました。儒者でもある官僚が、汚職まみれの宦官による専断を咎めたのですが、逆に弾圧されてしまったのです。党錮の禁とも言います。「党」は派閥で「錮」は禁錮で仕官させないことです。  宦官は、後宮に仕えた去勢男子です。もともとは宮刑になった人や、異民族の捕虜などから採用していたようです。それが後には志望者も任用しました。この時代、医療技

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          46.「東アジアの思想」という話(30)_17730 【晋】 《西晋》(二六五年−三一六年)  魏(三国)に代わって、権臣司馬炎(武帝)が晋を建てます。首都は後漢・魏(三国)と同じく洛陽です。なお、平安京の左京(東京)は洛陽にたとえられ、今でも京都で「洛」が使われています。右京(西京)の雅称は長安です。  ちなみに、紫宸殿の南階下の東方にあるのが「左近の桜」です。儀式のとき左近衛府の官人がその側に列しました。西方が「右近の橘」です。ややこしいですが、「〈さ〉こんの〈さ〉く

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          45.「東アジアの思想」という話(29)_17729

          45.「東アジアの思想」という話(29)_17729 【前漢(3)】(紀元前二〇六年−紀元後(西暦)八年)  第十三代平帝の時、新都侯に封じられた王莽(おうもう)によって、前漢は滅亡します。首都長安が、後漢(東漢)の首都洛陽の西にあたりますから、西漢とも言います。    * 【新】(八年−二三年)  王莽が簒奪し、新を建てました。ですが、すぐに漢が復興し、滅びます。    * 【後漢】(二五年−二二〇年)  前漢の景帝の子孫の劉秀が新を倒して、光武帝となり漢王室を再

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          44.「東アジアの思想」という話(28)_17728

          44.「東アジアの思想」という話(28)_17728 【前漢(2)】(紀元前二〇六年−紀元後(西暦)八年) 《官吏任用制度》  紀元前一三六年に、第七代武帝は五経博士を置き、儒学(儒教)を国教化しました。  それとともに、紀元前一三六年に、官吏養成の国立大学「太学(たいがく)」を創設します。世界に類を見ない官吏任用制度の形成です。  漢代以降、優秀な人材を現職官僚に推挙し登用することになりました。  最初は「選挙」でした。とはいえ今の選挙とは違い、官吏候補者を民間から

          44.「東アジアの思想」という話(28)_17728

          43.「東アジアの思想」という話(27)_17727

          43.「東アジアの思想」という話(27)_17727 【『荘子』の思想的世界(6)】 《井の中の蛙》 「井の中の蛙」は『荘子』「秋水篇」からです。「蛙」は、松尾芭蕉の「古池や 蛙飛びこむ 水の音」と同じ読み方です。  意味は、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の燕雀と似たような感じです。  cf. 『29.「東アジアの思想」という話(13)』【秦】〈陳勝呉広〉 「井の中の蛙」は、世間知らずや見識の狭いことです。後半が略されていて、正しくは「井の中の蛙大海を知らず」です。

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          42.「東アジアの思想」という話(26)_17726

          42.「東アジアの思想」という話(26)_17726 【『荘子』の思想的世界(5)】 《「明」》  雲外蒼天(うんがいそうてん)――雲の向こう側、遥か彼方は蒼い空です。  北冥の魚の鯤が、鳳(鵬)という鳥に変わり、南冥に羽ばたくとき一切が青になります。  その眼下に、二項対立や区別はありません。  もはやすべてのものが、「易」――無窮の変化です。こうした俯瞰(ふかん)した視界――達観したものの見方を「明」と言います。「明」となって、ようやく世界は万物斉同となります。

          42.「東アジアの思想」という話(26)_17726