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「ホメる」ばかりが「褒める」じゃない

相手を承認することが大事。

コーチング研修などの場でそんな話をすると、「承認すること」=「ホメること」と受け取られることが多い。

そして、久しぶりにあった人から、「がんばってホメようとしてるんですが、最近ネタ切れで…」とか、「さすがにホメる点がない、っていう人もいて…」みたいな言葉をかけられたりする。

褒められてうれしかった自分自身の体験を思いかえしてみると、「すごいね」「さすがだね」というホメ言葉を聞いて、相手から承認されている実感を味わったということも、もちろんある。

でも、「すごいね」「さすがだね」という言葉がなくても、ちゃんと承認されているという感覚が生まれることもあるし、その感覚が間接的に「褒められて」いる実感につながる場合だってある。

「ホメる」だけが「褒める」じゃない。

そのことに気づかせてくれたのは、英国の大学で学んでいたときの体験だった。

ホメ言葉の背後にある力

大学院のゼミで、何かのテーマで発表し、質疑応答を行うことを先生から頼まれた。終了後、満面の笑みでこちらにやってきた先生が口にした言葉は、「ノット・バッド」

直訳すれば「悪くない」だけど、満面の笑みに示されているように、これは「すばらしい」ということ。なにかと控え目に表現する英国らしい表現で、「悪いところがみつからない」=「すばらしい」という意味になる。

(ちなみにフランス語にも同じ表現がある。先日放送されていた深夜ドラマでは、この言葉がストーリーの中で重要な役割を果たしていた)

準備しているときは、「こんな感じで大丈夫か?」と、何かと不安だったから、発表と質疑応答の出来をしっかり認めてもらえたことで、安堵感とうれしさを感じることができた。

コーチングの入門書、「はじめてのコーチング」に書いているように、ホメることで相手の自己効力感を高めることは、人材育成を考えるうえでとても大事なことだ。

「育てる」 とは、単に 「いいね~」と声をかけることではなく、「できている部分」「やればできる部分」を的確に伝え、多少の困難があっても、最終的には乗り越えることが 「できる」という見通し(自己効力感)を与えることで、部下の「ヤル気」を高めていくことなのです。

でも、そのときに感じていたのは、安心感や自己効力感だけではなかった。

それが何なのかはハッキリと分からないけど、先生の言葉には、「できている部分」をしっかりと肯定し、「勉強がんばろう!」というモチベーションを高めるだけではない、何かしらの大きな力が働いているような気がしていた。

インフォーマルな関わり合いの中で「褒める」とは?

それがどんな力だったのかに気づいたのは、これもゼミの最中だったと思う。

ディスカッション中に自分が発言したことに対して、ある先生が、「さっき同僚が触れたとおり(as was mentioned by our colleague)」みたいな言葉を使ったときだ。

「わ、自分のことを『学生(our student)が』ではなく、『同僚(our colleague)が』と言ったぞ!」と、かなりビックリした。

フォーマルな関係としては、先生ー学生のタテの位置にあるけど、インフォーマルな日々の関わり合いから生まれるコミュニティの中では、上でも下でもない、同じ資格のメンバー、つまり仲間として自分が受け入れられているという実感。

ホメ言葉ではないけれど、しっかりと承認されていることが感じられる言葉だった。

でも、そうした言葉が無意識に口をついて出てくるからには、どこかで「できている部分」「やればできる部分」が認められているからに違いない。

だから、コミュニティのメンバーとして受け入れられているという感覚は、かぎりなく「褒めらている」実感に近づいていく。

「ノット・バッド」に感じた「何かしらの力」も、そのような種類のものだったように思う。

「褒める」ために必要なことは?

(いちおうリンクは貼っていますが、そうとうな歯ごたえの文章で書かれているので、気軽に読みたいという人にはあまりおすすめしません)

ジーン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガーという人が、「状況に埋め込まれた学習」という本の中で、伝統的な徒弟制度のもとで人はどのように仕事のやり方を学んでいったのかについて考察している。

職場を離れた、学校という場で職業訓練を行う近代的な「制度」が生まれる前、人が仕事をおぼえ、知識やスキルを高めるための仕組みがどのようにつくられていたのか?

そこには「この順番でこんなことを学びますよ」というカリキュラムもないし、試験も学位も資格もないから、学ぶモチベーションを高める仕組みも存在しないようにみえる。

徒弟制度のもとでの仕事を考えるうえで大事なことは、仕事の学びを深めるためのカリキュラムやモチベーションを高める仕組みが、仕事の場の外側につくられるのではなく、仕事をするという状況の中に「埋め込まれている」ということ。

さらに、「仕事をする」ことも、自分に与えられたタスクをこなすのではなく、「コミュニティに参加する」ことの一部になっている。

「お客さん」ではなく、正統なメンバーとしてコミュニティに参加し、知識やスキル、経験を積みあげながら、より深く、より十全にコミュニティに関わっている実感を味わう。

最初は何もできなかった自分が、だんだんと仕事をこなせるようになり、役割を与えられ、さまざまなメンバーと関わり合い、より深くコミュニティに参加できるようになる。その過程で、自分自身のアイデンティティが変化する

伝統的な徒弟制度では、仕事を介してメンバーと関わり合う状況の中に、そうした流れが「カリキュラム」として埋め込まれているし、自分自身のアイデンティティの変化が、学ぶことへのモチベーションを高める「仕組み」として働いている。

そこで何より重要なのは、メンバーどうしが(できること・できないことの違いはあるけど)たがいに正統な仲間として関わり合うことなのだと思う。

だから、「悪くない(→ すばらしい)」「同僚」という言葉で相手をちゃんと「褒める」ためには、言葉を発する以前に、一緒にコミュニティをつくり上げる同胞と向き合っているという意識を持っていなければならない。


「ホメる」を「褒める」に変えるマインドセット

発表と質疑応答を終えた後で先生からかけられた言葉が、一生懸命に日本語を話そうとする外国人の「がんばり」に向けられる、「日本語、お上手ですね」のようなホメ言葉だったら、自己効力感の高まりも、モチベーションの向上も、相手との関係の深まりも実感することはできなかったと思う。

「ホメ言葉」に「褒め言葉」としての意味を与えるのは、話し手のマインドセットだからだ。

同じ正統な資格でコミュニティに参加する仲間として相手と向き合うこと。それが「褒める」ことを可能にする。

ピーター・ドラッカーが語っているように、ノウハウとしてのマネジメントを学ぶ前に、マネジャーは「真摯さ」という資質を身につけておかなければならない

マネジメントにできなければならなにことは学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、初めから身につけていなければならない資質が一つだけある。才能ではない。真摯さである。

この「真摯さ」、原文では integrity という言葉で表現されている。いろんなことの全体としてのまとまりが保たれ、一貫していること。それがインテグリティ。

「ホメ言葉」を「褒め言葉」にするのは、コミュニティの仲間として相手と向き合う姿勢の一貫性だ。ホメ言葉を口にするときだけでなく、さまざまな関わり合いの中で、言葉に一貫して感じられる「真摯な」姿勢。

だから、「がんばってホメようとしてるけどネタがない…」というときには、無理にホメるべき点を探そうとするのではなく、(ホメ言葉にかぎらず)相手にどんな言葉を投げかけているのかを振りかえるのがいいと思う。

そして、さまざまな関わり合いの場面で相手に投げかけている言葉の中に、自分のマインドセットがどのように投影されているのかを考える。一貫してあらわれている、相手と向き合う姿勢がどのようなものなのかに気づく。

そうすることで、「ホメ言葉」に頼らない、「褒め言葉」のレパートリーを広げることができるかもしれない。

「褒める」とは、真摯に向き合う姿勢を伝えること

職業訓練を学校で行う制度が生まれて以来、伝統的な徒弟制度は、あらかた姿を消した。でも、メンバーとのインフォーマルな関わり合いを通して、コミュニティの一員としての実感を味わう場面がまったくなくなったわけではない。

「リモート環境下では雑談が大事」とか、「ミーティングで本題に入る前にチェックイン(対話のウォーミングアップをかねて、ちょっとした雑談を交わすこと)を行うといい」とかいった話をよく耳にするけど、こうしたことはすべて、メンバーがコミュニティの一員としての実感を味わうための工夫だ。

雑談やチェックインで「場がなごむ」というとき、そこで起きているのは、知識、スキル、経験、課せられたタスクの違いを超えて、同じ資格で場に参加するメンバーとして関わり合うコミュニケーション状況が生まれている、ということ。

そうしたコミュニケーションの場をつくっておくことで、こちらが口にする「ホメ言葉」の背後にある、相手と向き合おうとする姿勢の「真摯さ」を推しはかってもらえる。

そうした「真摯さ」に裏打ちされなければ、どんな「ホメ言葉」も相手に響かない

「承認すること」=「ホメること」となると、ホメる技術やホメ言葉のレパートリーに目が向けられがちだけど、どのような技術・レパートリーを使うにしても、そこに一貫したマインドセットがともなっていなければ意味がない。

そしてこれはコーチングにかぎった話ではない。

ダイバーシティの推進に、女性活躍の支援、インクルージョンの促進や、1on1ミーティングの導入。みんなここにつながってくると思う。

もちろん、相手を「仲間」だと思いさえすれば、自動的にコミュニティ・メンバーの実感をいだいてもらえる、なんていう簡単な話でもない。

佐渡島庸平さんのコラムに書かれているように、こちらでは相手を「仲間」扱いしているつもりでも、相手にとっては、それが同調圧力として映ることもある。

僕としては「あなたを対等と認めて議論している」という気持ちで、今までと同じ感覚で発言していたのだが、そうすると組織に同調バイアスがはたらき、僕の意見がなんとなく正しい雰囲気になる。

だから、そんなつもりはなくても同調圧力を生み出している可能性をみきわめるためにも、雑談やチェックインが重要になるだろう。相手の反応に一貫してみられる姿勢に目を向け、意図せずに望まない状況が生まれていないかどうかをたしかめるために。

「ホメる」だけが「褒める」じゃない。

「褒める」とは、同じコミュニティの一員として相手と真摯に向き合う姿勢を伝えること。それは、問題解決の支援、動機づけに評価、生産性の向上に多様性の推進、いろんなところにしっかりとつなががる土台をつくり上げることなのだと思う。


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