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氷川風土記

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写真と文章で綴る氷川神社の風土記
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記事一覧

第208回 氷川風土記 「蛍」

武蔵一宮氷川神社の隣にある「大宮公園」は、明治6年の太政官布達を受け、明治18年に「氷川公…

~第207回~「楠と船」

須佐之男命(スサノオノミコト)は樹木神としての姿もあり、それは「日本書紀」巻第一の第八段…

~第206回~「氷川暦」

武蔵一宮氷川神社では干支絵馬や破魔矢など、さまざまな時期ものの授与品があり、その中に「氷…

~第205回~『氷川信仰と「ええじゃないか」』

江戸時代末期、大政奉還前後の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、日本各地で空から御札が…

~第204回~「大正の広重と大宮」

コロナ禍があけ、日本には大勢のインバウンド客が訪れ、大観光ブームを迎えています。 観光ブ…

~第203回~「昭和祭」

武蔵一宮氷川神社では、4月29日に「昭和祭」を斎行し、昭和天皇の御乾徳を仰ぎ奉ります。 昭…

~第202回~「古代つれづれ」

氷川神社名の神社は、大宮の武蔵一宮氷川神社から分祀され、武蔵国の荒川流域を中心として北海道から鹿児島まで約280社鎮座しております。 武蔵一宮氷川神社は約2500年前の第5代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創建で、第12代景行天皇の御代には、景行天皇の皇子である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東夷鎮定の祈願をされたと伝わっております。 第13代成務天皇の御代には、出雲族の兄多毛比命(エタケヒノミコト)が朝廷の命により武蔵国造となり氷川神社を奉崇しました。 以後、氷川神社は

~第201回~「花を鎮める」

日本人は古来、神に祈りをささげて病と対峙してきました。 4月5~7日、武蔵一宮氷川神社では「…

~第200回~「これまでの2500年、これからの2500年。」

関東の荒川流域を中心に、北海道から鹿児島まで約280社ある氷川神社。 その総本社が大宮の武蔵…

~第199回~「江戸時代の氷川信仰について」

『日本三代実録』(9世紀成立)や『延喜式神名帳』(10世紀成立)に「氷川神」と記載される武…

~第198回~「浦安の心」

平成23年3月11日14時46分、世界でも未曽有の自然災害「東日本大震災」が発生しました。 10年後…

第197回 氷川風土記「祈りと感謝と祭政一致」

2月17日に行われた「祈年祭」。 「としごいのまつり」とも言い、「とし」は稲、「ごい」は祈り…

~第196回~「蘇民祭と蘇民将来」

2月18日、岩手県奥州市の黒石寺で行われる蘇民祭が惜しまれながら1000年以上の歴史に幕を閉じ…

~第195回~「スサノオノミコトへの信仰と伝承」

武蔵一宮氷川神社の主祭神・スサノオノミコトの信仰は全国にわたります。 今回はその中から、奈良県の2月の祭礼をご紹介します。 それは国指定重要無形民俗文化財「江包・大西のお綱祭り」。 これは奈良県桜井市の江包と大西の両集落間で行われる神事で、毎年2月11日に江包からは雄綱を、大西からは雌綱を出し、江包の素戔嗚神社で夫婦の契りを結び、五穀豊穣・子孫繁栄を祈ります。 この神事は神社の名前のとおり、スサノオノミコトにかかわる行事です。 地域に伝わる伝承によると、その昔、三輪山で共