見出し画像

言葉を持たない人の気持ち

今の滞在場所には、わたしのほかにアメリカ人の女の子がいる。
当然、彼女は英語がペラペラなわけで、ホスト夫妻とのコミュニケーションは良好。たまに冗談を言い合ったり、あまり笑わないホストも彼女と話すときは笑顔を見せる。夜になると、彼らはリビングで海外ドラマを英語音声、フィンランド語字幕で観る。
何とか食らいついて観ればいいのだけど、言葉のほかにも色々な事情があって、心がすり減っていて、全くその気にはなれず、どんどん輪から離れてしまう。6歳の子どももわたしにはあまり言葉が通じないから“もういいわ!”といった感じだ。
子どもに“Japanese”と呼ばれるのはすごく嫌。内心、わたしはErikoだ、名前で呼べと思っている。
もちろん仲間外れにされているわけではないし、多分、海外生活初心者の日本人には、あるあるだろう。

わたしは子どもの頃からよく話し、自分の意見をはっきりと言わないと気が済まないタイプだった。姉弟喧嘩には力ではなくて言葉で挑んだ。今思えば、主張するのが苦手な人の意見を無意識のうちに蔑ろにしていたことはあると思う。

相手の気持ちになって考えようとはよく言うものの、実際にその環境下におかれない以上、その気持ちに本当に近づくことなんてできない。近づこうとする姿勢は間違いなく大切だけれど。いろんな弱い立場に置かれることで生まれる、やさしさや思いやりがあると思う。

言いたいことがあるのに言えない気持ち、言葉が出てこないという状況。
こんなにももどかしくて、辛くて、孤独なんだね。
声の大きい自分の振る舞いのせいで、傷ついたり、悲しい思いをしていた人がいたんじゃないかと今更反省。

伝わらないのが怖いから、話すのを止める。
Noの理由が説明できないから、Yesと答えてしまう。
あまりよく聞き取れなくても、愛想笑いでやり過ごす。

そんなことの繰り返しの毎日だけど、それでも、たまに、自分の話に耳を傾けてくれようとしてくれる人の前では、ちょっとだけ他愛のない雑談ができたりもする。すごく嬉しい。

英語でも日本語でも、他のどんな言語でも、十分な言葉を持ち合わせていない人がいたら「わたしはあなたの話を聞いてますよ。」、にっこり目を見て、話を聞いてあげられるような思いやりを忘れないでいたい。

ベッドに入ってから、こっそり日本のラジオを聴くのが癒し。そういえば、時差のお陰でオールナイトニッポンが生放送で聴けるかも。



気に入っていただけたら、サポートいただけると励みになります。よろしくお願いいたします◎