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言葉以上のメッセージ 叔父の握手が教えてくれたこと

「誰かの心に響くようなメッセージを、伝えられている?」

先日、久し振りに夫の叔母夫婦に会いに行った。
かれこれ5年ぶり。けれど、お二人とも変わらずにお元気そうでほっとした。
こちらは、この5年で娘が昔の写真を見て驚くほどの変貌を遂げたというのに。
…うらやましい。

玄関先での挨拶。
「久しぶりねぇ」と再会を喜ぶ叔母の隣、無言のまま両手でぎゅっと力強く夫の手を握り、優しい笑顔で微笑んでいる叔父の姿が印象的だった。
夫に久し振りに会えて嬉しいという気持ちが、その両手につまっている。
そんな握手だった。

叔父はもう何年も前に、病気のため言葉が不自由になっている。
病気になる前の叔父のことを私は知らない。
話すことが大好きで、いつも会話の中心にいる人だったと聞いたことがある。

そんな叔父は今、会話の中心に入ることはない。
お互いの近況を話している間も、叔父は傍で優しく微笑んでいるだけだった。

これまで、考えや感情を自由に言葉に乗せて表現してきたはずの叔父。
もちろん、言葉が不自由になったとしても、文章など書くことで伝えることができる。
けれど、家族や友人が集まって会話が繰り広げられている間、その会話を見守ることしかできない。

きっと、悔しさや、もどかしさを何十回も何百回も超えてきたのだろうと思う。
しかし叔父の、私の想像する「悔しさや、もどかしさ」とは、かけ離れた穏やかな表情で、言葉の代わり手を合わせて挨拶している姿が印象的だった。

言葉で表現できない、たくさんの思いを、叔父は手と表情で伝えてくれる。
そのメッセージは言葉以上の、重みと温かさがあるメッセージだった。

私はこの握手を忘れないと思う。
それほど、心に残るメッセージだった。

帰り道、冒頭の言葉がふと浮かんだ。

私はこれまで、数え切れないほどの言葉を使ってきた。
けれど、その中に叔父の握手のように思いの込められた言葉はあっただろうか。

少し振り返っても、娘への小言や、夫への嫌味を連打している自分の姿しか思い出せない。相手の心に響く言葉以前に、私が使っている言葉は後ろむきな言葉ばかりのように思う。私が望む言葉の使い方、付き合い方は、きっと違う。

伝えられる言葉があり、伝えたい人がいる。
これは当たり前のことじゃない。言葉じゃなくても、文章や表情やジェスチャーでもいい、大切な人に大切だと伝えたい。そのことを、私は叔父の握手から教わった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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