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金原 栄:プロフィール

ご訪問ありがとうございます。
少し長くなりますが、私の「略歴」にお付き合いください。

金原  栄 sakae kanehara

18歳の時、グラフィック・デザイナーを志し上京。
10年間の東京生活の後、再び故郷へ戻り、そこから、
地方ホテルに30年間勤務した元ホテル取締役総支配人。

現在は都内在住。

その30年間の業務経歴の中で、開業準備室長として、
ふたつのシティ・ホテルとひとつの結婚式場の開業を担当・経験する。

私は、茨城県高萩市にかつてあった炭鉱町で生まれ、中学生までをそこで過ごしました。

炭鉱町のおとなの男達はお酒が大好きで、酔っぱらうと喧嘩が絶えず、長屋の物干にダイコンを干す母親である女達の背からは、冬でも湯気が立ち昇るほどの熱気がありました。

旧・高萩炭鉱の長屋とズリ山

小学校には千人を超す児童が通い、通学路には、炭鉱の引込み線の蒸気機関車がモクモクと黒い煙を吐きながら、児童たちが追いかけるのをものともせずに、石炭を運んでいました。

父の定年退職に合わせて、同じ高萩市内の太平洋を望む台地近くに建てた家へ転居し、そこで高校生活をパラボラアンテナ(高萩から見て東京方面、多賀郡の十王町に建つ)を眺めながら「あの空の向こうにはどんな希望が待っているのかな~!?」と考えながら、勉強もせずに日々を過ごしました。

【略歴】

1953年 茨城県高萩市出身。
東京にて約10年間、広告デザイン業界に従事。

その後、1983年開業直前の地方都市ホテル「水戸プラザホテル」営業企画担当へ転職。

旧・水戸プラザホテルのパンフレットから複写

宴会予約支配人、料飲支配人などを経てグループ結婚式場の開設準備室長。96年、開業と同時に式場の総支配人。

数年後、グループの新規事業開発担当として、移転開業する「新・水戸プラザホテル」の開発コンセプト策定からセールスプロモーション、マーケティング全般にわたっての業務担当へ異動。

直前には、開業準備担当室長
(開業の詳細は、次の地方都市ホテルの挑戦。2001 をご一読ください)

2001年、「新・水戸プラザホテル」開業に伴い、総支配人室室長。
その後、副総支配人兼企画室長。
2011年2月 27年7ヶ月間勤務したグループ企業を退職。

2011年9月 アールエヌティーホテルズ(株)にプロジェクト開業準備室室長として入社。
2012年9月 (株)フロンティア水戸へ取締役として転籍。
2013年5月 水戸市大工町に開業したホテル・ザ・ウエストヒルズ・水戸に取締役総支配人として着任。
2014年7月 開業のミッションを終え退職。

2016年10月~2017年3月 国立大学法人「茨城大学」人文学部観光学入門・非常勤講師。
2018年1月~オンラインサロン・イチエコミュニティカレッジ発信

現在、東京都在住。

2002年 「ホテル産業経営塾」第1期生
2003年 「大前研一のアタッカーズビジネススクール」第15期生
2004年 社団法人日本能率協会英国経営者協会「第7回 Diploma in Company Direction (役員認証試験)」ディプロマ取得


Facebook 金原 榮 (イチエ・コミュニティ 代表)

【講演会・セミナー&イベント開催実績】

2016/12 茨城県教育委員会(茨城県教育研修センター)
「平成28年度いばらき輝く教師塾」特別講演会『教壇というステージをよりクリエイティブに!!』講話
2016/11 水戸市内「エステ・サロン」開業支援アドバイス
2016/10・11 『ワグテイル・サクセス創業スクール』プロデュース&第1講・第8講担当 (共催:一般財団法人 水戸市商業・駐車場公社)
第一講:創業に必要な自己ブランディング力、第八講:アントレプレナーのためのパワー人脈づくり
2016/10/19 茨城大学人文学部「観光学入門2016」非常勤講師『観光とホスピタリティ』講話
2016/09 一般財団法人水戸市商業・駐車場公社、コワーキングスペース水戸オープン半年記念セミナー 講師『今から出来る、夢を叶える習慣』
2016/08 茨城県鹿行生涯学習センター・講師『広報・集客の工夫』
2016/07 茨城県鹿行生涯学習センター・講師『人気講座の作り方』
2016/06 茨城大学人文学部「プロジェクト実習」特別講話 講師『あなたのコミュ力を高める継続と1㎜へのこだわりと』
2016/07 ホテルザウエストヒルズ水戸「ICC オープンカレッジ3」主催、大人の七夕学園祭&ランチョンパーティ
2016/03 ホテルザウエストヒルズ水戸「ICC オープンカレッジ2」主催

水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』300回記念例会

2019/12 水戸発・異業種交流会『一会倶楽部』(現・異業種交流Tokyoイチエ)300回記念例会開催
2020/08 茨城県県南生涯学習センター・講師『魅力ある講師を目指す!~理想の講師に近づくために~①②』

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チャンスをつかむ人は、捨てる力のある人

主宰している交流会をあるレストランで開催した時に、趣味で”誕生年月占い”をされているという方と相席となって、遊び半分に鑑ていただいたことがありました。

曰く、私は「ティーチャー」。人に教えたりすることが得意だったり、またこれから、そんなことを職業として行くのだと”鑑定”されました。

ティーチャーと言えば、いの一番に思い浮かぶのは、早稲田大学理工学部教授だった加藤諦三さんです。2008年3月に、70歳の定年退職でその職を辞しました。

私は10代の頃から「自己啓発」本好きで、加藤さんの著作は愛読書のひとつでした。特に14歳の時に新しい家に引っ越した際、自宅のテレビが壊れたこともあり、以来テレビの無い生活が2年以上も続いたものですから、その間、読書が唯一の娯楽でした。

私の父は、田舎の炭鉱夫を長く続け、定年退職後、市街地に近い茶畑の100坪程度の土地を農夫から購入して、そこに親戚の大工に頼んで小さな平屋の家を建てました。

私は父が46歳の頃に生まれた三男なので、これは中学2~3年生頃の話です。

父は、退職後もその炭鉱の「用度課」が経営する、みんなが「よ~ど」と通称していた店舗の臨時職員として勤務していました。

しかし、程なく体調を崩し入院、余命宣告を受け、彼の退職金で建てたその新築したばかりの家に戻ってくる頃には、20~30㎏以上も痩せて、見る影もない姿となっていました。

そして、最後の数ヶ月間をまだ青い畳の仏間に、ほとんど寝たままで過ごし還らぬ人となりました。

家を建ててから1年未満、享年60歳のことでした。

私は無骨で短気な父がとても疎ましかったのですが、それでも私にとっては大切な大きな存在でした。

14歳の私は、そんな父が死んだというのに、私たちの住んでいる”世界が何も変わらない”という現実に衝撃を受けました。

そんな精神状態の時に出会ったのが加藤諦三さんの本でした。

少年にも分かるように平易に表現し書かれた加藤先生の独特の文章は、砂に水を撒くように、あっという間に心の中に吸収されていきました。

この加藤諦三さんの大学での最終講義のことを、読売新聞編集委員の芥川喜好さんが、当時「時の余白に」という朝刊のコラムでとりあげていました。早稲田大学の大隈講堂の千百余の座席は全て埋まり、立ち見もぎっしりだったそうです。

その時の「加藤さん」「定年退職」というフレーズが、もう随分前に亡くなった父のことを思い出させたのです。

加藤先生の著作に「自分を変えたいと思った今が幸運のはじまり」(三笠書房)という一冊があります。

『決断に必要な意志とは捨てる意志でもある。意志が足りないとは捨てられないということである。捨てられない人は何事も成し遂げられない。チャンスをつかむ人は、捨てる力のある人である。』

そういえば父は、幼い私に「さかえちゃん!先生になれっ!」 と何度か言っていました。

あまりに何度もしつこく言うので、私が「先生ってそんなに偉いの?」と聞き返すと、父は言葉に詰まっていました。多分それには、「加藤先生のような」という主語が付いたのだろうと、今なら素直にそう思えます。

捨てられない、幸せな幼い日の情景が浮かびます。

幼児の頃の私です。
2021/4月・撮影

最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

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