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子どもは奇跡

今日は、こどもの日。

菖蒲の葉のようにまっすぐ育つようにと、菖蒲は切らずにお風呂に入れるそうです。
近所の花屋のおじさんが、私含めた買い物客にそう力説してました。

それを聞いてて思ったんですが…
菖蒲の葉を短くちぎってお風呂に入れることって、あるんでしょうか?

まんま風呂に投入するもんだとばかり思ってました…



「子どもは奇跡」

子どもたちは、かれら自身ですでに奇跡だ。
かれらはすでに、いのちという賜物をもっている。
親は、それを表現する機会を提供する。

Children are miracles in their own right. They already have the gift of life, and their parents provide them with the opportunity to express it.

Helen's Note (未邦訳)
日本語訳は筆者

絶賛育児中の親御さん、あるいはこれから子育ての予定がある方が「ACIMに沿って子育てをしてみたいな」と思ってみても…
日本語版のACIMには、子育てに関する記述がありません。
省略されているのではなく、底本であるFIP版ACIMにそれらしい内容が見当たらない。

一方で、FIP版以外のACIMには、子育てに関する言及が若干あります。
それが、上に紹介した一文。
とはいえ実質上、ACIMの育児関連の記述はこのくらいでしょうか。

すでにすべてを与えられている

ACIMの方針は、学習者自身に焦点を当てること。

子育ては親育て、なんて言いますよね。ベクトルの向きとしては同じかもしれません。
まずは親自身が、自分自身(の心)をしっかり見つめていきましょう、と。

ACIM風にいえば、子育てもやはり「わが子を赦す」ことに尽きると思います。
つまり親が、自分の子どもに関する自分の考えを変えるのです。

親は、わが子に「よいものを与える」ことに熱心なもの。
(「よいもの」に関して、当の子どもとの温度差や見解の相違はよくありますが。)

親は子どもが「いのち」を表現する機会を提供する

そう聞くと、こう思うかもしれません。

 ❝この子らしく輝いて生きられる場を、親が与えてあげればいいのかな??❞

子育て中の親御さんは忙しい。
それは私もよく承知しています。

というわけで、まず結論。

なにかをわざわざ与えなくてもいい。
すべては、子ども自身にすでに与えられている。

基本はこういう話のようです。

もちろん、赤ちゃんに対して「親はなんにもしなくていいんでしょ?」「自分らしく生きる力、もう与えられているんだよね?」
…というのではなくて。

人間の赤ちゃんには「生存するためのお世話」が一定期間不可欠です。
でも、その引き際も肝心。まずはそういうことでしょう。

いつも明るく、元気な良い子

「いつも笑顔で」
「元気で、健康で」
「みんなにかわいがられて」…

こうした「元気はつらつな、明るく良い子」のイメージは、なんだか魅力的です。
親の理想(妄想)が、詰まってる。

ときに、「子どもらしさ」がこうしたイメージと混同されることがあります。
この混同は、親子の双方に苦しみを招きかねません。

明るく元気で、活発で。
それが子どもらしくて「いい子」でsー

もしそうなら、こう言っちゃなんですが。
私の息子は完全に逆張りでした。
(彼には発達障害があります。)

自分らしく生きるのに、周囲の人に「愛される」必要はありません。
なんなら「健康」さえ必要ないはず。
「いつも笑顔」に至っては…もはや不気味すぎる。

こういう混同を解消するための学びは、あっていいと思います。
いや、むしろあってほしい。

ACIM(A Course In Miracles)は、きっとその役に立つでしょう。
少なくとも私は、とても助けられました。
(ページ数はちょっと多めなんですけどw)

不平不満は、少なめに

子育ては、場合によると20年以上にもにわたる長丁場です。
親自身の心が穏やかでないと、なかなかしんどい。

焦点は「心」。心にわだかまりが少ない状態がキモです。

苛立ちのもとになる「わだかまり」が、できるだけ少ない状態。
それがすべての基盤になると思います。

この「わだかまり」(ACIM風に言えば「不平不満」)を減らすためには、やはり「赦し」の実践をすることでしょう。

わが子に限りません。誰かれ構わず「赦し」をしていい。イラっとしたら、どんどん相手に対する自分の考えを変えていいのです。
減るもんじゃありません。

それどころか、愛ある想念は与えれば与えるほど増えます。

それが、ACIMの考える「赦し」です。
赦しは愛を与えることだと言ってもいいでしょう。
そして、与えれば与えるほど増える。

すると、穏やかな心もちでいられる時間も増えます。

子どもがすでに与えられている「いのち」という贈り物。
それは、「愛」や「光」と言い換えてもいいと思います。

親がわざわざ「それを活かす機会」を与える必要はありません。
むしろ、妨げない。子ども自身の表現を、邪魔しない。
それで充分。

わだかまりの少ない穏やかな心なら、この「邪魔」をせずにいられると思います。

私たちの「兄弟」

ACIMは、自分以外の人々のことを「あなたの兄弟」と表現します。

その人は、あなたと同じ親から生まれた兄弟のような存在です。そして私たちの「親」は等しく子どもたちを愛し、すでに全員を赦している。
(この「親」にあたる存在を、ACIMは「」と呼んでいます。)

同じ親から生まれたわれわれ「兄弟」は、(この親によって)すでに完全に赦されています。
まったく罪とがをもちません。

その存在はすでに、地上に現われたときから光であり、奇跡です。

この世界での子どもたちは(そして誰もが)、そうした「私たちの兄弟」。それがACIMのメッセージだと思います。



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