「自由の女神」の顔

 パリに行った時のことである。その旅行での帰国の時にパリ・ドゴール空港のVIPラウンジに入った。軽い食事を取り、ややしばらくすると、向こう側の席に4人の若い男(3人)、女(1人)が座っているが見えた。  女性が 威勢高に振る舞っているように見えた(欧米なので日本の女性の物腰とは違う)。 その時、同時にその女性の顔を見て驚いた。ニューヨークの自由の女神の顔、そっくりなのである。

私も自由の女神が、フランス人がフランスで作ったことは知っている。また、私を含め多くの人は、自由の女神のブロンズの青緑色の顔をネット写真で見て知っているだろう。しかし、私は、女神の青緑色の顔がフランス人の顔とは(上記の出来事があるまで)気づかなかった。ほとんどの人が青緑色の自由の女神の顔がフランス人の顔であることに気づかないのではないだろうか。しかし、あのブロンズの顔に。血を通わせと、誰が見てもハッキリとわかるフランス人の顔になるのである。

こんな事を考えた。
自由の女神の(ニューヨークの入り口への)設置には、紆余曲折があつたようである。その紆余曲折の原因の中に、女神の顔がフランス人の顔と分からないからこそ許された経緯(場設置所、資金提供者、行政の許可等)が含まれていたのではないだろうか?この視点での(自由の女神の)歴史の再構成を誰かが行わないだろうか?

こんな暴論も考えてみた。
アメリカ合衆国の主流支配層はアングロサクソンである。もし、自由の女神の顔がフランス人の顔だとハッキリとわかるようであったなら、ニューヨークの入り口にあの女神が立っていることを許してこなかったのではないだろうか。あの青緑色の顔がフランス人の顔とはすぐ気づかないからこそ、アメリカの象徴となり得ているのではないだろうか?

今、あなたは、自由の女神のブロンズの青緑色の顔をネット写真で見てほしい。すぐフランスの女性とは気づかない。

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