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中村眞一郎『秋』

女たちは死んでいく。題名が暗示しているとおり、出会ったすべての女たちが、落葉のように確実に散っていく。散った落葉の重みで、すべての情事が冷めきる前にかせきになってしまうのだ。主人公は古生物学者を思わせる手さばきで、それら化石の断片を寄せ集め、組み立て、ひたすら生きた情熱の再現に熱中する。そのひたむきな姿勢には説得力がある。作者は情事そのものによりも、情熱の化石に心をひかれるコレクターなのかもしれない。おかげで情事に関するユニークな博物誌が編み上げられた。喪失の余韻がひびきつづける。振向いて明日を見たような気分にさせられる。

外函の安部公房評

さっぱり分からなかった『夏』から一転、『秋』はかなり面白かった!

安部公房の評が強く共感を呼んだので全文引用しました。

“古生物学者”、“情事の化石”、“情事に関するユニークな博物誌”、まさに言い得て妙。

しかし本文を読んでない人にはピンとこないだろうなあ。読み終えてこの評を読むと安部の的確な表現に唸らされます。

『夏』で繰り広げられた、まったく情念も情愛も伴わないセックスとは違って、この『秋』では主人公が身体を重ねる女性たちは、主人公の内面に大きく関わってくる存在。

いわゆる“愛”を描いた作品、である。

にも関わらず、作者の語り口はロマンティシズムを排除して、怜悧な批評として、自身の愛の振る舞いを描写する。この醒めた視線が何とも不思議な味わい。

同じ手法は『夏』でも取り入れられていたけれど、愛のないセックスを描く時この醒めた視線はその愛のない不毛さをより際立たせていたようで、『秋』のこの、しっとりとした心の動きを、まさに学者のように評論家のように振り返る、そのギャップが良い。

最後は本当にバタバタと人が死んでいく。“実りの秋”ではなく、乾いた枯葉の舞う、秋。

冷徹な語り口の合間から、センティメントが微かに滲み出てるラストは心に染みた。

面白いのは、地の文があって、それに続けてカッコ“()”で括って、今書いたばかりの地の文への注釈やメタ的な言及が繰り返されるところ。この四部作共通のメソッドのようだけれど、“今この部分を読み返してみると…”というような、自身が書いた文章を作者が読み、それについて言及する、という複雑な時制の構造は、かなり前衛的。それが最も奏功したのが『秋』ではなかろうか。(『冬』未読なので暫定首位)

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